失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

渡良瀬遊水地 旧谷中村

2006年12月01日 | 廃村
足尾の松木村に続いて、鉱毒事件で廃村にされた栃木県の谷中村を紹介します。
今回の写真は、1993年夏の自転車ツーリングの時のものではなく1993年1月31日に、渡良瀬遊水地でのバードウォッチングに参加したときのものです。

延命院墓地跡にのこる墓石

十九夜供養の石塔

撮影場所は、地図に赤印で示しました(だいたいの地点です。縮尺もオリジナル版から縮小してあります。)それにしても渡良瀬遊水地、広大です。

地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社,2004年)より

これらの墓石は年月を経て、風景に溶け込みつつあり、哀感はただようものの、歴史を知らなければ、破壊された村の凄惨さまで感じ取れないかもしれません。しかし、明治40年の谷中村残留民家屋の強制破壊直後の写真というのが何葉か残っており、私はかなり衝撃を受けました。松木村の項で紹介した、神山勝三『フォトドキュメント 渡良瀬の風土』(随想舎、1996)p.43や、田中正造大学発行の「田中正造生誕150年記念写真絵はがき第1集」に1葉あります。たしか岩波書店の『田中正造全集』にもいくつか載っていたように記憶しています。
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足尾 旧松木村

2006年11月30日 | 廃村
1993年の夏休みに、2つの廃村をたずねて2泊3日の自転車ツーリングをしました。場所は栃木県の旧谷中村と旧松木村です。このツーリングの一番の目的は、次の写真(ビデオ映像)が撮りたかったからです。今回は松木村を紹介してみます。

松木村に残る墓石 撮影日1993年8月16日

同じ墓石を別の角度から

撮影日1993年8月16日

正確な撮影場所は覚えていないので、地図の大体の場所に赤印を打ちました。松木川の谷道から左岸側に少しだけ上がったところだったように記憶しています。地図もオリジナルを縮小して使っています。

地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社,2004年)より

足尾の松木村はネットでも多くの方が取り上げていて、廃村となった経緯は私があらためて説明するまでもないでしょう。2つだけサイトを紹介しておきます。
田中正造大学http://www.zuisousha.co.jp/syozodaigaku/index.html
ウィキペディア 松木村の項目に、1951年ころまで、ただ1軒立ち退きしなかった星野金次郎親子の話がのっていて興味深いものがありました。

上の写真の構図は、やはり訴えるものがあるのでしょう。大体同じ構図で何人かの方が写真をとっています。例えば、
神山勝三『フォトドキュメント 渡良瀬の風土』(随想舎、1996),p.23.

ウィキペディアの松木村関連項目に、消滅した日本の市町村の一覧という項目がありました。
また、廃墟探索という廃墟サイト検索のためのサイトがありました。http://ruins.rati.info/
打ち捨てられて人に顧みられないものに、どうも私は引きつけられるようです。
コメント (2)
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