失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

夕暮

2011年10月30日 | Weblog
10/16の記事「夕景」に写真を追加し、タイトルを「夕暮」とあらためました。


<多摩第一小学校 2011/10/15>


<2011/10/28 府中市南町>


<2011/10/28 府中市多摩川左岸>

「枕草子」にあるとおり、「秋は夕暮」です。

もっとも、夕暮れが一番美しいのは冬だと私は前に書いたかな。

<2011/1/31 府中市多摩川左岸>

清少納言は見ることのできなかった、「街の明かり」という現代の夕暮れを色取る新しい美。
だが、美しいだけでは済まなくなってしまいました。
今年は転換の年となるか。
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夢の中でちょっと昔にタイムスリップ

2011年10月23日 | 記憶の中、夢の中
これも、たわいのない夢の話。夢なので飛躍・錯誤があります。

街中を歩いていた。
ずいぶん前に取りこわされてなくなっていたはずの○○屋さんの建物があった。
「これはしめた。過去にもどったに違いない。写真を撮らなければ」
と家に帰ってカメラを探す。昔なのでデジカメはない。
カメラにはフイルムが数枚残っていた。
○○屋さんの建物をはじめ、街をぶらついて何枚か写真を撮る。
最後に駅に行くと、高架のホームから線路がまっすぐ伸びているのが見える。
「国分寺駅の下河原線の線路だ」とすぐさま思った。
写真を撮って、ここで目が覚めた。

●夢で撮った写真はもちろん残っていませんが、
その「○○屋さん」のイメージに近い写真を探してみるとこんな感じ。

<文京区菊坂 2010年>

あるいはこんな感じ

<花巻市 台温泉 2010年>

記憶を克明に絵に描ける人がいますが、うらやましいです。
私は現実にあるものすらうまく描けない。まして少しぼやけた記憶の中の絵はとても描けません。
なんとか記憶の中、夢の中の風景を描いてみたくて、昨年あたりからスケッチの練習を始めました。
描いているときは、一切を忘れてそれに没頭できるのがいいです。でもあまり上達していません。


●さて、下河原線についてですが、私は、小学校の遠足で1回乗ったことがあるだけです。
このときのことは車窓風景も国分寺駅のホームもほとんど思い浮かべることができません。

現地説明板から抜粋して下河原線について最低限の説明をしておきますと、
明治43年(1910)に東京砂利鉄道として、多摩川の砂利運搬を目的として、
国分寺・下河原(府中市南町3丁目)間に開通。
のちに東京競馬場の開設により旅客業務を行うようになったが、武蔵野線の開通にともない、
昭和51年(1976)9月に廃線となる。


線路跡の一部は「下河原緑道」になっています。

「下河原線」でネット検索するとたくさんヒットします。詳しくはそちらで。
2つほど紹介してみますと、

・昔の写真については
「在りし日の下河原線」http://www.geocities.jp/rail_m_eg/shimogawara_n.htm
http://rail-m-eg.my.coocan.jp/shimogawara_n.htm


・下河原線の跡地については
http://www.ogaemon.com/haisen/simogawara-sen/simogawara.html
「おがえもん廃線研究所」国鉄下河原線廃線調査写真のページ

など興味深かく拝見しました。

自治体等発行の写真集では
・『むかしの府中』(府中市、昭和55年発行、pp.130-133)、
  写真17枚
・『あの日府中』(府中市、平成22年発行、p.20、p.76、pp.104-108)、
  写真20枚(現在の写真を除く)
・『アルバム 国分寺』(国分寺市、平成6年発行、p.82、p.90)、
  写真2枚(雪の下河原線ホーム/昭和49年、下河原線府中街道踏切/昭和41年)
・『目でみる多摩の一世紀』((財)東京市町村自治調査会、平成5年発行、p.69)
  写真1枚(国分寺駅ホームと車両/昭和48年)
などがあります。

国分寺駅のホームの写真をみると、私が夢でみたものとは違いました。

『むかしの府中』の中の1枚(写真番号309 南武線との交差部あたりから下河原方向)と
現在と横並べ比較してみます。

<左:現地案内板に複製されている写真、昭和2年。『むかしの府中』写真309に該当、
 右:同所付近2011/10/22 木立のあるところが坪の宮>

レールの一部が記念として残されています。

<府中市宮西町 2011/10/22>

旅客駅の終点は「東京競馬場前」で、現在府中本町駅の南側です。
昨年取り上げた「あかり恋し」http://blog.goo.ne.jp/minazukikoya/e/4b98296915343dd4a375e2b93c6ad27a
のこの場所です。

<下河原線東京競馬場前駅のあったところ 府中市本町 2010/12>

最後に、『むかしの府中』の中のもう1枚
(写真318「終点の下河原、現南町4丁目付近、昭和51年)は、
私に「世界の果て」
http://blog.goo.ne.jp/minazukikoya/e/76103f096eb47c593eae5998115f9873
のイメージを思いおこさせます。
当時は子供心に、このあたりを荒涼とした場所と感じており、
そこに伸びている鉄道線路は異界から通じている道のように映っていたのかもしれません。
子供のころの時間スケール、距離スケールは今の自分のものとは違っていたのは確かです。

<下河原線の貨物線の終点からそう遠くないところ 府中市南町下河原緑道 2010/05/02>

(10/27追記:「そこに伸びている鉄道線路は異界から通じている道」
 というイメージはずっと後になってから上塗りされたものかもしれません。
 アンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ストーカー』(1979)に
 ゾーンに入っていく線路と貨物機関車のシーンがあります。
 私はビデオでこれを2-3回みてますから)










コメント (2)
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多摩川に架かる橋

2011年10月10日 | Weblog
この連休に青空を期待していましたが、いまひとつでした。


<2011/10/10 睦橋 福生側から>


<2011/10/1 中央自動車道 国立側から>
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白坂横穴古墳群への道 町田市三輪

2011年10月02日 | 残ってほしい風景
町田市三輪で鶴見川から緑山に向かって丘を登って行きますと途中に高蔵寺というお寺があります。
このお寺の前を通っていく道がいいです。
今日は曇りで写真はいまいちでしたが、実物(この場所)はいいのです。
 
<高蔵寺への入り口、高蔵寺前の道>


<こちらの畑はしばし足を止めて眺めていたいと思う>


<榧の木があります。落ちた実が車につぶされてにおいが強烈に漂っていました>


<曇りの日ながら赤は鮮烈>


<道は下りになり、白坂横穴古墳群の案内板が目にとまりました>

 
<階段をちょっと上って覗いてみました。右はお遊び合成>


<坂を下りきりました。キンモクセイのかおり漂う季節となっていました>

ここからさらに足をのばして椙山神社、妙福寺の横を通って、
横浜市寺家のふるさと村へ抜けるのが私の自転車ポタリングコースです。
薬師池公園の古民家(村野家)の旧所在地も近くです。





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