失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

旧柳沢家住宅 再訪2022/5/5 国立市

2022年05月07日 | 民家園
国立市の旧柳沢家住宅2022/5/5の風景 





なんていい季節なんだろう

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次大夫堀公園民家園 世田谷区喜多見

2019年05月12日 | 民家園

<旧安藤家住宅>


<旧城田家住宅>


<旧加藤家住宅>

<旧加藤家住宅>


<園路>

<園路>

<2019/5/3 撮影>
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三溪園 

2014年08月17日 | 民家園

<三渓園 矢箆原家>

先日、横浜本牧の三溪園で開かれた体験講座「紙で組み立てる合掌造り」に行きました。
会場は、園内の「鶴翔閣」でした。

<鶴翔閣 玄関>

<鶴翔鶴 客間>

<鶴翔鶴 茶の間 当日の会場>

<紙で組み立てる合掌造り キット>キット代は200円。ミュージアムショップでは売っていません。
この講座でのみ入手可能のようです。

<紙で組み立てる合掌造り キット 矢箆原家>組み立て完成。
私としては、自作のものを別として初めて見つけた古民家ペーパーモデルでした。

モデル完成後、矢箆原家に向かいます。

<矢箆原家>

<矢箆原家 正面から>

<矢箆原家 玄関の横>

<矢箆原家 二階から>

<矢箆原家 広間>


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日本民家園・生田緑地

2014年01月25日 | 民家園

<川崎市立日本民家園 旧北村家小正月行事かざり 2014/01/18>


<川崎市立日本民家園 旧北村家小正月行事かざり 2014/01/18>


<川崎市立日本民家園 2014/01/18>


<生田緑地 メタセコイア 2014/01/18>
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房総のむら

2012年06月10日 | 民家園
かくれ里探訪で以前に訪れた千葉県印旛郡栄町の岩屋古墳の近くに
千葉県立「房総のむら」があります。
今回も成田線の下総松崎駅から歩いて行きました。 
天気予報は曇りでしたが青空の見える天気でした。撮影日 2012/06/10

<下総松崎駅>

「房総のむら」というと「商家の町並み」がいわば表看板的な見どころです。

<「商家の町並み」 ちょっとベアトの写真「厚木」や「原町田」風に白黒にしてみました>

もちろん商家だけではなく、園内に畑や水田があるのも魅力のひとつです。

<房総のむら 園内>

<房総のむら 園内>

案内パンフレットによると園内の建物は「再現」となっています。

<「上総の農家」の前>


<厄除けの「綱つり」の展示>
私は「ヨウカゾウ」以来、魔除け厄除けの風習に多少興味を持っています。
これも蟹の殻を使った災厄よけ
 
<「安房の農家」の「蟹殻掛け」>


<「安房の農家」>


<「下総の農家」>


なお、園(有料エリア)の隣接地に「旧平野家住宅」と「旧御子神家住宅」があります。
またの機会に。



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都筑民家園 大塚・歳勝土遺跡公園 (横浜市都筑区)

2012年05月27日 | 民家園
今回は横浜市都筑区にある都筑民家園と大塚・歳勝土遺跡公園に行ってみました。
撮影日はすべて2012/05/27。

<旧長沢家住宅>




新旧住宅のとりあわせを「対比の妙」とみるか「雰囲気ぶちこわし」と見るか


現地の解説板には長沢家の旧所在地が航空写真の上に示されていました。
ここまで載せてくれる解説板は今まで見た記憶がありません。
この航空写真を見ると旧所在地は今は公園のようになっているようで
民家園からそんなに遠くないので帰りに立ち寄ってみました。
下の写真でみるように開発前の谷地形を利用した散策路が続いていて緑がきれいでした。
解説板によると昔は谷戸田だったようです。

<四季舞橋から 旧所在地付近>

話を民家園にもどしますと、
民家園の隣接地というか同一公園内というべきところに大塚・歳勝土遺跡公園があります。
大塚遺跡の方は弥生時代の環濠集落遺跡です。

<復元環濠 木柵まで復元されていて雰囲気出てます>

<移動復元した縦穴住居跡>

<復元住居内から>


まるで古民家の茅葺き屋根だけが地面にのっているかのようです。
というかこちらが元祖と言うべきか



これも新旧住居の対比がおもしろかったりします。




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相模原市古民家園

2012年05月13日 | 民家園
相模原市古民家園は相模川自然の村公園内にあります。


大島坂を下って相模川の低地部までおります。けっこう下ります。

自然の村公園はこの写真↓より左側。


古民家園の解説を見ますと「旧青柳寺庫裡」となっています。

そう言われてみると、書院があったり、どことなくお寺さんの感じもしてきます。

パンフレットには旧所在地:相模原市上鶴間2958番地と書かれていまして、

地図で現在の青柳寺を探してみると、町田駅からおよそ400mくらいのところでした。



古民家園の前の園路。もうすこし新緑の季節を楽しみたいです。


撮影日:2012/05/13





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民家園探訪(番外) 東村山市

2011年05月21日 | 民家園

民家園探訪の番外として東村山市の旧武藤家住宅が移設されていた場所を訪ねてみました。

<2011/05/08 八国山たいけんの里>
東村山市にあった旧武藤家住宅主屋は平成11年に焼けてしまいました(解説板記載による)。
上の写真は旧武藤家住宅が移築されていたところ(現在は八国山たいけんの里)です。
白壁の倉の右側にあったそうです。



 青のエリアが東村山市
 みどりのエリアは
 このブログで取り上げた市
 は八国山たいけんの里のおよその位置
 東村山市野口町3-48







<2011/05/08 西武西武園線>
「たいけんの里」のすぐ北側を西武線が通っています。

<2011/05/08 八国山緑地>
踏切を渡ると八国山緑地になります。

<2011/05/08 東村山市秋津>
旧武藤家住宅の旧所在地は秋津1-6。清瀬市の旧森田家住宅の旧所在地に近いです。



旧武藤家住宅焼失を惜しんでペーパーモデルを作ってみることにしました。

東村山市教育委員会『かやぶき民家保存の記録』(1985)に載っている1:100の図面をもとに
展開図をつくり、厚紙(ティッシュペーパーの空き箱)に転写して部品を切り出し

テープで仮止めし仮組しました。
このくらいの出来映えまででしたら、思っていたほど難しくはありません。
もうすこし精巧に仕上げようとするなら、使用材料や部品の切り分け方、貼り付け方
などをもうすこし工夫しないとだめです。

今回はこのあと不具合を直し、色塗りして完成とする予定です。
後日完成したら(見せられる程度の出来映えだったら)その写真を追加します。

(おわり)

5/22 文言一部修正


今回はこれで完成です。(2011/05/29作成)


模型の屋根を葺きかえてみました。(2011/06/12)

最終的にこうなりました。
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民家園探訪 多摩市 旧有山家、旧加藤家再訪 

2011年04月16日 | 民家園

<多摩市一本杉公園 旧加藤家住宅 2011/04/16>

前回、多摩地区近辺の民家園巡りをした感想を述べてみました。
しかし、そもそも私の民家園巡りの発端は、
屋内での写真撮影の可否について比べてみようということだったのに
そのまとめの報告を忘れていましたので、
ここではじめに補足しておきます。
これまでに訪れた地域は16(あきる野市、青梅市、清瀬市、国立市、小金井市、小平市、狛江市、立川市、
多摩市、羽村市、府中市、町田市、三鷹市、武蔵村山市、世田谷区、川崎市)です。
このうち、小金井市(江戸東京たてもの園)と武蔵村山市(里山民家)は東京都の施設です。

まず、屋内での写真撮影禁止だったのは多摩市の旧富沢家。
パンフレットに営利目的の撮影禁止と書かれていたのは小平市のふるさと村、清瀬市旧森田家住宅。
同じく「業としての撮影」に事前許可が必要と書かれていたのは川崎市日本民家園。
同じく「写真撮影は資料によってご遠慮いただくものがあります」となっていたのが江戸東京たてもの園。
写真をブログに掲載する場合に許可申請が必要だったのは羽村市郷土博物館旧下田家住宅。
その他は口頭での確認ですが写真撮影可ということでした。

あと、屋根葺きの材料ですが、
銅葺きだったのが、多摩市(旧富沢家、旧有山家、旧加藤家)と
狛江市の旧高木家長屋門でした。


さて、最初に回った多摩市については旧所在地に行っていませんでしたので
(多摩市のほかに小平市、世田谷区も)、今回花見がてら訪れてみました。
(花はもう満開を過ぎていますけれど)
旧所在地といってもそこはたいてい個人のお宅ですので、
なるべくその付近全体の風景としてとらえることにします。


 青のエリアが多摩市
 みどりのエリアは
 このブログで取り上げた市
 は一本杉公園のおよその位置
 多摩市南野2-13





●旧加藤家住宅

<一本杉公園 旧加藤家住宅 2011/04/16>

<旧加藤家住宅旧所在地付近 2011/04/16>

<旧所在地付近の南にある亀ヶ谷緑地 2011/04/16>

<旧所在地の西にある東福寺(青木葉通り沿い) 2011/04/16>

●旧有山家住宅

<一本杉公園 旧有山家住宅 2011/04/16>

<旧有山家住宅旧所在地のあたりを乞田川の対岸から 2011/04/16>

一本杉公園と旧所在地の位置関係は下の地図を参考にしてください。

<国土地理院 1:25000地形図を縮小。「カシミール3D」使用>


大石武朗(2005)『写真集多摩ニュータウン今昔』(財団法人多摩市文化振興財団)のp.15に
「14 旧家の屋敷林」という写真が載っていて、
「旧家有山家の南東からの遠望」と書かれています。
私はこの写真に写っている有山家が一本杉公園に移築された旧有山家住宅だと思っていたのですが
よく見ると屋根の形が違いますし、撮影位置も旧所在地住所と違います。
これは別の有山家でした。しかしこの写真なんともいいです。
「有山」つながりで紹介してみました。

(おしまい)
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江戸東京たてもの園 八王子千人同心組頭の家

2011年04月09日 | 民家園

<2011/03/06 江戸東京たてもの園八王子千人同心組頭の家>

●自粛気分はありますが
懐かしい風景、美しい風景を求めているうちに、
私の中では日常からすこし離れた夢幻的世界に遊んでみたいという気分が強くなっていました。
しかし日常をはさんで「夢幻的世界」とは反対側に
「非常事態」というもう一つ別の世界があることには思い及んでいませんでした。
これまで幸福(幸運)すぎたし、それが誰かの犠牲の上に成り立っていたのだと思うと、
無力感・罪悪感のようなものを感じるわけです。
明日は我が身が大災害に襲われるかもしれないし、
そんなわけで今私にも自粛気分があります。
(「忌み籠もり」とはこんなことなのだろうかなどと思ったりもします)
けれど節電などの行動は別として、気分の上での罪悪感などは何かの力になるわけでなし、
このブログは坦々と続けていけばいいのかなと思っています。
まあ、たかがこのブログ一つでそれほどたいそうな話ではないですけれど。
<4/12一部文章修正>

それでここから坦々といくことにします。
●江戸東京たてもの園八王子千人同心組頭の家
 多摩地区にある民家園の「取り」として江戸東京たてもの園をとりあげます。
 江戸東京たてもの園は都立小金井公園にあります。


 
 青のエリアが小金井市
 みどりのエリアは
 このブログで取り上げた市
 は江戸東京たてもの園のおよその位置
 小金井市桜町3-7-1
 入園料一般400円

 は八王子市追分町
     =旧所在地
 
入園時にもらえるパンフレットによると、現在の建物数は27棟です。
計画では最終的に30棟になるようです。
このうち、古民家(ここでは、茅葺きの建物ということにしておきます)は、
4棟(吉野家、八王子千人同心組頭の家、綱島家、天明家)です。
今回はこのうち八王子千人同心組頭の家だけを取りあげます。

<2011/03/06 江戸東京たてもの園八王子千人同心組頭の家>

 江戸東京たてもの園全体では写真撮影の可否、床上公開の状況は建物ごとに違いますが、
八王子千人同心組頭の家については、写真撮影可で床上公開していました。
 旧所在地は、上記のパンフレットによると八王子市追分町となっています。

また建物の解説板によると

  1893年(明治26)に日野の大火で家を焼失した溝呂木(みぞろき)家が、
 八王子にあった千人同心の子孫である塩野家から建物を買い取り、
 その部材を転用して日野市に農家を建てた。
 ・・・
  この建物は、溝呂木家の各部材に残る痕跡調査から、
 江戸時代末期の千人同心の住んでいたころに復元した。」


ということです。

●旧所在地探訪
八王子の追分町とそのとなりの千人町に行ってみました。

<2011/04/03 八王子市千人町 左:「千人町」交差点、右:興岳寺の前>

「追分」は甲州街道(現国道20号)と陣馬街道の分岐点です。
下の写真では右が陣馬街道、左が甲州街道です。

<2011/04/03 八王子市追分町>
歩道橋から見えた小道(下の左の写真の赤い矢印)の雰囲気がよさそうだったのでここに行ってみると、

<2011/04/03 八王子市追分町 左:赤色矢印の先に屋敷跡 右:左と同じ場所から反対方向を>

「八王子千人同心屋敷跡記念碑」がありました。

<2011/04/03 八王子市追分町>

ここに千人同心の解説板があります。私はこれでにわか勉強。

<2011/04/03 八王子市追分町>

これによるとこのあたりは千人頭、原家の屋敷があったということです。
江戸東京たてもの園の家は塩野家ですのでここではないです。
(旧所在地探訪は今回はこれ以上詳しくしていません)

ほかに八王子千人同心に関して私の興味を引くことは、
千人同心が『新編武蔵風土記稿』の多摩郡、高麗郡、秩父郡の調査に携わったことや、
そのうちの植田猛縉(うえだもうしん)が何枚か挿絵を描き、自らも『武蔵名勝図会』を著していることなどです。
(これらの絵については八王子市郷土資料館の展示図録
『江戸時代に描かれた多摩の風景』(2010)八王子市教育委員会発行が参考になりました。)

●古民家園をめぐったあとでの感想
これで多摩地区で公開されている主な古民家をだいたい回りましたので、振り返って思ったことをのべてみます。
古民家園の管理運営のあり方は、正反対の2つの方向があるように思いました。
一つはたくさんの人に来て楽しんでもらい、地域の集いの場として活用していこうという方向
(狛江市、小平市、世田谷区など)。
この場合ボランティアの協力(というかボランティアが主体か)が欠かせないようです。
もう一つは、凍結的な保存でいいのでなるべくよけいな手間をかけないようにしようという方向。
無料で公開している自治体としては来園者が増えても収益が増えるわけでなく、
後者の方向に流れる圧力は常にあるのではなかいと思います。
それなら入園料をとって管理費をまかなえるかというとおそらく無理でしょう。
有料化すれば来園者は減るでしょうし、入場券の販売や金銭管理やらに要する経費すらまかなえないかもしれません。
結局、その古民家を地域の中で愛される場所として活用したいという熱意を持った人たちがいて、
自分たちも楽しめるようでないと、そこが賑わうことはないのでしょう。

●全部あわせてでっかい古民家園にみたててはどうでしょう
 すこしでも来園者数を増やせという課題が、もし与えられたとしたら、私ならどんなアイデアを出すか。
二,三の思いつき(というか私はこんなものがほしいという願望)を以下に書いてみます。
まず、まず各古民家園の横の連携をはかりますかね。
多摩地区なら多摩地区全体を民家園にみたてて、所在地マップ(個別の案内図とは別に全体図を)を共同で作り、
最寄り駅からのコースはもちろんとして、それぞれの民家園をつなぐなるべく安全に歩けるあるいは自転車で行けるような散歩コースなどを掘り起こしてみる。
比較することで各地域、民家の特徴・独自性を探してセールスポイントにする。
 物品販売として、民家の模型の型紙(ペーパーモデル)を売る。
縮尺とかパッケージとかを統一して各民家園をシリーズ化する、各民家園は自分のところの模型だけを売る。
その場に行かないと買えないものにする。全部集めると・・・とか。
 郷土館附属の民家園(そうでないところは郷土館と共同企画で)だったら、
民家園を出発点にして旧所在地周辺の歴史を訪ねる行事や旧所有者の人の話を聞く会などを企画する。



 ペーパーモデルについてはいつか厚紙や段ボールを使ってどこかの民家を自作してみようと思っています。
(型紙を作って販売するわけではありません)
 頭で思い描くほどには上手く作れないので、お見せできるようなものができるかどうかはわかりませんが。

(おしまい)
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