失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

稲城市 坂浜周辺

2012年04月29日 | 残ってほしい風景
連休前半の新緑の風景です。撮影日はすべて2012/04/29。
撮影場所は、最後の2枚以外はすべて稲城市坂浜です。



この場所には事業予定地の看板が立っていました。



この一角は、

ちょっと細道を入っていくと、

谷戸田が残っていたりして

私的には、開発で消えないでほしい風景の一つ。


以下の2枚は上谷戸大橋(地名としては若葉台)からです。




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北多摩2号水再生センター周辺

2012年04月22日 | 失われた風景

<北多摩二号水再生センター場内の水路 2012/04/08>

<北多摩二号水再生センター場内 2012/04/08>

今回は国立市にある北多摩二号水再生センター周辺の昔の写真をとりあげます。
紹介する昔の写真は4枚です。いずれも1982年4月5日に撮影したものです。
撮影地点(推定地)とだいたいの撮影方向を地図に書き入れました。

<地図1 国土地理院1:25000地形図「立川」昭和52年発行の一部を使用>
みどり色の点で囲んだところは「樹木に囲まれた居住地」として区分されているところです。
①②③④は写真の番号とします。
①②については撮影地点が正確にわからないので幅をもたせてあります(太線の矢印の範囲)。

昔の写真1枚目

<写真1 1982/04/05>
田んぼがあって、奥に樹林があって、一番奥に多摩丘陵(日野市百草周辺)が写っています。
ご覧のとおり、このあたりは田んぼあるいは休耕地で、人家はまばらでした。
昭和52年発行の地図と見比べてみると、写っている樹林は
上記の「樹木に囲まれた居住地」のものだろうと思います。
この「樹木に囲まれた居住地」の中に上之島神社がありますが、
(後の地図では鳥居の記号が書かれています)
今行ってみると敷地はあまり広くないので、
写真の樹林は社叢林というより集落各戸の屋敷林だったのでしょう。

<上之島神社 2012/04/22>

さて写真1の撮影地点についての手がかりです。
写真に写っているもので、位置情報が一番確かなのは、
多摩丘陵の百草団地の近くにある「東京都水道局三沢配水所」の塔のような建物です。

<左:写真1の部分、右:三沢配水所 2012/04/22>
この「三沢配水所」と「樹木に囲まれた居住地」の位置関係から
撮影地点の推定範囲がだいたい絞られます。
(樹木の枝葉の位置が地図の敷地境界上にあるとは限りませんが
 これでおよその見当をつけてみました)
4/24追記 もうひとつ大きな前提を書き忘れていました。
 写真だけからは断定できませんが
 写真1と2は中央自動車道南側の道路上で撮ったものと記憶しています。)


<地図2 『カシミール3D』から国土地理院1:25000地形図を使用した>

<七尾丘陵散策コースにある三沢配水所近くの展望所から北方向を望む2012/04/22>

昔と今とを並べてみますと(今のものは建物が近すぎてスケール感が同じになりませんが)
こんな感じに

<左:1982/04/05、右:2012/04/08 撮影地点は地図2の赤矢印の四角の点>

昔の写真2枚目

<写真2 1982/04/05>
写真1とだいたい同じものが写っていますが、
上記の三沢配水所が樹林の間にかくれたようなので、
撮影場所は写真1よりやや北西に移動したものと思います。

写真2には右のほうに看板が写っています。
拡大しても文字ははっきり読めないのですが
「心眼」で読みますと
「東京都流域下水道北多摩二号事業予定地」と書いてあります。
(「ホンマかいな」とここでつっこみを入れて下さい)


昔の写真3枚目(今との比較)

<写真3 左:1982/04/05、右:2012/04/08>
この場所はもちろん処理場予定地ではなくて
おそらく下水道管路工事をやっていたのでしょう。
写真の左側は今の谷保城山環境保全地区です。

昔の写真4枚目(今との比較)

<写真4 左:1982/04/05、右:2012/04/08>
写真3とだいたい同じ場所です。


以上でおしまいです。




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府中市郷土の森 再訪

2012年04月15日 | Weblog

<府中郷土の森 府中尋常高等小学校 5年2組教室 2012/04/08>

府中市の「郷土の森」は今年で開園25年周年ということです。
(ウィキペディアによると1987年4月4日開園。)
当ブログでは「府中市郷土の森開園前」というタイトルで
1982年の郷土の森(建設予定地)を取り上げました。
(このほか、民家園探訪でも訪れました)。
今年は1982年から30年経過したので、再度写真を撮りに行きました。
今回は、撮影地点の推定地を地図にプロットしました。


まず、1982年の写真撮影地点の推定地を示します。
赤で囲ったところが現在の「郷土の森」です(境界線は100%正確ではありません)。

<使用した地図は「国土地理院1:25000地形図 昭和52年1月30日発行」>

この地図の注目点として、
1.鉄道線路の記号は下河原線です。
 1982年時点では下河原線はもう廃止されており緑道(歩行者自転車道)になっておりました。
2.黄色い線で示したところは多摩川の旧堤防です。
3.多摩川右岸の「下水処理場」と書かれたところに煙突記号が2つあります。
 以下の写真に写っている2本の煙突がこれだと思います。

では1982年の写真を

<写真② 1982年>(写真③は省略します)
②と③は同じ場所で少し向きを変えて写したのではないかと思います。
ここでは一部が畑に使われていてその先に灌木がまばらに生え、
その先に旧堤防が写っているようです。
旧堤防の向こうの右手には残土か造成用の土が積まれています。
奥の丘陵には上記の煙突が2本。


<写真④ 1982年>
ここは緑道上なので100%の確度で撮影地点確定。


<写真⑤ 1982年>
旧堤防の上からおよそ南東方向を撮ったと思われます。
手前に水路が写っていて、その向こうで重機が工事をやっています。
2本煙突はこの写真より右手になります。


<写真⑥ 1982年>
旧堤防の上か、堤防の北側から、およそ北北西方向を撮ったと思われます。
現在の旧河内家住宅の南側あたりではないかと思います。
現存の建物が少なくとも2つ写っていて、撮影場所がすぐ確定できるかと思いましたが、
ちょっとてこずりました(地図に示した撮影地点と方向の確信度は90%くらいかなと思います)。


<写真⑦ 1982年>
「郷土の森と地殻活動観測施設の間の道路」と「旧堤防の南側の水路」が写っているので、
この撮影地点推定地も確度は高いと思います。
写真②に写っているのと同じ「盛り土」が写っています。


次に、1992年と2012年の写真撮影地点図を示します。
「○-2」は1992年4月12日の撮影(地点は青色の点)を示し、
「○-3」は2012年4月8日の撮影(地点は緑色)を示します。

<地図は『カシミール3D』から「国土地理院1:25000地形図」を使用>


<写真②-2 園内の建物「府中尋常高等小学校」の2階から 1992年>
1982年の写真②撮影地点付近からはもう多摩丘陵が見通せないので場所を移動しました。
2階に上がれる「府中尋常高等小学校」の窓から煙突を目安にして撮ってみました
(煙突は1本になっています)。


<写真④-2 1992年>


<写真⑥-2 1992年>
園内に残っている旧堤防からおよそ西方向を。
1992年の撮影時点では、1982年の写真⑥の撮影場所の手がかりが「旧堤防」しかなかったので、
とりあえず旧堤防の一部を写し込んでここで写真を撮ったようです。
しかし、写真⑥は上記のとおり場所、方向とも、ここではなかったようです。


<写真⑦-2 1992年>
1982年の写真⑦と同じ建物が写っていますが、撮影地点についてイマイチ確信がもてませんでした。
(2012/04/15 追記)
ちょとマニアックになってきますが、写真をよくみると、街灯のようなものが写っています。
もう一度現地に行ってみますと、それらしいものがありました。
(「三岡家長屋門」付近の南側にこの形の街灯が3つ4つ(さらに南方向にもっと)あります)
  
<左:写真⑦の一部、右:敷地境界に設置されている街灯 2012/04/15>
街灯と後ろの建物の位置関係からすると、この写真は園内で撮ったようです。
現在「三岡家長屋門」や「ふるさと体験館」「やすらぎ亭」があるあたりを
整備しているところではないかと思います。

<やすらぎ亭2階から南方向 右端は「三岡家長屋門」 2012/04/15>
1992年と2012年の写真撮影地点図の⑦-2の地点を変更しておきます。
(追記終わり)


<写真②-3 「府中尋常高等小学校」の2階から 2012年>
1992年の位置とすこしずれたかもしれません。
樹木の成長に20年の経過を感じます。


<写真④-3 2012年>


<写真⑤-3 2012年>
旧堤防跡から東南東方向を。
1982年の写真⑤よりも東を向いているのではないかと思います。


<写真⑥-3 2012年>
1992年の写真⑥-2とだいたい同じ場所です。


<写真⑦-3-1 2012年>
「郷土の森と地殻活動観測施設の間の道路」の北側から。
写真奥に多摩川と丘陵がありますが、樹木で覆われ見通しはききません。


<写真⑦-3-2 園内の「やすらぎ亭」2階から 2012年>
ここからも丘陵はほとんど見通せません


最後にまとめとして変遷を横に並べてみました。
1982年の撮影地点は正確に確定できなかったものもありますし、
また見通しのきく場所へと移動したりしているので
対比は参考程度と考えて下さい。
同じ地点、方向というには無理があるかなというものは段差をつけて表現しました。




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酒造 7

2012年04月01日 | 多摩の酒造
多摩の酒造めぐり7回目は、東村山市久米川町の豊島屋酒造さん。
府中街道の「久米川の辻」の交差点を東に折れて200mくらい入ったところです。

<2012/04/01 東村山市久米川町 豊島屋酒造>
1ヶ月遅れの話題になってしまいますが、
豊島屋さんで、雛祭に飲む「白酒」を売っています。
(雛祭以外の時期に飲んでももちろんいいのですが)
買ってみますと箱の中には江戸名所図会の「鎌倉町豊島屋酒店白酒を商う図」のコピーが入っていました。
確かに江戸名所図会の巻之一に「鎌倉町豊島屋酒店白酒を商う図」ありますね。
(蛇足ながら、この鎌倉町というのはもちろん久米川町のことではありません。)


豊島屋さんとは関係ありませんが、久米川町での写真をもう一枚。

<2012/04/01 東村山市久米川町五丁目交差点のところ>
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