失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

ある帷子川の風景 むかしの記憶

2023年06月13日 | 記憶の中、夢の中


今年の1月頃から帷子川(横浜市)流域周辺が気になりだして、何度か自転車や歩きで散策しました。
今回はその1回目として、私の記憶の中の帷子川中流の風景です(上の絵の風景は今も昔も存在しません)。

直接のきっかけは昨年の大河ドラマで二俣川の合戦が描かれたこと。
二俣川→相鉄線の車窓風景→帷子川→過去の記憶の喚起、といった流れです。
帷子川流域全体は私にはそれほどなじみがあったわけではないのですが、
もう半世紀近く前に友達が川べりに下宿していて、そこの風景は印象に残っていました。
とは言え、その割にそこがどこだったか正確には覚えておらず、半世紀前の風景がそのまま残っているはずもなく・・・
でも今行かないと、またいつか行く機会はやってこないかもしれないし・・・そんな感じではじまった散策です。
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少年時代に思い描いた楽しい夏休みの過ごし方

2013年07月27日 | 記憶の中、夢の中
友達と野球して

川で遊んで

魚をとって

くたびれて

夕方家に帰る


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夢のまた夢

2012年12月10日 | 記憶の中、夢の中
朝7時40分に某駅前でまちあわせの用件発生。
6時前に家を出るため、5時にめざまし時計をセットし眠りについた。
目が覚めると、7時30分。
寝坊。遅刻確定。
すぐ連絡しなければと思っているうちに、もう一度目が覚めた。
時計をみると4時すぎだった。
寝坊した夢だった。
起きてから、夢でよかったとよろこんだが、
後で考えると、寝坊したときの「しまった」という気分を1回余分に味わされたことを
悔しがるべきだったかもしれない。
いや、その後もう一度目が覚めて今度は8時だったという夢でなくてよかったのだ。
覚めても、覚めても夢の中、という入れ籠細工のような夢は、やはりいやだ。
でも本人が今を夢の中だと思っていないのなら
それは現実とあまりかわらないから、結局どっちでもいいのかもしれない。

そんなくだらないことを考えているうちに時間は去っていく。

ちなみにその日はちゃんと約束の時間に間に合いました。
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夢の中でちょっと昔にタイムスリップ

2011年10月23日 | 記憶の中、夢の中
これも、たわいのない夢の話。夢なので飛躍・錯誤があります。

街中を歩いていた。
ずいぶん前に取りこわされてなくなっていたはずの○○屋さんの建物があった。
「これはしめた。過去にもどったに違いない。写真を撮らなければ」
と家に帰ってカメラを探す。昔なのでデジカメはない。
カメラにはフイルムが数枚残っていた。
○○屋さんの建物をはじめ、街をぶらついて何枚か写真を撮る。
最後に駅に行くと、高架のホームから線路がまっすぐ伸びているのが見える。
「国分寺駅の下河原線の線路だ」とすぐさま思った。
写真を撮って、ここで目が覚めた。

●夢で撮った写真はもちろん残っていませんが、
その「○○屋さん」のイメージに近い写真を探してみるとこんな感じ。

<文京区菊坂 2010年>

あるいはこんな感じ

<花巻市 台温泉 2010年>

記憶を克明に絵に描ける人がいますが、うらやましいです。
私は現実にあるものすらうまく描けない。まして少しぼやけた記憶の中の絵はとても描けません。
なんとか記憶の中、夢の中の風景を描いてみたくて、昨年あたりからスケッチの練習を始めました。
描いているときは、一切を忘れてそれに没頭できるのがいいです。でもあまり上達していません。


●さて、下河原線についてですが、私は、小学校の遠足で1回乗ったことがあるだけです。
このときのことは車窓風景も国分寺駅のホームもほとんど思い浮かべることができません。

現地説明板から抜粋して下河原線について最低限の説明をしておきますと、
明治43年(1910)に東京砂利鉄道として、多摩川の砂利運搬を目的として、
国分寺・下河原(府中市南町3丁目)間に開通。
のちに東京競馬場の開設により旅客業務を行うようになったが、武蔵野線の開通にともない、
昭和51年(1976)9月に廃線となる。


線路跡の一部は「下河原緑道」になっています。

「下河原線」でネット検索するとたくさんヒットします。詳しくはそちらで。
2つほど紹介してみますと、

・昔の写真については
「在りし日の下河原線」http://www.geocities.jp/rail_m_eg/shimogawara_n.htm
http://rail-m-eg.my.coocan.jp/shimogawara_n.htm


・下河原線の跡地については
http://www.ogaemon.com/haisen/simogawara-sen/simogawara.html
「おがえもん廃線研究所」国鉄下河原線廃線調査写真のページ

など興味深かく拝見しました。

自治体等発行の写真集では
・『むかしの府中』(府中市、昭和55年発行、pp.130-133)、
  写真17枚
・『あの日府中』(府中市、平成22年発行、p.20、p.76、pp.104-108)、
  写真20枚(現在の写真を除く)
・『アルバム 国分寺』(国分寺市、平成6年発行、p.82、p.90)、
  写真2枚(雪の下河原線ホーム/昭和49年、下河原線府中街道踏切/昭和41年)
・『目でみる多摩の一世紀』((財)東京市町村自治調査会、平成5年発行、p.69)
  写真1枚(国分寺駅ホームと車両/昭和48年)
などがあります。

国分寺駅のホームの写真をみると、私が夢でみたものとは違いました。

『むかしの府中』の中の1枚(写真番号309 南武線との交差部あたりから下河原方向)と
現在と横並べ比較してみます。

<左:現地案内板に複製されている写真、昭和2年。『むかしの府中』写真309に該当、
 右:同所付近2011/10/22 木立のあるところが坪の宮>

レールの一部が記念として残されています。

<府中市宮西町 2011/10/22>

旅客駅の終点は「東京競馬場前」で、現在府中本町駅の南側です。
昨年取り上げた「あかり恋し」http://blog.goo.ne.jp/minazukikoya/e/4b98296915343dd4a375e2b93c6ad27a
のこの場所です。

<下河原線東京競馬場前駅のあったところ 府中市本町 2010/12>

最後に、『むかしの府中』の中のもう1枚
(写真318「終点の下河原、現南町4丁目付近、昭和51年)は、
私に「世界の果て」
http://blog.goo.ne.jp/minazukikoya/e/76103f096eb47c593eae5998115f9873
のイメージを思いおこさせます。
当時は子供心に、このあたりを荒涼とした場所と感じており、
そこに伸びている鉄道線路は異界から通じている道のように映っていたのかもしれません。
子供のころの時間スケール、距離スケールは今の自分のものとは違っていたのは確かです。

<下河原線の貨物線の終点からそう遠くないところ 府中市南町下河原緑道 2010/05/02>

(10/27追記:「そこに伸びている鉄道線路は異界から通じている道」
 というイメージはずっと後になってから上塗りされたものかもしれません。
 アンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ストーカー』(1979)に
 ゾーンに入っていく線路と貨物機関車のシーンがあります。
 私はビデオでこれを2-3回みてますから)










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夢の中で死んだ話

2011年08月14日 | 記憶の中、夢の中





さ、どうぞお乗り下さい。 <川崎市日本民家園にて 2011/08/13>

文の最後に怪談めかした「おち」をつけてありますので、
(以下の友人のコメントのところまでは作り話ではありません)
そういうものに不快を感じる方は素通りして下さい。
「怖い」というより「不快」に感じる方がいるかもしれませんので。
いないですね。
では、はじめます。

私は一度、夢の中で死んだことがあります。
夜、寝ているときになんだか圧迫感を感じて、
息苦しいのでなんとか姿勢を変えようとするのですが
体が動きません。
このままだとまずいなとあせるのですが、どうしても体が動かない。
そのうちに、苦しくてもうだめ、死んでしまいそうというほどになりました。
死ぬ時はこんなふうなのか、とか
もう少しやりたいことはあったのだけれど、
などと思っているうちに、とうとう最後の時がきて
意識(そのとき夢を見ていた自分)が消えました。
そのとき、夢の中で死んでしまったのです。
もちろん、そのとき本当に死んでいなかったからこそ
今こうしてこの文を書いているわけです。
翌朝目が覚めて、あ、生きている、とわかったときは
心底よかったと思いました。
まだもう少し何かやれるのだと。
(またとない改心の機会を得ながら、その後、必ずしも、日々を大切にし、
充実した人生を送ってきたわけではないのは凡夫の悲しさ。)

このときの自分に何が起きていたのか正確にはわかりませんが
命の危機というほどの状況にはなかったのだろうと思っています。
臨死体験者が報告しているようなことを経験することはなかったし、
死の直前に人生が走馬灯のように思い出されるということもなかったです。
(私はこの走馬燈の話を、テレビアニメ版『巨人の星』で聞いたように記憶していますが
 一体誰が言い始めたのでしょう?)


この話を友人にしたところ、
「そのとき目覚めたところはこの世ではなくあの世だったんじゃない?」
とコメントをくれました。
あははと笑いましたが、一瞬狼狽した私でした。
いったい私がこれを書いているのはこの世か、あの世か?
これを読んでくださる方はこの世の人、それともあの世の人?




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世界の果て

2011年01月05日 | 記憶の中、夢の中

本年もよろしくお願いいたします。

<2011/01/01 世田谷区 次太夫堀公園民家園>

本年1回目は、「私の家の近所にある世界の果て」という話を。

私が、小学校にあがる前か小学校低学年ころの記憶です。
近所での遊びの行動範囲はだいたい決まっていて、
そこより先には行ったことがないという場所がありました。
あるいは親に「どこそこより先へ行ってはだめよ」
などと言われていたのかもしれません。
そこまでが自分の世界のすべてで、その先はまったく未知の世界でした。

はじめて「そこより先」に行ったのはいつだったのか覚えていませんが、
大きくなるにしたがって、自分の行動範囲も広がっていくと、
「そこより先」も普通の世界になっていきます。
地球は丸いのだと教わったのはいつだったのか、これも覚えていませんが、
(近所の「世界の果て」のレベルから、
地球は丸いというレベルまでは大変な飛躍のように思いますが、
別に違和感もなく受け入れたようです)
世界の果てなど考えることも無くなりました。
(宇宙の果てというのは依然として科学の大テーマだけれど)


こどもの頃に見た「私の世界の果て」の風景は、今ではもう変わっていますが、
今でもそこに行くと、「世界の果て」に来たような感覚が少し残っています。


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夢で見たことのある温泉街、キツネにばかされたような話

2010年09月26日 | 記憶の中、夢の中
  
  四郎がおどろいて尋ねました。
  「そいじゃきつねが人をだますなんて偽(うそ)かしら」
  紺三郎が熱心に言いました。
  「偽ですとも。けだし最もひどい偽です。だまされたという人はたいていお酒に酔ったり、
  臆病でくるくるしたりした人です。・・・ 

                               宮沢賢治『雪渡り』より
 

 昨年は、9月21日に岩手県花巻市の賢治祭に出かけ、
夜の寒さに震えた話を書きました。
 今年も賢治祭に行ってきました。
今年は用心して防寒具を用意して行きましたが、
例年より暖かだったようで、
寒さに震え防寒着を着るようなことはありませんでした。
 寒さには震えなかったのですが、
前日にちょっと奇妙な体験しました。
 後で状況がわかってみれば実にしょーもないことだったのですが、
その時は「あり得ない。一体どうなっているんだ」という感じでした。
 以下で当日の再現風に写真をならべてみます。
(そのときはもう薄暗かったし写真を撮るほどの余裕もなかったので
 翌日撮った写真を加工したもの含まれています)

 今年は賢治祭の前日に花巻市の台温泉に一泊しました。
 宿には18時前に着く予定で花巻駅から自転車で向かいました。
 花巻駅から花巻温泉までは7.6kmのサイクリングロードがあります。
 台温泉は花巻温泉から台川に沿って約2km上流になります。
 この道は1本なので迷うことはないと思っていたのですが・・・。

<駅前のサイクリングロード起点>

 
実は使っていた地図がずいぶん昔のものだったことが大きな問題だったのでした。

<国土地理院1:50000地形図「花巻」昭和55年発行>

花巻温泉には17時20分ころに着いたので、あと少しと一安心したのです。

花巻温泉を過ぎると途中、岩手医科大学附属花巻温泉病院があります。


さらに進むと台温泉の案内板が出てきます。(このあたりが台温泉のバス停でした)
この案内図を見て、
私の予約した宿は温泉街の比較的奥にあることと、
道がずいぶん曲がっていることなどを確認しました。



<台温泉バス停付近>

案内板をすぎると道が登り坂になります。
温泉街がなかなか出てこないなと思っていると、トンネルになってしまいました。

トンネルを出ると下り坂になって、やっと温泉街が現れました。

このとき、この場所は一度夢で見たことがあるなと感じました。
(私は夢に印象的な場所が出てくると、書き止めておくことがあるので、
帰宅してこの夢の日付を調べてみると、2005年7月23日だった)
私の場合は夢の情景をそれほど写実的に覚えているわけではないです。
ですが、「あ、この場所だ」と思い当たる場所に出くわすことがまれにあります。
そういうときは文字通り「夢が実現した」ような気分です。


話を続けますと、台温泉についたときはもう薄暗く、
温泉街の明かりが印象的に見える時間になっていました。
先ほどの案内図で、宿は進行方向に対して道の左側だったので
左に注意して進みましたが、宿の名前は見あたらず、やがてT字路に出ました。
ここには、もう営業していないと思われるホテルがありました。

「予約先の住所が、このホテルの位置だったらこわいな」などと
『小僧の神様』みたいなことを一瞬思いました。

ともかく、道を時計回りに進んでいると思い込んでいたので、
このT字路でも時計回り、つまり右折しました。
ここを過ぎると温泉街が途絶えてしまい、予約した宿は依然としてみつかりません。
花巻温泉からもう2kmは来ているはずだし、変だなと思い始めると、
先方に温泉病院が見えます。
台温泉にも温泉病院があるのか、と無理矢理思いつつも、
案内板には花巻温泉病院と書かれています。

「え!さっき通ってきた場所にもどった?」といやな予感が・・・。
そんなはずはあるまいと言い聞かせて、先に進むと、
さっき通ったので見覚えのある花巻温泉のホテルの建物が目に入ります。

それでもまだ信じられなくて、とうとう花巻温泉までもどってしまいました。
そこで茫然です。
一本道を真っ直ぐに進んでいるのに何で元の場所に戻ってしまうのか?
キツネにばかされたのかと思いたくなったわけです。
しかしこんなことで茫然として足を止めてしまってはサイクル・ツーリスト失格です。
(あまりに古い地図を使った時点ですでに失格なのですが)
すぐに、逆方向つまり台温泉の方向に引き返しました。
このままぐるぐるまわり続けるのか?などと思いつつ、
さっきの案内図の前に来ました。そこで今度は図をよく見ると、
なんのことはない道路は一本道ではなく環状になっています。
これでやっと状況が理解できました。
さっきの私は温泉街への入口(時計回り)
を見落として反時計回りに道を進み、ぐるっと一周して出発点にもどっていたのでした。

<ここを奥に進んで行けばよかったのでした>
そしてこの出発点を途中のT字路と思い込んで右折し、花巻温泉まで戻っていたのです。
「あり得ない状況」を作り出した原因は、一本道だという思い込みでした。
それに、もう一つ、夕暮れの薄暗さで周囲の状況がよくつかめなかったことです。



<ともかく状況がわかって安心したので写真をとる余裕が・・・ぶれましたが>

 多摩の昔がたりでも、たとえば『落合名所図絵』(峰岸松三著)には
「三角さんぜいの迷い道」(多摩市落合)として、
狐や狸にばかされたように山道でぐるぐる同じ道を回ってしまう話が載っています。
この話では道が三角形ですが、道が一周している点は同じです。
それに昼間はなんでもないが夜では迷うと書かれています。
こんなところが、私の今回の経験と共通しています。
人間は同じような状況で同じように錯覚するのかもしれません。
これでめでたく私も狐にだまされた人間に仲間入りさせてもらいました。

 いや、やっぱりキツネやタヌキは濡れ衣をきせられていますね。
「ばかされる」のではありません。
思い込みと不注意によって自分の頭が勝手に現実を書き変えてしまうのですから。
キツネやタヌキはきっと人間が勝手に混乱している場にたまたま居合わせて、
ちらっと目があったりしただけではないですか。

 以上ちょっと長話してしまいました。

 台温泉でキツネにばかされることはありませんので、
安心してこの情感ある温泉宿を訪れてみて下さい。










10/1 冒頭に引用追加
10/18追記
携帯や情報端末で現在位置や軌跡がわかるような時代になって、
キツネにばかされたなどということはもとより、道に迷うことすら
(山道ではどうかわかりませんが)もう昔話になりつつあるのかもしれません。

逆に言うと、より原始的な状態にたちもどれば
不思議な感覚を体験できるチャンスがつかめるのかもしれません。

 
10/18写真2枚差し替え
10/20写真7枚差し替え

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アイスクリーム・キャスル 

2010年07月31日 | 記憶の中、夢の中
2010/08/30 文章一部加筆


<多摩川関戸橋から上流方向 2010/07/17>

もう30数年前のことですが、某テレビ番組のオープニングに流れる曲がすっかり気に入りました。
その後、この番組もおわり、それ以後その曲を耳にすることはなくなりましたが、
私の頭の中では演奏され続け、
なんという曲か知りたいものだとひそかに思い続けておりました。
数年前に、別の某テレビ番組でこの曲がBGMとして使われているのを耳にして、
女性ボーカルの英語の歌だとわかりました。
そこで、暇にまかせて、図書館で「懐かしのヒット曲集」のようなCDを片っ端から
借りて聞いてみることにしました。
といってもイントロを聴けば探している曲かどうかだいたいわかるので
1曲を丸々全部を聞くわけでなく、CD1枚あたりチェックに要する時間は
そんなにかかりません。
11枚目にして見つかりました。
イントロを聴いた瞬間に反応しました。

こんなやり方で11枚目に見つかったのなら速いほうかもしれません。


<多摩市 多摩川堤防 2010/07/17>
曲はJudy Collinsの'Both Sides Now'でした。
1968年の映画「青春の光と影」の主題歌だったとのことです。
「アイスクリーム・キャスルズin the air」はその歌詞の一節です。
イメージにぴったりの雲はなかなかあらわれませんが、上の写真は「仮おさえ」ということで・・・。

<多摩市 多摩川堤防 2010/07/17>
30数年前のメロディーとともに思い出すことは
夏、ときどきこの近くにあった市営プールに行ったこと。


メロディーを鼻歌で入力すると曲名候補を挙げてくれるソフト(サイト?)があると
ずっと前にきいたことがありますが試したことはありません。

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クスノキと樟脳のにおい

2010年06月27日 | 記憶の中、夢の中
今年前半(1~6月)の定点撮影を動画にしてアップロードしたのですが、
なんだか表示がうまくいかなくて動画はちょっと中断です。

そのかわりではないのですが、クスノキのにおいを話題にしてみます。
クスノキの花は、今年の例でいうと、多摩ニュータウンでは
5月の中旬くらいにつぼみが目立つようになりぽつぽつと咲き始まりました。
6月の中旬くらいまで咲いていました。

<クスノキの花 左5/22 右上5/29 右下6/5 場所:多摩ニュータウン>

クスノキは花の時期に限らず、木の近くを通ると芳香を感じます。
私は、今の時期の湿っぽい空気にただよってくるクスノキのかおりで
けだるい気分がほんのすこし引き締まります。

クスノキのにおいと言えば防虫剤として使う「樟脳」ですが、
けっこう強烈だと思います。
(樟脳は、今は化学合成できるそうですが、
 国内でクスノキから抽出しているところもあるようです。)

私はこどもの頃(小学校の低学年ころのこと)このにおいが苦手でした。
なんとも表現しがたいのですが「頭にキーンとくる」ようなにおいとでも言おうか・・・。
(今では別になんでもないにおいなのですが。)
この「樟脳」のにおい、小学校のとき以来、何十年と嗅いでないのですが、
記憶の中にはずっと残っていて思い出せるのです。
先日、あのにおいを「確認」したくなり樟脳の防虫剤を買ってみました。
「そうでしょ、やっぱりこのにおいでしょ」という感じでした。
(ちゃんとタンスで使っています。)

言葉にもできず、人にも伝えられない、そんなただの「感じ」が
においの元という実体がなくても
何十年もずっと、ありありと残るというのが不思議にも思えます。

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旅の終わりに

2010年04月17日 | 記憶の中、夢の中



<阿蘇神社、羽村市 2010/4/17>

1990年の4月16日に自転車の旅を終えて家に帰り着きました。
ちょうど20年たったのでその日をすこし振り返ってみます。
それはそうと、東京では20年どころか41年ぶりという遅い雪が降りました。
こちらは「お花見」のページに写真を一枚追加しました。


さて、当時の走行日誌によると、

1990年4月16日
天気:くもり、午後から雨
8:05 石和発
9:10 塩山
10:10-20 裂石
11:40 柳沢峠 道路脇に雪.雨ふりだす.東京都水源林の碑.
13:30-50 川野にて昼
     柳沢峠からしばらくの下りは寒くてきびしかったがすこしいって
     いくらかのぼりがあったりして体があたたまった.
     奥多摩湖ダムサイトをすぎて・・・
     青梅、羽村、福生、立川、国立と通って、とうとう帰ってきた
     羽村の玉川上水で雨中の緑の美しさをしみじみ 
18:10 自宅着
走行距離123km

以上のようなことを書いておりました。コースの概略図を載せておきます。

<地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)より
 国土地理院発行1:200000地勢図「甲府」「東京」の一部を縮小し加工>


<玉川上水 羽村市 左2010/4/10、右4/17>

最終日ということで翌日以降の心配がいらないため、この日はいつもより長距離を走っています。
一番覚えている風景は、羽村あたりから下流の多摩川。
柳沢峠付近、奥多摩湖周辺の風景はかすかに思い浮かびます。
石和、塩山、裂石あたりは日誌を読み返してもほとんど風景が浮かびません。

旅の途中では、はやく家に帰りたいなどと思ったことは一度もなかったのですが、
多摩川に沿って下り、羽村のあたりまでくると、
安堵感のためでしょうか自分の慣れ親しんだ風景が迎えてくれたような感じでした。
できればこの地(多摩地区)で土に還りたいものだと、ほんとうにそう思ったのでした。

<多摩川左岸より羽村市郷土博物館のあたりを望む 2010/4/17>
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