失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

宮ヶ瀬再訪(2013年夏)

2013年08月18日 | 失われた風景


YouTubeに投稿したものを貼り付けます。

宮ヶ瀬関連の話題を2つ
1.「平成19年度厚木市立視聴覚ライブラリー案内」(厚木市教育委員会)p.21によると
『ダムに沈むふる里 宮ヶ瀬』というタイトルの16mmフィルムがあるようです。
(内容「工事前の山村宮ヶ瀬の姿を描く」購入「S59年」 時間「15分」)と記されています。
私は未見ですが、どこかでフィルム以外の形で公開されていないでしょうかね?
もし、まだだったらデジタル化を望みますが。


2.大熊孝、嶋津輝之、吉田正人『首都圏の水があぶない』岩波ブックレットNo.706(岩波書店、2007年)p.46によると、

・・・ダム計画への参加の必要がなければ、行政は合理的な予測を行うものである。たとえば、横浜市は
宮ヶ瀬ダムが2000年に完成するまでは過大な水需要予測を行っていたが、今は過大な予測を立てる
必要がなくなり、図3-4のとおり、一人当たり給水量の減少傾向が今後とも続くという合理的な予測を行っている。

(引用者注:図3-4は省略します)

「造ってしまえば、もうこっちのものだ」というわけですな。

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8月10日は谷戸の日

2013年08月10日 | Weblog
8月10日を(ヤ トオ ということで)「谷戸の日」と決めました。
(おまえにそんな権限があるのかというツッコミはあらかじめ封じておきます。
ただ言ってみただけですから。)
でも国民の祝日以外の「○○の日」というもののほとんどは、
業界団体などがPRのために勝手に決めたものでしょう(決めるのは勝手なので)。
「○○の日」の大半は「くだらない語呂あわせ」だなと私はこれまでバカにしていましたが、
自分も同じ発想じゃないか。

<町田市小野路 2013/08/03>

谷戸に関連した話題をいくつか拾ってみました。
(以下、写真と文章とは直接関係ありません)


以前に「夜刀の神」なるものを取り上げました。
白川静『漢字百話』に面白い記述がありましたので引用します。

白川静『漢字百話』中公文庫版(中央公論社、2009)p.74

蛇形のものを祀るのが祀であった。わが国では夜刀の神とよばれるものである。
夜刀はヤチ、湿地のことであり、その方言は愛知、静岡以東に分布しているから、
もとは東北異族の間にあった信仰かと思われる。
中国では南方にその俗が盛んであったらしく、
虫を飼って呪詛を行う媚蠱の俗は苗族の間に盛んであったとされている。
しかし媚蠱の俗は殷の時代から行われており、卜辞にもその語がみえている。


以前に引用した説は「夜刀の神」=征服された先住民というものでした。
先住民が祀っていたのが蛇形の神=「夜刀の神」と考えれば何の矛盾もありません。



<町田市小野路 2013/08/03>



柳田國男「武蔵野雑談」『柳田國男全集 2』ちくま文庫版(筑摩書房、1989)p.440

東国ではこの種の帯のような低地を窪またはヤツなどといい、
谷の縁になる岡の端をハケと呼んでいるようである。


ハケについては、このブログでは「オッパケの坂」を取り上げました。
くにたち郷土文化館の企画展図録『ハケ展 くにたちの河岸段丘』(2012年)には
ハケに関連する地名が載っていたので自分で調べる手間が省けました。

ヤチ(谷地)、ヤツ(谷津)、ヤト(谷戸)は頭の「ヤ」が共通で、うしろの「地」、「津」、「戸」はタ行の音です。
したがって「谷」と「地」、「津」、「戸」とを分け考えることはできないのかもしれません。
ですが、「ヤマト」「セト」など「谷戸」の他にも地形に由来していそうな地名がありますので、
一応「ト」について調べておきます。とくにヤマト(大和)は邪馬台国ともからんで興味大有りですので。
広辞苑にあたってみますと「やまと【大和・倭】」の項の冒頭には「山処(やまと)の意か」とあり、
「やまと【山処】」の項には「(トはところの意という)山のあるあたり、山。」と説明されています。
「せと【瀬戸】」の項には「(狭(せ)門(と)の意)①幅の狭い海峡。」となっていて、
「と【門・戸】」の項には「①家の出入り口。戸口。かど、もん。
②水流の出入りするところ。水門(みと)。瀬戸(せと)
」と出ています。

ヤマトの「ト」とセトの「ト」は語源が違うのかなという印象を受けます。
上田正昭『大和朝廷』講談社学術文庫(講談社、1995)によると、
ヤマトのトの仮名づかいには甲類と乙類があって
甲類には外・戸・門などが用いられ、山の入り口・外側などを示す場合に当てられる。
一方、畿内のヤマトのトに対する仮名づかいは、
すべて乙類の跡、登、等、苔、常などが当てられているのだそうです。
したがって
畿内ヤマトの名のおこりが、山の入り口や外側にあるのではなく、山々に囲まれたところ、山の間、
山のふもとなどというところにあることを有力に示唆するものである
」(同書p.23)。
ちなみに大和と書いてなぜヤマトと読むのかについても、同書pp.30-33に書かれています。


<町田市小野路 2013/08/03>



金容雲『日本語の正体』(三五館、2009)pp.45-46

谷――だいたい箱根あたりを境にして西は「たに」とします。高句麗語の谷は呑、且で「たに」です。
一方、新羅語では谷を「コル」といいました。
同じ熊谷と書いても島根県雲南市では「くまがや」ではなく「くまたに」と呼んでいます。
熊谷の「がや」は元は「コル」であったと思われます。コルは「谷の原」です。
 コル koru-karu-gaya がや
 oru,aruはrが消失しやすく母音が重なるのでyまたはwに変わりやすいのです。たとえば、
カラ kara-kayaカヤ(加倻)
のように「から」の「ら」が「や」となります。
とくに東京には渋谷、千駄ヶ谷、四谷、世田谷など「や」のつく地名が少なくありません。
小さな山の狭間に田を営みそれぞれ自分の村をコルと呼んだのでしょう。
先に入植した新羅系の人々がつけた名です。



この本は何年か前に友人が貸してくれたので読みました。
日本文化を考えるうえで古代朝鮮の影響は無視できませんし、それを探っていくのは興味深いことです。
しかし、これはいただけません。
「コル」が「ガヤ」に変わっていいのなら、どんなこじつけでもできそうです。
でも、問題は音韻変化の部分ではありません。そもそも「がや」などという日本語はないのですから。
音韻変化などを持ち出してもっともらしい説明をすればするほど滑稽感が漂ってきます。
「がや」に対応する「コル」があるのなら、
「ヶ島」「ヶ岳」「ヶ峰」「ヶ崎」「ヶ浦」「ヶ浜」「ヶ関」「ヶ原」などに対応する語があるのでしょうか。
これらに対応する語を全部示してくれたならば私はこの本を真剣に読み直しますが・・・
この本の著者は日本語の助詞「が」の古い用法を知らなかったようです。
このような日本語知識で『日本語の正体』が見抜けるとは私にはとうてい思えないのですが。

「がや」は痛いな。
でも自分も痛いことをいっぱいしてきた可能性があるので
他人のことをとやかく言うのはこのくらいにしておきます。


<町田市小野路 2013/08/03>
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