失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

志賀直哉旧居 奈良市

2010年05月30日 | ○○記念館・旧△△邸

奈良の若草山を下りて上高畑の志賀直哉旧居に寄ってみました。

自宅に帰って、志賀直哉の作品をいくつか読み返してみました。
志賀直哉と言えば国語の授業で「小説の神様」などと教えられて、
中学、高校の頃はなんとなく仰ぎ見るような人でありました。

今読み返してみると、描写の美しさを感じる部分は多々ありますが、
作者の姿勢になんとなし傲慢な感じを受け、さほど共感を覚えませんでした。

「文士」といっても、それだけで尊敬される時代でもなくなったからかもしれませんし、
あるいは、自分もそこそこ年をとって、作者が作品を書いた時の年齢も越えるようになり、
多少なりとも世の中を見てきたからかもしれません。

しかし、この家はいい。
文人の美意識、あなどり難し。

(こんなことを書くと「そういうおまえは何様だ」などと言われちゃいそうですが。
 まあ、「俺様」くらいでしょうか)


2017/3/27 写真を差し替えました。
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平城宮跡 奈良市

2010年05月23日 | Weblog
遷都1300年の奈良に行きました。


<復原大極殿の天井>


<復原大極殿から>

以前に、武蔵国分尼寺の史跡整備について、
「平城宮」のやり方を手本にしているのではないかと書きました。
しかし、平城宮跡はやはり規模が大きいです。
じっくり時間をかけて「いにしえ」に浸っていたいところです。

<大極殿遠望>

東の端にある東院庭園も見逃せません。

<東院庭園>

最後に若草山から西方向を。
写真の中央やや右あたりが平城宮跡になります。

<若草山から西方向。向こうの山は生駒山>


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越前 一乗谷

2010年05月15日 | Weblog

<一乗谷 町並み復原地区>

5月4日に福井の一乗谷朝倉氏遺跡に行きました。
以前、自転車旅行の途中で訪れたことがありましたが、
このときは11月で雪がちらつくような、すこし暗い中でした。
(雪の景色もまた格別でしょうけれど)
できれば新緑の時期にでも再訪してみたいと思っていましたが、
今年実現できました。


<JR越美北線 一乗谷駅>


私のこんな写真では伝え切れない、
ともかくすばらしいところです。

<朝倉義景館跡>

<朝倉義景館跡>
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日野市 落川

2010年05月09日 | Weblog
 動画:撮影日1996年5月5日。約1分。

(2010/05/15 現況写真を追加しました。)

この場所は以前とりあげましたが、8mmビデオの映像がありました。
(画質もカメラワークも悪いですがご勘弁ください)
時期は都道20号線建設前の遺跡発掘調査時のものです。

ビデオ後半に出てくる「柵の向こう側でブルーシートが掛かっている発掘現場」が
現在は道路になっています。

用水路が道路予定地と鋭角に交差していますので
少し古い地図を見ると撮影場所が分かります。

<1996年5月5日撮影。水路の右側、木の柵の向こうで道路予定地を発掘中。
その先の構造物は「府中四谷橋」の一部と思われる>

<2010年5月15日撮影>


<1996年5月5日撮影。上の画像と反対方向>

<2010年5月15日撮影>


<地図:国土地理院発行1:25000地形図 『カシミール3D』を使用>

ビデオ撮影地点から西に行ったところに、高札場跡があります。
その一角だけわずかに昔の感じが残っています。

<落川村高札場跡。2010年4月25日撮影>

<同上所。2010年4月25日撮影>
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港区三田 

2010年05月03日 | 幕末写真
斎藤多喜夫著『幕末明治横浜写真館』(吉川弘文館、2004、p.77)に、
ベアトのある写真の撮影地点について次のような話が載っていました。
要約すると、

「薩摩屋敷」のタイトルの写真は、これまで高輪の薩摩藩島津家の下屋敷を写したものと考えられていたが、
この写真は三田の綱坂で写したもので、写っているのは「肥前島原藩松平家中屋敷」であることが判明した。
この綱坂の両側は現在、慶應大学、イタリア大使館と三井倶楽部である。
これを立証したのは、港区立港郷土資料館の松本健氏である。
(「フェリックス・ベアト撮影『高輪 薩摩屋敷』への疑問-幕末写真の撮影地点についての一考察-」
港区港郷土資料館『研究紀要』4号、1997)

ざっとこんな内容でした。

「薩摩屋敷」の写真の場所が今どうなっているのか、私も興味があり探してみたいと思っていたので、
東京がいつもより静かになる祝日をみはからって行ってみることにしました。
上記の研究紀要の発行年が1997年ですから、13年遅れの追いかけになりますが、
このブログは「週進年歩」の歩みなので遅くても平気です。
ということで4/29に三田の綱坂に行ってみました。

『F.ベアト幕末日本写真集』(横浜開港資料館発行)の「薩摩屋敷」(p.100)の次のページには
「113有馬屋敷」(p.101)という写真が載っています。
この撮影地点は、特定されているようです。
「有馬屋敷」の他に、説明文にある「秋月藩黒田家の上屋敷」「神明宮」を手がかりに「古地図」で見当をつけると、
この場所は綱坂のすぐ近くです。
ですのでこちらもあわせて探してみました。
その後、港区三田図書館で『研究紀要』4号を閲覧しました。
(後で知りましたが、切り絵図に描かれている幕末期の江戸のまちの各地点が現在はどこなのか調べるには、
書籍としては『復元江戸情報地図』(朝日新聞社,1994)が便利です)

●綱坂
綱坂の写真は、『F.ベアト幕末日本写真集』(横浜開港資料館発行)では写真番号112 (p.100)です。
ネット上では、長崎大学図書館のものが拡大できるので迫力があります。http://www.city.atsugi.kanagawa.jp/shiminbenri/shisei/atsugilibrary/archive/beato/p005925_d/img/002.jpg
(超高精細画像アイコンをクリックして拡大版を見てみますと最大1280×1024まで拡大できます。
さらに部分拡大機能が使えます。)
超高精細画面の解説には上記の研究経緯のことも書かれていました。
ここでは、厚木市のページのもの(500×398のサイズなので)と現在の写真とを対比してみます。
別窓で厚木市のページの画像を表示
守衛さんが同じような場所に立っていて面白いです。


<綱坂を見上げる。左側は三井倶楽部。2010/4/29>

●有馬屋敷
『F.ベアト幕末日本写真集』(横浜開港資料館発行)では写真番号113 (p.101)です。
こちらは、ネット上でまだ画像を見つけていません。
(一緒にならべて見ないと興味半減ですが)

<神明坂を下ったところ。左側は東京専売病院。2010/4/29>


●松本健氏の論考
ベアトが港区内で撮影した32点の写真のうち、「疑問の余地がないもの」を除いて、
4点について詳しい検討が行われています。
(「肥前公の屋敷」、「有馬様の屋敷」、「溜池」、「芝高輪の薩摩屋敷」)。
いずれも緻密に検証されていて、パズルを解くおもしろさに近いものがあります。
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