失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

文京区本郷 一葉忌

2010年11月23日 | Weblog
11月23日は樋口一葉の命日。文京区本郷の法真寺で行われた一葉忌に行ってみました。
(以下、日付をつけてない写真は11/23撮影)

一葉忌にかこつけて一葉ゆかりの本郷菊坂界隈を散策しました。


年1回この日に公開されるという伊勢屋質店。
見学の人の行列ができている写真左の白い蔵のところです。

伊勢屋の蔵の中


以下、足の向くままに、目にした魅力的な木造建物を中心に。
<2010/6/6撮影>

一葉忌なのに賢治の話題で恐縮です。右の写真の道路左側は賢治が下宿していた稲垣宅のあったところ。
昔の建物は『宮沢賢治への旅』(文藝春秋編、1991)によると1990年にとりこわされたとのこと。
同書には取り壊し前の建物の写真が(賢治が使った部屋の写真まで)載っています。

<2010/6/6撮影>

鐙坂の途中




鐙坂の下


鳳明館


圧倒的存在感の本郷館


文京ふるさと歴史館の北側


12/6 追記
やはり一葉旧居の井戸をとりあげないと肝心なところを外しているような気がしますので

上:一葉終焉の地の案内版 2010/8/15撮影
終焉の地は文京区本郷ではなく西片です。
左:一葉旧居の井戸    2010/6/6撮影
背後の木造家屋が絵になります。

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民家園探訪 羽村市郷土博物館 旧下田家

2010年11月21日 | 民家園
旧下田家住宅は羽村市郷土博物館の敷地内にあります。
入場無料、床上公開しています。

<青のエリアが羽村市、みどりはこのブログで取り上げた市、は民家園のおよその位置>

写真撮影の可否ですが、ブログに載せる場合は許可が必要ということで、
申請書に、住所、氏名、ブログ名の外、資料名(ここでは撮影対象)、
撮影日時、目的(古民家の紹介としてブログに掲載)、等を書いて提出しました
後日撮影許可書が博物館から郵送されてきました。
許可条件として、以下の①から⑤が記されています。
いずれもクリアできるものと考えますので、
晴れて下田家の写真を載せられるようになりました。
(撮影日から今日まですこし日数があいたのは私の都合によるもので
申請が許可になるのを待っていたためではありませんので)

<旧下田家 2010/11/3 撮影>

<旧下田家 2010/11/3 撮影>

許可条件 
①目的以外に使用したり、他の印刷物に転用あるいは他用しないこと。
②掲載ページもしくは文末に「羽村市郷土博物館」名を記載すること。
③成果物を一部ご恵贈願います。
④資料の掲載ないし掲載内容の変更を行った場合は、その旨を当館に報告すること。
⑤再度別の用途(転載等)に使用する場合には、改めて申請すること。
※写真を使用されなかった場合でもご一報ください。

さて、下田家の旧所在地は
『旧下田家住宅調査報告書』(昭和58年、羽村町教育委員会編集発行)によると
羽村町羽西1-13-3で、「当初小作坂下の交差点付近にあったが、
昭和12年の道路拡張工事のため、70メートル東南に位置する現在の下田家敷地に曳家移転した」
(同書4ページ)ということです。
(上記引用文中の「現在の」とは報告書刊行当時の昭和58年のことです)

<国土地理院1:25000地形図をベースに「カシミール3D」で標高別色分けを行い、
 縮小、加工した。 が旧下田家の現在位置(羽村市郷土博物館)
                   ●が旧所在地(小作坂下交差点)>

郷土博物館から、多摩川を渡って奥多摩街道を西に進み小作下交差点に行ってみました。

<奥多摩街道から小作坂下交差点方向を 2010/11/3撮影>

<小作坂下交差点 2010/11/3撮影>

小作坂下交差点で東に進み坂を上がる。振り返ると大岳山が見える。

<2010/11/3撮影>

最後に古民家とは関係ありませんが、羽村市郷土博物館北側の多摩川右岸を。

<2010/11/3撮影>

<2010/4/10撮影>

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桜ヶ丘公園 紅葉・黄葉

2010年11月13日 | 季節のうつろい
今日の桜ヶ丘公園でアカシデがひときわ鮮やかに紅葉していました。

<アカシデ 都立桜ヶ丘公園 2010/11/13>空が曇り気味で少し残念。

<アカシデ 都立桜ヶ丘公園 2010/11/13>

今年の定点撮影対象のけやきの木も先週にくらべるとぐっと色づいてきました。

<ケヤキ 都立桜ヶ丘公園 2010/11/13>幹にきずあとのようにスジがついていますが、

<同上 2010/07/31>アリが通った跡でしょうか?

<同上 2010/05/08>これは角度が少し違うのでスジの有り無し微妙ですが、

<同上 2010/04/10>これにはまだついていません。

しょうもない話にそれてしまいましたので、紅葉・黄葉に話を戻してもう一枚。

<トチノキ 都立桜ヶ丘公園 2010/11/13>
本日はこれにて終了でございます



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民家園探訪 青梅市旧宮崎家

2010年11月07日 | 民家園
青梅市内では旧宮崎家のほか、旧吉野家、旧稲葉家が公開されています。
いずれも屋内の写真撮影は可能で床上公開しています。
旧吉野家、旧稲葉家は後日に回して、
今回は旧宮崎家をとりあげます。

今回とりあげた
青梅市の位置図です。

 青色エリアが今回訪れた市(青梅市)
 みどり色のエリアは
このブログでこれまで取り上げた市。

印は
民家園のだいたいの位置です。
旧宮崎家の所在地:青梅市駒木町1-684


左の地図は
国土地理院の1:25000地形図をもとに
『カシミール3D』で標高別色分け、縮小し、
青梅線と新吹上トンネルの位置をなぞりました。
線路の位置は厳密に正確ではありませんので
目安ということで見てください。

●印は成木8-853付近です。
旧宮崎家の旧所在地は、
『青梅市の民家』
(青梅市教育委員会、昭和51年発行)
によると、青梅市成木8-855となっていますので
この近くではないかと思います。

印は旧宮崎家の現在の位置
(青梅市駒木町1-684、釜の淵緑地)です。
ここで、多摩川が大きく蛇行していて
川がどっちに流れているのか
わからなくなりそうです。

下の写真は釜の淵公園の柳淵橋からです。建物はかんぽの宿です。

<柳淵橋から 2010/11/06>

ガイドの人の話によると
昨年、移設から30年経って茅葺き屋根を吹き替えたとのことでした。
茅の調達は忍野八海や御殿場からという話でした。

<旧宮崎家住宅 黄葉は「カツラ」 2010/11/03>
物好きな話ですが、茅原を見るためだけの目的で忍野八海や御殿場のあたりに行ってみたくなりました。


下の写真は、
写真を撮るならこれ、とガイドの人に言われた
「押板(おしいた)」です。
写真の左半分、神棚の下の板の部分です。

<旧宮崎家住宅 2010/11/06>


それでは旧所在地付近に行ってみましょう。
私は自転車で、青梅市民会館の西の方から小曽木街道を北にあがり、
(上の地図で「青梅駅」の「青」の字がかかってるあたり)
黒沢2丁目の交差点で西に折れて成木街道に入って
新吹上トンネルを抜けて、
軍畑(いくさばた)に出るコースをとってみました。


下の写真は、新吹上トンネルを抜けて少し西に行ったところです。
この道はダンプカーが通ります。
私は以前、自転車走行中にダンプに追い越された拍子に転倒したことがあるので、
トンネル内や狭い道で、後ろから大型車が近づいてくるとかなり恐怖を感じます。

<成木8丁目 蜆沢院付近 2010/11/06>

下の写真は成木夕倉(ゆうぐら)地区です。
ずいぶん山奥に入った気がしましたが地図でみると標高は225mでした。

<成木夕倉地区 2010/11/06>


<成木8-853 上の写真と逆方向 2010/11/06>

ここの南側にあるのは石灰の採石場でしょうか。

<成木夕倉地区 2010/11/06>


<青梅線 軍畑駅付近の鉄橋 2010/11/06>


成木夕倉地区へは、宮崎家旧所在地探訪をしなければ、おそらく足を運ぶこともなかったと思います。
久しぶりで山道のサイクリング気分を味わいました。
(トンネルがあるので実際には思ってたほどきつい山道ではありませんでしたが。)



11/8 地図の一部に追加加工、文章一部追加修正




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胡四王山 花巻市

2010年11月01日 | Weblog
地元の人以外で胡四王山と聞いてピンとくる人は、きっと宮沢賢治のファンでしょう。
新幹線の新花巻駅の近く、宮沢賢治記念館のある場所です。
下の写真は花巻の町の方(花巻神社の近く)から見た胡四王山です。
写真のだいたい真ん中の、頂上部がぼさぼさっとした山が胡四王山です。

<2009/09/21 撮影>
 ちなみに上の写真で
胡四王山の左方にある
左右均整のとれている山は
地図で調べると大森山という名前です。
 私はこの位置からのこの山の稜線を見て
正規分布の関数のグラフのようだと思いました。
 excellで作ったグラフを重ねてみました(ピンク色の曲線)。

同時にこの山を見ると賢治の水彩画(「日輪と山」と呼ばれている)を思い出します。
実際にこの山に太陽がかかる写真を撮っている方もいます。
たとえば、
ブログ「ぶたもおだてりゃ。。。」
http://hakkintonko.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-d3f8.html
や、ブログ「宮沢賢治の里より」
http://blog.goo.ne.jp/suzukikeimori/e/b270f47c255f925f2ec9e397a5c1cbaf
など・・・見事な写真です。


説明用に地図があったほうがわかりやすいので、現地案内版の地図に
数字を書き込みました(もちろん画像上での話です)。

<「胡四王山案内図 林野庁」現地案内版写真に加工>

南麓から胡四王山を見てみると

<2010/9/21撮影>
「ぼさぼさ頭」をふもとから見るとアカマツのようです。

<胡四王山のぼさぼさ頭。撮影場所は上の地図の「1」のあたり 2010/9/21撮影>

山に登って胡四王神社の社殿付近に行ってみます。
上の地図の「2」の地点です。

<2010/9/21撮影>

ぼさぼさ頭のように見えていたのはやっぱりアカマツの大木でした。

<胡四王神社社殿後ろのアカマツを見上げる 2010/9/21撮影>

胡四王神社付近からの眺めはいいです。
視界のいいときは岩手山や早池峰山が見えるということですが
この写真では残念ですが岩手山は見えていません。

大ざっぱに言うと、写真の中ほどの
左右の山並が切れて平らに見えているところが
北上川と支流の谷になります。

<胡四王山からの眺望 2010/9/21撮影>

下の写真の中央より右側に先ほどの大森山が見えています。
大森山の頂上の先の奥に早池峰山がくるはずですが、
こちらもはっきりと写ってないです。
大森山の手前のラインは新幹線の線路です。

<胡四王山からの眺望 2010/9/21撮影>

胡四王神社から北の方に山を下り

<胡四王山北麓 上の地図の「3」あたり 線路は釜石線 2009/9/23撮影>

胎内くぐりに行ってみました。

<胡四王山北麓の鳥居「岩谷不動尊」 2010/9/21撮影>

この鳥居をくぐって少し登ると「胎内くぐり」があります。
上の地図の「4」地点です。

下から見ると

<胡四王山 胎内くぐり 2010/9/21撮影>


最後に、もとに戻って上の地図の「1」付近(胡四王山の南麓)の風景です。





<上の三枚 2010/9/21撮影>

11/2 写真差し替え・追加、文章一部修正
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