失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

帷子川

2023年06月30日 | 源流探訪
横浜市を流れる帷子川、まずは流域の地図を。

<杉本智彦「カシミール3D」(実業之日本社)を使って作成>
地図の左の赤丸が源流部、中が二俣川合流点、右が河口部です。
源流部に設置されている案内板(横浜市旭区設置)によると「帷子川は延長約17.3km、流域面積約57.9km2の二級河川です。」
源流部の標高は地図ソフトの表示値では64mくらい。
およそこんなところが上の地図のスケール観です。

下流では、二俣川、今井川(保土ヶ谷宿の谷を流れている川)などが合流します。
帷子川の北側、丘陵を越えたところは、恩田川・鶴見川の流域、
西側は境川の流域になります。


<撮影日:2023/4/1>
さて源流部の様子ですが、写真奥に右から階段が下りていてそのあたりに上記の案内板が写ってます。
あくまで、河川管理上の上流端ということで、これよりさらに上流にすこし水路が続いています。
さらに上流側(水路はなし)には、横浜市水道局の水道用地の看板が出ている樹林地がありますが立ち入れません。


<撮影日:2023/4/1>
上の源流部の写真はすこし味気ないので、花をそえておきます。(源流部から100mくらい下流。下流方向)
しばらく水路沿いの散策路「小川アメニティー」が続きます。


<撮影日:2023/4/1>
左側の低いところを帷子川が流れてます。右側の車道は「あかね」の信号付近。
ここは源流部から300mくらい下流。


<撮影日:2023/4/1>
車道を行き源流部を通り越して坂を上り切ると環状4号に出ます。


ぐっと下って、地図の真ん中の赤丸の地点。相鉄線の鶴ヶ峰駅から西へ400-500mの地点。

<帷子川・二俣川合流点。畠山重忠公碑のあるところから 撮影日:2023/6/1>

さらに下って、地図の右の赤丸地点。横浜駅の東約1.5km

<帷子川河口部 みなとみらい大橋から 撮影日:2023/6/1>
この部分の名前ははたして帷子川でいいのか確認していませんが、ともかく帷子川を流れた水が海に注いでいるところです。


<臨海パークから北方向(帷子川河口部の方向)撮影日:2023/6/1>
帷子川の水路は樹木より向こうです。

こうしてみると源流部付近の水路は帷子川の赤ちゃんという感じです。よくぞ立派に成長したねと。
(つづく)


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空堀川

2012年09月09日 | 源流探訪
空堀川の源流部を訪ねました。写真はすべて2012/09/09撮影。
地図は後日添付します。

はじめは柳瀬川との合流点から。写真の右から流れ込んでいるのが柳瀬川で、
左側が空堀川です。

<空堀川、柳瀬川合流点 地図No.1地点>

ところどころで水が涸れています。

<清瀬市 野塩 大沼田橋から下流方向を 地図No.2地点>

いっきに飛びまして新青梅街道との交差部。

<東村山市 美住町 上流方向を 地図No.3地点>

河川改修工事が進行中です。
小さな水路になったかと思うと、大きな水路がすぐ近くを通っていたりします。
 

ところどころに行き止まりの表示が。ここは自転車は通れました。



<新上砂橋>
上の写真の拡大です。「平成狸合戦ぽんぽこ」に出てきた山の絵を思い出したので。


川沿いをちょっと離れて丘の上に登ってみました。
近くには「奈良橋川」の時にダイダラボッチ関連で参照した神明神社があります。

<地図No.4地点>

なんとも味気ない水路になっています。

<念仏塚橋から>

青梅街道と交差するところ。

<武蔵村山市 中央 地図No.5地点>

狭山丘陵がだんだん近づいてきてもうすぐ終わりです。


最上流端の表示が出てきました。

<地図No.6地点>
さらに上流へとたどると暗渠に。
  
<右:武蔵村山市歴史民俗資料館>

終着点の野山北公園です。

公園には池があってその上流に谷戸田があります。武蔵村山市内の小学生のための
「水稲栽培学習園」と書いてありました。

<水稲栽培学習園 地図No.7地点>
さらにその上流はいよいよ源流部ですが立ち入れません。


そこで尾根に出てまわってみることにしました。この尾根が分水界ということになります。
  
<左:谷戸から尾根に上がったところ。右:尾根の道を六地蔵の方へ>

<六地蔵 地図No.8地点>


<『カシミール3D』使用 国土地理院1:25000地形図を縮小加工>

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源流探訪 奈良橋川

2012年08月18日 | 源流探訪

<国土地理院1:25000地形図を『カシミール』で標高別色分け表示し加工縮小>

奈良橋川(東大和市高木で空堀川に合流)を下流側からたどってみました。
以下の地点番号は地図中の番号に対応しています。

はじめはもちろん空堀川との合流点です。

<地点1 高木橋のところで空堀川に合流 右側が奈良橋川 2012/07/29>

私が勝手に選んだ奈良橋川風景のハイライト。
正直言って川沿いには絵になる場所が少なかったです。

<地点2 奈良橋2丁目 2012/07/29>

しばらく行くと東大和市立郷土博物館。奈良橋川はここの少し南側を流れています。 

<地点3 奈良橋1丁目 東大和市立郷土博物館 2012/07/29>

このあたり川がずいぶん蛇行しています。 

<地点4 蔵敷2丁目 2012/07/29>

あっさりと奈良橋川上流端の表示に出くわしました。
したがってこれより上流は「奈良橋川」ではなくなります。

<地点5 芋窪4丁目 奈良橋川上流端の表示 2012/07/29>

「むさしむらやま歴史散策コース案内」などの地図をみますと
川は「谷戸川」と「入谷川」の2つにわかれます
(2つの川が合流して一つになると言う方が正確ですが)
そのうちの「谷戸川」は八坂神社の前あたりで暗渠になります。
  
<地点6 武蔵村山市中藤4、5丁目 左:川はここで暗渠に 右:八坂神社鳥居 2012/07/29>

<地点6 武蔵村山市中藤5丁目 八坂神社 2012/07/29>

八坂神社の前から青梅街道に沿って暗渠が続いているようなので
しばらく青梅街道を進みますと道路は大きくカーブします。

<地点7 中藤3丁目 青梅街道が大きくカーブ  2012/08/4>
熊野神社の前のあたりに水路がありました。
<地点7 熊野神社のあたり 2012/08/4>

この先は赤坂池(今回は写真なし)と番太池を目指します。
水路をまた見失いますが、赤坂池の水の出口と思われるあたりに再び水路があらわれます。
  
<地点8 中藤2丁目 水源の一つである赤坂池からの水はこの水路に落ちているようです 2012/07/29>

ここで、この水路を下流側にたどるとまたすぐ暗渠になります。
それらしいところを探してたどってみると青梅街道にぶつかります。
さっきの熊野神社より南側にでます。
 
<地点11 中藤3丁目 この水路もすぐ暗渠になってしまう 2012/08/4、2012/07/29>

もとにもどって上流へと進み、番太池に着きました。

<地点9 中藤2丁目 番太池 2012/07/29>

池のさらに上流に向かうべく番太池の北側の道を行ってみました。

<地点9-10 中央5丁目 2012/08/4>

最上流端の水の湧き出ているところを見てみたいのですが、なにぶん谷の奥は草深くなって
道からも外れるようなのであきらめることにしました。
そのかわりに「大多羅法師の井戸」がありました。
「井戸」なので、ここから流れが始まっているわけではありません。
私が見たときはほとんど水がありませんでした。

<地点10 中央5丁目 大多羅法師の井戸 2012/08/5>
『武蔵村山の昔がたり』にはこの大多羅法師(ダイダラボッチ・デエダラボッチ)の井戸の伝説は
「神明ヶ谷戸」の話として載っています。そこのほかに「坂本・池の沢・赤堀・山王前」などにもあったということです。
(各地名がどこを指すのか私はよく知りません。この写真の場所は「赤堀」なのか?)
ダイダラボッチという名前がどこに由来するのかちょっと興味をもったのですが、
柳田国男の「ダイダラ坊の足跡」には「大太」「大多良男」という名前があがっています。
足跡の形をした窪地や沼地などを大男の足跡に見立てたというのがダイダラボッチ伝説の本質であるとすると、ともかく大男であることがわかる名前を示せば充分で(「大太」というのはいかにもこれにぴったりという感じがします)、その名前にことさら深い意味や由来はなさそうです。


さて、大多羅法師の井戸のよこを通り過ぎ、谷を登り詰めました。
そこが分水界と考えてよさそうです。

<中央4、5丁目 谷をのぼりつめました 2012/08/4>












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亀成川 千葉県印西市

2011年08月07日 | 源流探訪
(8/8訂正 タイトルに掲げた本埜村は2010年3月に印西市と合併したということですので訂正します。)

先日、業務移動中に気を引かれる谷戸田の風景を目にしたのでさっそく訪れてみました。
今回はこの橋からの谷戸田の風景をできれば青空を背景にして撮りたかったのです。
撮影日はすべて2011/08/06です。

目的地は最寄り駅でいうと北総鉄道の印西牧の原
あるいは成田線の木下になるのですが
できれば自転車で走り回ってみたいので
レンタサイクルを探してみると我孫子にありました。
我孫子駅から目的地までは地図でみると直線距離で16km程度で
かつ、谷戸(亀成川)の流れは手賀沼方向だったので
源流探訪という形にしてこの谷戸をずっとさかのぼってみることにしました
駅周辺のインホメ-ションセンターでレンタサイクルセンターの場所を聞き、
地図(「TeGaマップ」「手賀沼流域湧水マップ」)も手に入れました。
「手賀沼流域湧水マップ」は水路表示がわかりやすく今回の目的には好都合でした。
<我孫子駅前>
 
<右:サイクルパーク我孫子南、レンタサイクルの受付はここで>
レンタサイクル一日300円です。ここの他に5ヶ所ステーションがあります。

駅前から手賀沼公園に向かって下り、手賀大橋を渡って南岸を行きました。
天気は曇り。

<手賀大橋からの手賀沼>

ご覧のとおりここの手賀沼南岸のサイクリングロードは一般車道かと思うほどの広さです。
(難点は、夏はアスファルトからの熱で暑いこと。もっともこれは一般車道でも同じですが。なんとかしてくれ)


ハスの花を横目に


手賀沼をすぎて手賀川を行きますと南から「下手賀沼」からの流れが合流します。
亀成川はこの「下手賀沼」からの流れに合流しています。
そこで手賀川沿いを離れて南の「下手賀沼」方向に向かいました。
 
<下手賀沼の出口に架かる橋。これを渡って印西市へ入る>

いよいよ亀成川にでました。
 
<亀成橋から 左:下流方向、右:上流方向>

ここから谷戸田の風景がずっと続くだけです。いやそれが見たいから来たのです。


 
川沿いに進もうと思いましたが
土手が草深くて、ひよってしまい
脇の集落道を行くことにしました。
(草深いのは一部区間だけだったようですが)







やがて集落も消えて道は農道しかなくなります。


合流点から5kmくらいさかのぼると、谷戸の風景はいぜんとしてのどかです、
でも南側の台地上はニュータウン?として開発されています。


撮影目的地(旧本埜村滝にある橋)につきました。
谷の南側(写真右側)の台地に新しい街並みが姿を見せます。
天気も青空が見えるようになりました。


同じ橋の上から亀成川の下流方向を。


どこまでいけるかこの谷をさかのぼってみます。


左の林には学校の学習林の看板が立っていました。


左右の丘が接近し谷地形はなくなります。上り詰めるとバス停のある舗装道路に出ました。
下の右の写真の林の向こう側は印旛沼の水系になるようです。
ここで探訪を終えて、来た道をそのまま引き返すことにしました。
 

さきほどの橋のところで
調整池からの流れが南から合流してきます。
こちらも亀成川の水源の一つ。
(あるいは元はこちらが本流だったのかもしれません)



 



やはり青空はいい。暑いですが。

こんな風景が見たくてやってきたのでした。暑いですが。



最後に、「行き」に見逃した亀成川の流末(合流点)を見ておきましょう。これでおしまいです。

<亀成川合流部。奥から亀成川が流れ込んでT字形に合流しています。>



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平井川

2011年06月05日 | 源流探訪

平井川の源流を訪ねました。

<平井川源流 2011/06/04>

地点については下の地図を参照下さい。 

 

睦橋の上流側、多摩川の右岸からスタート

 

 

五日市線の多摩川の鉄橋あたりで平井川は多摩川に合流します。 

 

南小宮橋から下流方向

 

尾崎橋

  

 

圏央道が丘陵に突き刺さっている所

 

平井橋から下流方向

 

左:utopia bridge  なにゆえユートピア?

右:材木屋さんがだんだん多くなってきました。

   

 

御新造橋から上流方向。5/21(右)には水が涸れていました。

 

<左:2011/06/04、右:2011/05/21>

 

岩井橋付近。5/21にはこの少し上流から涸れていました。

渇水期にはここから堀口橋の下流あたりまで表流水がなくなるようです。

 

<左:2011/06/04、右:2011/05/21>

 

岩井のあたり。材木屋さん。

 

 

さかな園バーベキューハウスのあたり。

 

熊野神社入り口。日の出山登山コースはここで左折。

 

日の出山登山コースはここから山道へ。

平井川水源へはまっすぐすすみます。(登山道からも行かれますが)

 

水源近し。

 

 

水源付近は花粉症対策事業で杉林が伐採されました。

(5/20まで通行止めになっていましたが現在は歩いて通れます)

 

同上所。碑が建っています。

 

写真中央付近から水が湧いています。

 

さらに登って平井川の谷を振り返ります。

 

麻生山方面へ。平井川の流域境界になっています。

 

<国土地理院発行1:25000地形図をカシミール3Dで加工し縮小>

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笹久保堀切 藤沢市

2010年01月30日 | 源流探訪

<笹久保 堀切の谷戸>

 小出川の源流について、『藤沢市史』(第五巻 p.366-367)に次のような記述があります。
「小出川は相模川の支流である。遠藤村の字琵琶島に発し、途中、主として打戻方面からの支流を合わせ南下し、
相模川河口付近において、相模川に合流している。」

 琵琶島あたりの「水源部」は現在ゴルフ練習場と住宅地に取り囲まれています。
 

 一方こちら(笹久保 堀切)は、慶応大学の看護医療学部の奥(上流側)にある谷戸です。
こちらは、こちらで不法投棄監視用カメラが設置されている旨の表示がありました。
(そうして見ると、都市周辺の中小河川で、
引地川のように水源が公園として保全されている川は貴重に思えます。)
ともかくも、こちらには谷戸の小さな流れが残っていました。
 

 途中に道標があり、案内板には、
「この辺りは笹久保堀切りと呼ばれ・・・」(遠藤まちづくり推進協議会)
と書かれています。
 

 ここは、前回の菖蒲沢と隣合わせの谷戸ですが、菖蒲沢は引地川へ、こちらは小出川へ。
下の地図で「堀切」の文字の下の赤い点が今回の冒頭写真のだいたいの位置です。
「菖蒲沢」の文字の上の赤い点は前回の冒頭写真の位置。
標高は高い方から白>黄色>黄緑>水色>青の順です。

<地図:国土地理院発行 1:25000地形図 「藤沢」図幅 より
杉本智彦著『カシミール3D図解実例集』実業之日本社 を用いて加工>
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菖蒲沢 藤沢市

2010年01月23日 | 源流探訪
菖蒲沢という地名は他所にもけっこうあるようですが、ここは藤沢市。

<文末地図の地点4のあたり>

昨年の9月に、はじめてここに来ました。
狭い範囲ですが、谷戸の風景が残っていて、いいなと思いました。

<文末地図の地点4のあたり>

『藤沢市史』(第五巻、p.359地図、p.370菖蒲沢村についての記述)を見ますと、
ここの水は一色川となって引地川に注いでいるようです。
引地川からさかのぼってたどってみることにしました。

<引地川に落ちる一色川>

一色川はずっと味気ない水路が続きます
 
しばらく行くと暗渠になってしまいます。
 
<左:このすぐ上流で暗渠に、右:菖蒲沢団地のあたり。白いフェンスの右側が川だったようです>

さらにたどって行きますと大きな道路にぶつかりました。道路を渡り進むと再び水路が現れます
 
<左:このあたり開発の最中という感じでした。右:地図の地点1、ここよりすこし下流で水路が現れます>

豊受大神の南側の小道をたどりますと、冒頭写真のところにでます。
 
<左:豊受大神;地図の地点2、右:地図の地点4>

<地図の地点3のあたり>

上流に進むと水田はおしまいとなり、工場地帯となります。
 
<地図の地点5のあたり。水田はここでおしまい>

さらに西に向かうと谷をのぼり切って平坦な感じになります。
南側には菖蒲沢のバス停があります。
このバス道路が菖蒲沢(引地川水系)と小出川の水系(最終的に相模川に合流)の
分水界になっていそうです。

 
<左:地図の地点6のあたり、右:菖蒲沢のバス停;地図の地点7>


<地図:杉本智彦著『カシミール3D図解実例集』実業之日本社 を用いて
 国土地理院発行 1:25000地形図 「藤沢」図幅 より>
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目久尻川

2009年09月29日 | 源流探訪

<海老名市本郷  東海道新幹線 新横浜方向>

東京から東海道新幹線にのり車窓風景をながめていますと、
新横浜を出てしばらくして、相鉄いずみの線を過ぎ、
相模川を渡るすこし手前あたりで、ゆるい丘陵や水田風景が見え隠れします。
このあたりいつか訪れてみようと思っていました。
地図でみると目久尻川の流域がおもしろそうなので、
上流から相模川との合流点までたどってみました。

まず略図を載せておきます。


地図中の番号は、
撮影地点です。
画像をクリックすると
別ウインドウで同じ地図が
表示されます。

























<目久尻川・撮影地点略図>

●上流探訪
一級河川目久尻川の起点は座間市栗原小池です。(地点5)

<地点5>
しかしここは水源ではありませんのでここから水源探訪をはじめます。
国土地理院の2万5千分の一地図では、
相武台東小学校の南側で水路表示が途切れています。
しかし、そこもまだ上流端ではありません。
学校の北側に回ってみますとコンクリートの水路がまだ続いています。
水路をたどって先へすすんで行くと小田急線に遮られます。

<左:地点3小田急線の東側(地上に現れている水路としてはこのあたりが上流端となる)、
 右:地点4 住宅地の中をコンクリート水路が続く>

小田急線の西側に回ってみますと暗渠となっています。

     <小田急線の車窓から西方向 小田急相模原-相武台前 間>

ここから先は谷地形をたどって昔の水源を探すことになります。
県道51号を渡ると相武台病院の北側に、「下水道管理用地」の表示があります。
さらに進んで相武台小学校の東側あたりに出ると雨水調整池があります。
勾配からしてこのあたりが昔の上流端だったのかなと私は想像しています。
一応ここを地点1としてみました。

<左:地点1 雨水調整池、右:地点2 座間市「下水道管理用地」の表示がある>

しかし、谷地形はまだ続いています。
どのあたりまで水が流れていたのか(昔の最上流端)は、
もう現地観察ではわかりません。
いずれにしろ昔の水源地は現在は完全に市街地に取り込まれています。


谷地形をさらにたどると、
相模原市相模台6丁目と桜台の境界線、
相模台中学の西側まで来ました。
私がたどれたのはこのあたりまでです。
(ただし目久尻川の谷筋はここだけではありません。)


<地点0:相模台中学の西側>

国土地理院サイトで昔の航空写真を見てみると、
(たとえば1948/01/18米軍撮影 USA-M852-111
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M852&photono=111 )
さすがに水路まではわかりませんが、
上記地図の地点2あたりまで谷の斜面沿いに樹林があるようなので、
およその地形がたどれます。
当時の周辺には住宅らしいものが映っていません。畑と樹林のようです。

今ではそのような風景を思い描くのは難しいですが、
たとえば、『相模原-その開発と変貌-』(相模原市 相模原市立博物館、平成16年)には、
昭和30年ころの相模原6丁目付近の風景(p.30-31)や、
昭和20年代の清新付近の雑木林(p.23。)の写真が載っています。
これらの写真は今話題にしている場所よりもっと西側(横浜線相模原駅に近い)
のものです。
「相模原6丁目付近の風景」のような農地の広がる相模原台地の風景は、
今では綾瀬市早川付近(後述の地点9)など限られたところでしか見られません。
「清新付近の雑木林」の写真はちょっとメルヘンチックです。
現在の相模原市には雑木林として大野台や西大沼あたりに「こもれびの森」が
ありますが、それに比べると、この写真の雑木林は樹高が低いです。

数値地図を利用して谷地形を描いてみますと次のような感じになります。

 <『カシミール3D』使用。 
   国土地理院1/25000地形図
   「原町田」「座間」の一部を加工>

  色分けは
    標高82m以上を無色、
      81m以上を黄緑、
      80m以上を水色、
      70m以上を青
      60m以上を群青
 としてみました。
 赤い矢印は撮影地点と方向です。
 地点番号は上記の地図と同じです。








●下流探訪
地点5に戻って、下流探訪に向かいます。
地点4とは打って変わって、このあたりから
谷底と両岸の台地上部との高低差が大きくなり、ちょっとした谷の風景となります。

<地点6 座間市栗原 下流方向 1>

とは言え、両岸は住宅地です。

<地点6 座間市栗原 下流方向 2>

しばらく、両岸は住宅地です。

<地点7 座間市南栗原 上流方向>

相鉄線のあたりからだんだん水田が現れてきます。
相鉄線車窓から 動画約4秒 346908バイト

<地点8 相鉄線車窓から下流方向 かしわ台-海老名 間>

東名高速の高架を過ぎ、綾瀬市の早川城山公園の下あたり。

<地点10 綾瀬市早川>

さて、地図をみると、台地の上、綾瀬市役所の南側に畑の記号が広がっています。
面積はおおざっぱに50から100haくらいあります。
(面積比較としてたとえば明治神宮がたしか70か80haくらいです。)
相模原台地上で畑地がまとまって残っているところはほかに
米軍のキャンプ座間の北側あたりしか思い当たりません。
どういう理由でここに農地が残っているのか知りませんが、
ともかく見に行かねばなりません。

地図の左の赤丸点
(「伊勢山」の上)
は地点10、
右の赤丸点
(「北山上」の上)
は地点9です。

『カシミール3D』使用。
国土地理院
1/25000地形図 「座間」
の一部を縮小加工








広大な米軍基地は別として、
「相模野の俤は今、綾瀬市早川にわずかに残れり」という感じでしょうか。

<地点9 綾瀬市早川>


最初に述べた新幹線の車窓風景はこのあたり(地点11)。
両岸の台地との高低差も小さくなり平坦地に出てきたという感じになります。

<地点11 新幹線の高架下あたりから下流方向>

相模線と交差するあたりは完全に平坦地です。
このあたりを過ぎるとだんだんと工業地が現れます。
沿川はおおむね川沿いに歩道・自転車道がありますが、
相模線のところは川沿いに進めません。
相模線車窓から 動画約2秒 バイト

<地点12 相模線の車窓から下流方向 寒川-宮山 間>

そして相模川との合流点に着きました。

<地点13 湘南銀河大橋から。目久尻川・相模川合流点>




























 





 
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引地川水源地

2009年08月30日 | 源流探訪

          <大和市にある引地川水源地(「泉の森」内)>
大和市の「泉の森」に行ってみました。
お目当ては引地川水源地。
私はこういう水の流れを見ていて飽きません。

この場所は、「柳明」にコメントいただいた
「大和市の住人」さんのサイト
『大和市の四季 なんじゃもんじゃ写真館』で知りました。
http://park.geocities.jp/yat5aze2/indexpark.html



                <水源地のフェンスの向こう>
水源部には立ち入りできませんが、
フェンスの編み目の隙間から撮ってみました。


   
           <自然観察センターしらかしの家のベンチにて>
「泉の森」には自然観察センターや湿性植物園があってこちらも飽きないです。



                        <けやき>
「泉の森」からすこし下流の「ふれあいの森」にて。
典型的なけやきの樹形とは言えませんが。けやきの大木。


引地川は藤沢市の「隠れ里」を訪れたときに下流の川沿いを歩きました。
今回は途中を省略していきなり水源を訪れてしまいました。


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鶴見川源流2

2008年06月29日 | 源流探訪

<鶴見川源源流にある谷地田>

前回、源蔵さんからコメントをいただいた、鶴見川の「源源流」の流れを追ってみることにしました。最初の目的は、「源源流」の流れがどうやって「泉のひろば」の脇に出てくるのかを追ってみたいということだけだったのですが、源源流をどこまで遡れるのかついつい深入りしてしまいました。
 現地であらためて見てみますと、下の地図の地点3付近で源源流の谷は道路と同じレベルあるいは道路より高くなってしまいます。なんだか土砂で谷が埋まってしまったかのような地形です。流れがどうなってしまうのかは周辺から見て確認できません。まあ、この流れが伏流水になって地表から消えてしまわない限り、暗渠に入るしかありません。
 この疑問について、今のところ私には現地で簡単に確かめる方法が思いつきません。「何かわかればもうけもの」という程度の期待で、「野火止用水の流末探訪」のときにそこそこ役に立った簡単な水質(水温、電気伝導率、pH)を調べてみました。比較のために、周辺のいくつかの流れでも同じ水質項目を調べてみました。

調べた日 2008年6月28日
調べた地点 (最後の地図参照)

地点1 時刻 11:55 水温16.3℃ pH6.6 電気伝導率31.0 mS/m
源源流の最上流部。梅雨時のせいもあろうが、こんな高い位置からそこそこの量の水が流れ出していたのは意外だった。この地点のすぐ10mくらい上は尾根幹線沿いにある「タマホーム」の敷地との境界である。タマホームの赤い建物が林間に見えていた。

<左:上流方向。右:下流方向を>

<最上流部の湧出状況。ちょうど日が差してスポットライトがあたったような感じになる。底には水で洗われた礫が見えている。> 

地点2 時刻 11:40 水温17.8℃ pH6.7 電気伝導率6.7 mS/m
源源流の谷を下から進むと、しばらく行ってよこやまの道方向に向かってのぼりが急になる。その登り口のすこし手前にある谷戸田。田の横の水路で水質を調べた。


地点3 時刻 12:15ころ 水温19.6℃ pH7.1 電気伝導率14.2 mS/m
源源流が姿を消す問題の地点。

<左:源源流の流れは林の手前 右:ここで水を汲む>

地点4 時刻 12:25 水温19.0℃ pH7.1 電気伝導率14.2mS/m
泉の広場の上流側にあらわれる水路。地点3からつながっていると想定される地点

地点5 時刻 12:30 水温17.2℃ pH6.9 電気伝導率27.5 mS/m
泉の出口


地点6 時刻 12:45 水温19.4℃ pH7.0 電気伝導率14.7mS/m
もうひとつ別の源流の谷(南の谷?)。この地点のすぐ上流側では水が流れていなかった。

<左:上流方向 右:下流方向>

地点7 時刻 11:15 水温18.8℃ pH6.8 電気伝導率7.0mS/m 
よこやまの道の唐木田配水所の裏から泉のひろばへと向かうコースの途中の谷(前回紹介した「谷底」)。この流れは正山寺の西側の谷(野中谷戸?)に出る。前回の流れは常時流れている流れではなかったのでほんのすこし下流で測定を行う。

<左:上流方向。このときは水が流れていなかった 右:下流方向>


<この谷戸に下る坂道にホオノキの大木が2本>

その他 アサザ池出口
時刻 15:50 水温20.7℃ pH6.8 電気伝導率19.5 mS/m
アサザが咲いているかどうかを見にアサザ池に立ち寄ったのでついでに水質も調べた。
もうアサザが咲いていた。



水質データについて
●地点3と地点4でpHと電気伝導率の値が同じになり、「3と4は同じ水だ」と言いたいところですが、野火止用水の時と違って、この水は排水処理のような特殊な水ではないため、このデータだけから、これらが同じ水だとは決定的には言えません。(例えば、西の谷の水も14.7と近い値を示していますので、この辺りの水は一般的にこの位の値を示す可能性があるため)
とはいえ、地点3と地点4は違う水だとも断定されなかったことになります。
なんとも歯切れが悪ですが、このくらいしか言えません。
●他の地点のデータを見てみましょう。多摩地区周辺の湧水の電気伝導率は、およそ20~30mS/m程度を示すことが多いですので、供給源が雨水だけで、人為の影響(施肥や排水の流入など)が少ないとすれば地点1と地点5はそこそこ地中を通ってきた水だと言えます。逆に地点2と地点7はあまり地中を通っていない水ということになります。
「そこそこ地中を通ってきた」というのが、どのくらいの時間オーダーなのか、数時間なのか、数日なのか、数十日なのか、数百日なのか、あるいは特定の地層を通らねばだめなのか私にはわかりません。
●それから多摩地区周辺の湧水では、やはり十分地中を通ってきた水は水温がだいたい15~17℃くらいで、年間を通じて比較的一定な値を示します。今回の測定では地点1が16.3℃で一番低い値を示しています。もっともこの地点は冬場になると流れていない可能性があります。



地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)所収
   国土地理院2万5千分の1地形図「武蔵府中」より
(地点2、地点7の位置はあまり自信がありません。後日確認します。)


コメント (4)
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