失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

定点撮影動画 2010前半

2010年06月30日 | 季節のうつろい
<都立桜ヶ丘公園  約40秒>

春の「緑の順番」を観察してみようと思っていました。
しかし、たとえば、画面中央に写っているケヤキですが、
同じ場所のケヤキといっても早く葉が出る木と遅い木で1ヶ月くらい差がありました。
したがってせいぜい言えるのは、この画面の枠の中でのことだけです。

なんでもかんでも順位順番を決めつけようとするのは悪いくせかもしれません。

それでも「緑の順番」をテーマとしたことで、
今まで見過ごしていたことや、思い込みが案外そうでなかったことなどが
あぶりだされました。

とりあえず、
・冬の間、常緑樹が何種類か、数カ所に見えています。
・4月10日に桜が咲いています(画面右側上部)。
 その桜の前で緑の葉を出しているのはカツラ(桂)です。
・4月18日にはこのカツラが一層鮮やかになっています。
 桜は花が終わってオレンジ色に見えています。
・画面中央のケヤキが5月1日と8日の間に一気に葉を出し
画面全体が緑になりました。

そのほかもうすこし追加観察してから、
「緑の順番」について、後日、コメントを補足してみようと思います。
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クスノキと樟脳のにおい

2010年06月27日 | 記憶の中、夢の中
今年前半(1~6月)の定点撮影を動画にしてアップロードしたのですが、
なんだか表示がうまくいかなくて動画はちょっと中断です。

そのかわりではないのですが、クスノキのにおいを話題にしてみます。
クスノキの花は、今年の例でいうと、多摩ニュータウンでは
5月の中旬くらいにつぼみが目立つようになりぽつぽつと咲き始まりました。
6月の中旬くらいまで咲いていました。

<クスノキの花 左5/22 右上5/29 右下6/5 場所:多摩ニュータウン>

クスノキは花の時期に限らず、木の近くを通ると芳香を感じます。
私は、今の時期の湿っぽい空気にただよってくるクスノキのかおりで
けだるい気分がほんのすこし引き締まります。

クスノキのにおいと言えば防虫剤として使う「樟脳」ですが、
けっこう強烈だと思います。
(樟脳は、今は化学合成できるそうですが、
 国内でクスノキから抽出しているところもあるようです。)

私はこどもの頃(小学校の低学年ころのこと)このにおいが苦手でした。
なんとも表現しがたいのですが「頭にキーンとくる」ようなにおいとでも言おうか・・・。
(今では別になんでもないにおいなのですが。)
この「樟脳」のにおい、小学校のとき以来、何十年と嗅いでないのですが、
記憶の中にはずっと残っていて思い出せるのです。
先日、あのにおいを「確認」したくなり樟脳の防虫剤を買ってみました。
「そうでしょ、やっぱりこのにおいでしょ」という感じでした。
(ちゃんとタンスで使っています。)

言葉にもできず、人にも伝えられない、そんなただの「感じ」が
においの元という実体がなくても
何十年もずっと、ありありと残るというのが不思議にも思えます。

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水面

2010年06月19日 | Weblog
雨の季節、田植えの季節になりました。
水面に近づいて撮ったもの(その他もありますが)をならべてみます。
(6/21写真の一部追加・差し替え)


<国立市谷保 ママ下湧水 2010/06/05>

<国立市谷保 坂下 2010/06/12>





<町田市 小野路万松寺谷戸 栗の花 2010/06/12>



<町田市 小山田緑地トンボ池 2010/06/19>

<町田市 小山田緑地トンボ池 桑の実2010/06/19>



<町田市 小山田緑地アサザ池 2010/06/19>

<町田市 小山田緑地アサザ池下の水田 2010/06/19>

<町田市 小山田緑地アサザ池下の水田 2010/06/19>



<多摩市 多摩中央公園 くつろぎの広場付近 2010/06/19>

<多摩市 多摩中央公園 旧富沢家住宅2010/06/19>

<多摩市 多摩中央公園 旧富沢家住宅2010/06/19>


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国際こども図書館 台東区上野公園

2010年06月13日 | Weblog

<国立国会図書館国際こども図書館 台東区上野公園 2010/06/06。以下同じ>

(6/23文末に追記)

 今回はNHK朝ドラ『ゲゲゲの女房』の話題に便乗し、
「中森さん」という登場人物がその後どうなったかを探ってみます。
「中森さん」と表題の「国際こども図書館」といったいどういう関係があるのか、あとでつじつまをあわせます。
  
<こども図書館の名前から想像されるよりも、いかつい建物だった>

 流行に便乗して自分もうまく立ち回ろうという人がいれば、
一方で流行をつくりだそうとあれこれたくらんでいる人もいる。
私はマスメディアに操られてしまう側(がわ)ですが、
すこしひねくれて、お花見の終わったあとの物寂しいどことなくうらめしげに訴えているようにすら見える風景を、
ことさら撮りに行きたくなったりします。
(物寂しさを感じるのは、真っ盛りの風景があるためなのですが)。
 流行を煽る側は罪作りなものです。テレビドラマなどで急に人気がでて地元がうるおう。
ところがドラマが終わると嵐が通りすぎるように流行は去っていく。
あわれなのは、自分も流行にのっかろうと手はずを整えたときにはもうピークが去っていて、
自分は空振り三振しランナーまでアウトにしてしまうような人。
・・・そんな話をここで私が空想してもしかたないので、本題に進みます。

 ゲゲゲの女房はなかなか泣けるドラマです。
見ていない人には「中森さん」といわれても何のことやらわからないので、
最小限の説明をしておきましょう。
ドラマの中では、中森さんは新婚の村井家に間借りするようになった貸本漫画家で、
結局漫画家をあきらめ、大阪の実家に帰っていきます。
最後の別れでは、たまった家賃(の半額)を払ってけじめをつけて去っていきます。
脇役ながら哀感ただよう人物像が印象に残りました。
役者さんの個性にも負うところが大きいのでしょうけれど。
 しかし、現実はもっと厳しかったようです。
この中森さんのモデルになったと思われる人物は、
水木センセイの自伝『ねぼけ人生』(筑摩書房、1982年)に描かれている
「川本よかはる」という漫画家さんのようです。
「僕は、家の二階の一室を川本よかはるという漫画家に貸すことになった。
これは兎月書房の紹介だったが、・・・」(p.156)とあります。
ところが
「・・・川本先生の細君から速達が来ていた。
病気になったから、すぐ帰宅してくれという内容だったが、
金ができていないのにオメオメとは帰れない。
そのうち、川本先生はやけ酒を飲むようになり、蒸発同然にしていなくなった。」(p.157)
という結末です。

 いったいこの川本先生はどんな漫画を書いていたのか。
国会図書館をはじめいくつかの漫画図書館などの蔵書を
ネットで検索をしてみましたが確認できませんでした。
(「広島市まんが図書館」
 「京都国際マンガミュージアム」
 「明治大学米沢嘉博記念図書館」、
 「大阪府立中央図書館国際児童文学館」)
18万点以上の蔵書を有するという「現代マンガ図書館」にも所蔵されていないということでした。
貸本マンガ史研究会編『貸本漫画returns』(ポプラ社、2006年)の資料編
「貸本マンガ家リスト1000+α」にも名前がのっていません。
あるいは、水木センセイの記憶ちがい、誤植、なんらかの理由で変名を使った、
などの可能性も考えられますが、私にはもうわからない領域です。
川本先生の作品はあるいはもう残ってないのかもしれません。

 あとまだネット上で蔵書検索できないまんが図書館がいくつかあります。
東京からは距離があるところが多くので
(「昭和漫画館青虫」「飛騨まんが王国」「吉備川上ふれあい漫画美術館」など)
後日の旅の楽しみにとっておくことにします。
 

 もう一人『ねぼけ人生』には、水木家に居候した漫画家が出てきます。
この人もあるいは中森さんのキャラクターの一部に取り込まれているかもしれません。
『ねぼけ人生』の記述(pp.152-154)を要約するとこんな風です。
「マンガ家募集」という新聞広告を見て出版者に出かけた水木センセイ。
その帰りに誰かが後をついてくる。
その人は同じ出版者に居合わせていた渡辺あきらというマンガ家だったが、
「手伝わせて下さい」と言って居候になってしまう。
居候に住みつかれて困ったセンセイは、追い出し策を実行に移すと、
渡辺氏は驚いて失神してしまう。
センセイが医者を呼びにいって帰ってくると、渡辺氏はもういなかった。
そして、何年も後になってある読者から手紙がくる。

(引用)
七、八年前だったか、一人の少年読者から手紙が来た。
「貸本マンガの渡辺あきらあらきという人を御存知ですか。
僕の家の近くの小屋に住んでいて、毎日のように遊びに行っていましたが、
口ぐせのように、水木しげるとは友達だったと話していました。
僕が、試験で、しばらく行かなかった後、久しぶりに行ってみると、
渡辺さんは死んでいました。警察で調べると“餓死”ということでした。
渡辺さんの御冥福を祈ってあげて下さい」
こんな内容の手紙だった
(引用終わり)『ねぼけ人生』(pp.154-155)

 川本先生に負けず劣らず悲しい運命をたどった「渡辺あきらあらき」さんですが、
「渡辺あきら」名では国会図書館の蔵書検索で引っかかりました。
「渡辺あきら」で1件、「渡辺明」で11件。
「渡辺あきら」と「渡辺明」が同一人物かどうかこれだけで断定できませんが、
いずれも昭和30年代の漫画の作者ですので、ほぼまちがいないでしょう。
いずれも「国際こども図書館」に所蔵されています。
  
今現在はデジタル化作業中で閲覧できないようですが、
来年の三月までには作業終了の予定となっています。
そのころまた覗いてみたいと思っています。


 渡辺あきらさんの作品はデジタル化されて、この先も、
大地震が起きたり核戦争がおきたり日本国が財政破綻したりして
国会図書館が消滅しないかぎり、この文明の寿命と同じくらい生き延びるでしょう。
(結局あんまり長くなかったりするかもしれませんが)
瞑すべし。

川本先生は中森さんとして復活して多くの人に印象を残しました。
それもいつか忘れ去られたら、また誰かの脳細胞の中で「はっと目覚めて」、
創作活動に力をお貸し下さい。


(2010/06/18 一部字句修正)

(2010/06/23 以下追記)
 コメントで「川本よかはる=橋本よしはる説」を教えていただきました。
 水木センセイの別の自伝『ほんまにオレはアホやろか』(私が参照したのは新潮文庫版、
 オリジナルは 1978年ポプラ社刊)によると、「兎月書房の紹介で、ぼくの家の二階で
仕事をやることになった橋本よかはる先生」(p.200)となっていました。
 やはり一番近い「橋本よしはる」先生で決着というところでしょうか。
 (これも断言は禁物ですけど)
 私は幽霊を一生懸命探していたようなものでした。
 当のご本人にしてみれば「余計な詮索はもういいから」と思っているかもしれません。

 (2010/07/12 修正(取り消し線部分))
コメント (11)
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自然教育園 港区白金台

2010年06月06日 | Weblog
国立科学博物館附属自然教育園の
日曜観察会「シイの林」に参加しました。2010/6/6(写真1)

以下の園内の地点の名称は自然教育園の「ガイドマップ」を参照ください。
http://www.ins.kahaku.go.jp/introduction/guidemap/index.html
  
<写真1,2>
この日は来園者が通常は立ち入れない場所(特別保存地区)も案内していただきました。
これは年1回とのことで幸運でした。
コースは、上記参照の「ガイドマップ」で言うと、「管理棟」から「路傍植物園」を通り、
その西北の休憩所と水飲み場のところから特別保存地区に入ります。(写真2)
  
<写真3,4  こうして見るとジャングルの探検みたいです>
しばらく進むと(写真3)、沢(サンショウウオの沢)に出ます(写真4)。
沢を渡って、敷地境界の方向に向かい土塁の上に出ます。
境界に沿うように土塁の上を西北に進みました。
この土塁は結構高さがありました。
園内のわき水は、園の北部で2つの流れが合流し、
そこから土塁の下の水抜き管を通って外へ出て行くとのことです。
(こうしないと土塁で水がせき止められダムができてしまうため。
 もっともそうなる前に土塁がもたないでしょうが)
  
<写真5,6>
最後は「6.森の小道」の最北部で解散しました。(写真5)
武蔵野植物園でアサザが咲いていました。(写真6)


<写真7「物語の松」の南あたり>

<写真8「5.水生植物園」>
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エゴノキの花

2010年06月03日 | Weblog

写真のこの木に関しては今週の日曜日あたりが一番の花盛りだったようです。 桜ケ丘公園2010/5/30
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