失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

長谷川雪旦

2007年01月28日 | 江戸名所図会
『江戸名所図会事典』市古夏生・鈴木健一 ちくま学芸文庫によると、
「長谷川雪旦は、安永七年(1778)生まれ、天保十四年(1843)年正月二十八日没、享年六十六歳であった。墓は浅草幸竜寺にあった(現在は世田谷区烏山に移っている)。」だそうです。

私は、このブログを始める前には、江戸名所図会の挿絵にこれほど興味を持つとは思ってもいませんでした。雪旦の挿絵には、今後も御世話になるでしょうし、本日烏山の幸龍寺に墓参に行ってきました。命日など、明治以前の暦の日付を、現在の暦の日付で置きかえてもしょうがないのかもしれませんが、その辺はご勘弁願いましょう。
     
    <幸龍寺 長谷川雪旦の墓 中央に「長谷川氏代々之墓」と刻まれている>

江戸名所図会の中には、何箇所かで雪旦らしき人物が描かれているとのことで、『江戸名所図会事典』あるいは『江戸の絵師 雪旦・雪堤 その知られざる世界』江戸東京博物館(1997)によると、巻三「平村平惟盛古墳」挿絵中のしゃがんでいる人物もその一つだそうです。

ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房p.463の一部


幸龍寺のある世田谷区北烏山(通称「烏山寺町」)については、後日別項で取りあげたいと思います。
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稲城市 穴沢天神

2007年01月27日 | 江戸名所図会
江戸名所図会巻之三に「谷之口穴沢天神社」という絵があります。

ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房pp.492-493


<三沢川の対岸から 撮影2006年11月>

右側の絵の中央部やや左に「巌窟」とあります。

この中をのぞくと、側壁から水がしたたっています。この部分の地質を真じかで観察できます。

「巌窟」の隣では湧水が汲めるようになっています。私が通るとき(土・日・休日)はいつもどなたかが水を汲んでいます。

今日(1/27)は、ここで簡単な水質測定をしてみました。
●測定結果(穴沢天神)●
測定時刻14時、水温14.6℃、気温10.5℃、pH6.6、電気伝導率200μS/cm(20mS/m)

丘陵の南側の吐玉水(白清水)でも同様な測定を行いました。
●測定結果(吐玉水)●
測定時刻14時30分、水温14.9℃、気温13.5℃、pH6.9、電気伝導率210μS/cm(21mS/m)


電気伝導率は結構面白い指標となるので、後日、その「面白さ」を紹介してみます。

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第19回多摩郷土誌フェア/薬師池公園の水の項に追記

2007年01月26日 | 雑記
・立川のオリオン書房ノルテ店(多摩モノレール「立川北」駅前)で、28日(日)まで多摩郷土誌フェアが行われています。

・「薬師池公園の水」の項に、文献からの引用を追加しました。
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多摩市 桜ヶ丘 天守台

2007年01月21日 | 江戸名所図会
江戸名所図会巻之三に「小山田旧関関戸惣図」という絵があります。

ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房pp.476-477

結論から言うと、この絵は、現在の新大栗橋交差点~関戸橋あたりから描いた近景(天守台続きの尾根)と、連光寺側(現在の聖蹟記念館あるいは八坂神社(天王森)あたり)から描いた遠景(奥多摩・秩父の山)を合わせたもののようです。

以下で具体的に検討してみます。

まず、「大栗川」「一宮」「関戸」などの地名が書かれており、それらの位置関係からすると、この絵の近景部分は現在の大栗橋交差点の北あたりから描かれたものと思われます。多摩川は描かれていないので、多摩川の南側との限定がつきます。この点に関してはそう異論はないように思います。
このあたりは、現在ビルがそびえたっており、「天守台」は、ほとんど隠れてしまうため、現地確認は難しいです。
  
<左:新大栗橋交差点付近より、右:新大栗橋付近より>

そもそも、天守台周辺も、昭和34年に、桜ヶ丘住宅の建設によって大きく地形改変されているそうなので厳密な現地確認は不可能です。天守台の上にあった琴平宮は、現在では、住宅より低い位置に来ています。

住宅建設以前のこのあたりの様子は、例えば、『目でみる府中・多摩・稲城の100年』金本展尚監修(郷土出版社2003年)で「大松山からの眺望」(昭和5年頃)p.58:、「建設中の桜ヶ丘団地全景」(昭和37年頃)p.131、「団地建設前の桜ヶ丘2町目」(昭和30年代)p.131などをみることができます。また、『特別展 多摩の里山「原風景」イメージを読み解く』パルテノン多摩歴史ミュージアム編集(財団法人多摩市文化振興財団2006年)p.59に、昭和21年ころの琴毘羅宮の写真があります。(これらの写真の出典をさらにたどると、「大松山からの眺望」は『連光聖蹟録』(連光会1928年)、「昭和21年ころの琴毘羅宮」は『野翁小咄』井上正吉著となっています。私はいずれも未見。)
天守台付近の地形改変については、多摩川対岸から眺めて一番高く見えている部分の裏側(西側)に回ると、少なくとも5-10mくらいは、削られていることが目で見てもわかります。
  
<左:桜ヶ丘1-53付近、この左奥に現在の琴毘羅宮がある。右:桜ヶ丘1-50付近>

それでも、天守台続きの尾根がどのように見えるか、「カシミール」で関戸橋の南付近からの眺望図を作ってみました。これをみると、尾根の形は、名所図会に描かれているものと近いように思います。

<杉本智彦著『カシミール3D』実業之日本社 「カシバード」で作成>
ただし、この鳥瞰図は、地上から50mの位置から見たものです。地上数mから見た場合は、遠方の山は丘陵にほとんど隠れてしまいます。またこの位置からだと、丹沢の大山でも天守台の左には来ません。

多摩川の対岸から、天守台周辺を眺めてみますと、天守台の左側に山を入れるには、かなり東に移動しなければなりません。丹沢の蛭ヶ岳を天守台の左に入れるには、多摩川を下って東に700-800mくらい移動しなければなりません。

<関戸橋から>

<多摩川左岸、関戸橋の700-800m下流から>
それに、この絵の山並みは、丹沢とは相当違う印象を受けますし、右には、「秩父」と書かれています。この部分はいいかげんに描かれたものなのでしょか?あきらめずにもうすこし詮索してみましょう。

天守台の上に、遠方の山を望むには、やはり高い位置に立つしかありませんので、乞田川をはさんだ対岸の連光寺の丘陵に登ってみました。

<桜ヶ丘公園付近から:杉の木のすぐ右に大岳山、その下あたりが天守台>

<多摩大学の北東の尾根から>

都立桜ヶ丘公園、八坂神社付近(多摩大学の北東の尾根)から写真を撮ってみますと、図会の遠方の山並みは、丹沢ではなく、三頭山あたりから、大持山あたりまでの奥多摩・秩父の山だという感じが強くなりました。

<「図会の山並み」と「多摩大学の北東の尾根からの写真」、「同所からのカシミールによる展望図」の比較、:写真の赤の楕円部は、左から三頭山、大岳山、天守台付近、大持山。図会では天守台の位置以外は推定>
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薬師池公園の水

2007年01月20日 | 雑記
1/3の恩田川の項で書いた、薬師池公園側の湧出水についての予想が大はずれでした。

薬師堂の下とは別の流出箇所を上端までたどると、パイプから出ている様子からして、どうもポンプで汲み上げしているとしか思えなくなりました。公園の事務室(管理室?)で聞いてみると、「ポンプで汲み上げている」とのことでした。恩田川と薬師池側の湧出状況の比較についての記述の意味がなくなりましたので、この部分の文章を削除しました。
 
<左:薬師池側流出部、右:恩田川湧出部>



<薬師池公園>

恩田川の水温の測定結果は、1/3の末尾に追加しました。

(1/26追記)
薬師池公園の水の由来について、文献から引用します。
20年以上前の記述なので、現在もこのとおりかどうかはわかりませんが。

『薬師池をさぐる』町田市立図書館郷土資料研究会編集 昭和60年11月発行 
p.25
(水車を回す水のながれ)
水車を回すための水は、菖蒲園の東斜面の上まで、水中ポンプで池から上げたものです。

<大滝>
薬師堂の下には、赤みを帯びた苔の乗りやすい大きな木曽石で作られた落差5mの滝があります。
この滝の水は近くの山の上にある東京都水道局原町田第11水源の井戸より供給されています。
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川崎市 生田浄水場

2007年01月19日 | 雑記
生田浄水場の前を通ると、私はなぜか伊勢神宮の神田を思い出します。
背後に丘陵があって、その前に空間が広がっているという以上の共通点は、ないのですが。

<生田浄水場 2006年12月撮影>

<伊勢神宮神田 1997年撮影>

背後の丘陵には、配水池があり散策道があります。

<配水地に上る階段。この階段220段あります。>

<階段の上から浄水場を望む>
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川崎市 菅北浦 法泉寺

2007年01月14日 | 江戸名所図会
(1/14 山の角度の記述を修正)

江戸名所図会 巻之三 天璣之部に「法泉寺」を描いた絵があります。

<ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房pp.506-507>

福昌寺の北側は現在空き地(駐車場?)になっており、ここから写真を撮りました。(ここに福昌寺別院が建設されるようです。)
 
<地点1>

地点1からの写真は、絵の中では、福昌寺と法泉寺の門のあたりの感じに近いですが、根上明神の階段の向きが合いません。現在の根上明神の階段は、法泉寺の門から福昌寺に向かう道に対して、直角ぐらいの向きに上がっています。最初の階段を登り切ると、そこからまた直角くらいの向きに本殿があります。
 
<根上明神階段と社殿>

<法泉寺、根上明神階段は、山門前を左に>

この絵は、根上明神の山全体が、何十度かねじれた向きで描かれているように思います。複数の視点からのスケッチを1つにまとめたもののようです。
また、地点1からの写真では、根上明神の山があまり高く見えません。もうすこし、離れた位置からだと、山の存在感が大きくなります。
また、図に描かれている流れは、三沢川から分水している用水のようですが(注:コメント欄参照)、地点1は水路の南側ですので、流れは写りません。
現在は、この用水路の北側は住宅が建てこんでいて、法泉寺方向はほとんど見えません。
わずかに残っている畑の間から(あるいはもう1箇所、東菅小学校の北側の橋から)、福昌寺、根上明神の裏山がかろうじて望めます。

<水路の北側から>

根上明神の社殿は、山頂にあるわけではなく、社殿の南側はさらに高くなっています。
山の裏側は案外すぐ住宅になっていたりすることがあるので、南側に回ってみました。
そこは住宅が迫ってはいないものの、調整池(菅北浦調整池:地点3)になっていました。山の斜面はけっこう削られているようですが、山のシルエットは、絵の山の形(地点3は、ちょうど絵の裏側あたり)を思わせるものがあります。

<地点3から>

根上明神の裏山は、小散策路になっていますが、入り口の階段がかなり急でした。(神社からは登れません)
    
<裏山:地点2>


地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)よりコピー。
   国土地理院2万5千分の一地形図「溝口」の一部
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谷地川

2007年01月13日 | 源流探訪
(1/14都市計画道路について数行加筆)

八王子市、日野市を流れ多摩川に注ぐ谷地川をさかのぼり水源をめざしました。
谷地川は、少し前の地図でみると、かなり蛇行していましたが、中流、下流部は河川改修により直線化がすすんでいます。河川改修は今も行われています。

川の写真はすべて、上流方向を写しています。撮影日は、2007年1月8日。
今回は棒温度計を持っていき水温を計りました。
多摩川合流部 8.9℃(右岸から測定。気温11.2℃。時刻12:20)
湧出部   12.5℃(気温7.9℃。時刻15:55) 



流域の写真をいくつかピックアップしてみます。


<秋川丘陵コースから谷を下って湧出部にでる道の方がおすすめです>


<木造の「谷開橋」>


<勝手神社の横の畑と丘陵と奥多摩の山>
(1/14追記:都市計画図によると、勝手神社の南70m位のところ(画面では左端)を都市計画道路が通る計画になっています。)


<滝山街道沿いの酪農農家。谷地川側から>

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1月7日の内容に写真追加加筆しました。

2007年01月08日 | 説明
1月7日の宿題の一つ、分倍河原の天王森(八雲神社)の写真上の位置を確認しました。
(1月7日の項に写真追加、加筆しました。)

本日、日野市、八王子市を流れる「谷地川」の水源探訪サイクリングを行いました。
川に架かるほぼ全ての橋(上流部の個人のお宅の出入り用のものや、支流、分流のものは除く)から上流・下流の写真を撮りました。全部並べたいのですが、枚数が多いためどうするか思案中です。

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多摩市 桜ヶ丘公園ゆうひの丘

2007年01月07日 | 雑記
1/8 写真追加・加筆しました。

前日に雨が降り、今日は風が強く、晴れ。
遠くの山を見るには好条件となったので、
桜ヶ丘公園ゆうひの丘からの眺望を楽しみました。
ここの斜面は、樹木がなく、北から西の眺めがなかなかのものです。
(あるいは、眺望目的で樹木を植えていないのかもしれません)

12月22日の「分倍河原」の項目で、北方向の山並みにすこし触れましたが、
この丘からは、赤城、足尾、日光、ずっと北東には加波山が見えるようです。
本日は、これらの山々が、くっきりととまでは行きませんでしたが、双眼鏡を使えばだいたい確認できるくらいでした。


<赤矢印の上をたどると西武ドームの屋根、その奥やや右が赤城山>


<この写真では確認できませんが、赤矢印の上に西武遊園地の観覧車、その奥が足尾の皇海山あたり>


<この写真でははっきりわかりませんが、左の矢印の上あたりが日光の男体山;右の矢印の上に、東芝府中事業所のタワー、その下やや右の木立が、分倍河原の天王森あたりではないか>


<杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)「カシバード」で作成。この日見えていない山の名前も表示しています>

この日は、結構山が見える方でしたが、もっと、くっきり、はっきり見える日がまだまだあると思いますので、そのときに、この写真を差し替えたいと思います。そのときまでに、分倍河原の天王森の位置もちゃんと確認しておきます。

1/8写真追加・加筆

東芝府中事業所のタワー付近の拡大部分を追加しました。
赤の直線が、鎌倉街道(陣街道)。写真一番左の赤い楕円が、日通の屋根(耳塚のあるところ)、真中の黄色の看板は、中央自動車道の北側の鎌倉街道沿いのビル。一番右の、クレーン作業をやっている青いシートの建物は、陣街道を北に進み、国道20号を越えたところにありました。

 
<左写真:中央自動車道の北側の鎌倉街道沿いのビル、右写真:旧甲州街道「美好町3町目西」交差点から北方向>

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