失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

動画 宮ケ瀬の風景2

2016年09月11日 | 失われた風景
1991年8月18日に8mmビデオで撮影した、宮ケ瀬付近の動画(宮ケ瀬の風景2)を
YouTubeに投稿しましたのでご覧ください。時間は約3分です。

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ママ下湧水 1996-8-4

2016年08月07日 | 失われた風景
20年経過


道路建設前にママ下湧水を撮った動画をYouTubeにupしましたのでご覧ください。
時間は約9分です。
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20年経過 平山城址公園駅付近

2016年06月26日 | 失われた風景
1枚目には20年前の写真はありません。20年後にご期待を

<日野市平山2から西方向を 2016/6/26>

京王線の線路の北側にあった水田は住宅地となりました。 

<京王線平山城址公園駅付近 水田 1996/6/23>

<京王線平山城址公園駅付近 全く同じ位置ではありませんが 2016/6/26>


<京王線平山城址公園駅付近 用水路 1996/6/23>

<京王線平山城址公園駅付近 用水路 2016/6/26>

上の水田の写真に写っている踏切を渡ったあたりだったと思います

<京王線平山城址公園駅付近 左:1996/6/23;右:2016/6/26>

平山図書館の裏あたり

<京王線平山城址公園駅付近 左:1996/6/23;右:2016/6/26>
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戸山公園 新宿区

2016年05月22日 | 失われた風景
5/1に都立戸谷公園(箱根山地区)周辺を歩いてみました。

<公園外にある「この辺り尾張徳川家戸山荘古駅楼跡」の標柱 下の地図の①付近
 だいたいこの方向に御町家通り(下の記述参照)があったようです
 (写っているこの道が御町家通りだったというわけではありません)
 古駅楼は御町家通りにあった建物の名前です>

私がにわかにこの場所に気を魅かれたのは
この標柱にある「戸山荘」(尾張藩江戸下屋敷)の写真を
「写真集 尾張徳川家の幕末維新」(徳川林政史研究所編集 吉川弘文館 2014年)で見たからです。

<箱根山 下の地図の②>
戸山荘には小田原宿の街並みを模した町家街が作られていたと、そこには書かれていました。
昔の人(将軍や藩主や武士階級の堅苦しい人たち)もバーチャルな世界が好きだったんだ
という妙な共感のようなものを感じました。
 
<左:国土地理院1/25000地形図を「カシミール3D」を使って加工し縮小したもの
   ●で囲った範囲が尾張藩江戸下屋敷のおよその位置
 右:箱根山にあった解説板の図を90度回転してテキトウに色をつけたもの
 ①古駅楼のあったあたり ②箱根山(玉円峰) >

以下は上の地図(左)の赤い数字の順にならんでいます。
当時の遺構は箱根山以外にはないということですが
とりあえずおよそ昔の藩邸の周囲をぐるっとめぐってみることにしました。

<1 公園内 昔は池(あるいは池畔?)だった>


<2 明治通り 学習院女子大学>


<3 諏訪通り 戸山3丁目20 東方向>


<4 諏訪通りと箱根山通りのぶつかるところ 
   地形的にはこのあたりもうすこし右手が蟹川(藩邸内を流れていた川)の出口だったようです>


<5 国際医療研究センター前 西方向>


<6 大久保通り 戸山図書館のあたり 東方向>


<7 大久保通り 西方向>


<8 明治通りより東側にある道 北方向>


<上の地図の①から9の方向>


尾張藩江戸下屋敷(戸山荘)を扱った書籍のごく一部ですが、

・「尾張藩江戸下屋敷の謎」(小寺武久 中公新書 1989年)は新書1冊まるまるこのテーマを扱っています。

写真や絵画、絵図では
・「江戸のワンダーランド 大名庭園」(徳川美術館 平成16年) 平成16年に行われた特別展の図録です。
上で述べた「写真集 尾張徳川家の幕末維新」の写真も載っています。(この特別展行ってみたかったという感じ)
・「大名庭園」(サライ編集部編 小学館 1997年)「尾張公別荘道図」の絵図が7ページにわたって紹介されています。

地形については
・「東京の公園と原地形」(田中正大 けやき出版 平成17年)が
 「第6章大名庭園と谷戸」の中で9ページを戸山荘にあてています。

2016/5/29追記
地元新宿区の新宿歴史博物館の特別展図録を見落としていましたので追加します。
・「新宿歴史博物館平成18年度特別展 徳川御三家江戸屋敷発掘物語」
  - 尾張家への誘い - 展示図録 (新宿歴史博物館 平成21年第2版)
 戸山荘だけでなく、尾張藩の江戸上屋敷(市ヶ谷)、中屋敷(麹町)についても扱っています。
 「戸山荘図」(絵)や発掘調査の結果など、さすが歴博です。
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JR八高線 小宮駅

2013年09月28日 | 失われた風景

<1993年9月26日 小宮駅 八王子ゆき車両>

<2013年9月28日 小宮駅 八王子ゆき車両>

上は20年前のJR八高線小宮駅で8mmビデオで撮影したものをキャプチャーしました。
駅が新しくなったので完全に同じ位置から撮れるかどうかはわかりませんが(おそらく高さも変わっている)、
下の写真では昔のものに比べて左にずれたところに立ってしまいました。
「網入りガラス」の窓越しに撮っていますので網が写り込んでいます。
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宮ヶ瀬再訪(2013年夏)

2013年08月18日 | 失われた風景


YouTubeに投稿したものを貼り付けます。

宮ヶ瀬関連の話題を2つ
1.「平成19年度厚木市立視聴覚ライブラリー案内」(厚木市教育委員会)p.21によると
『ダムに沈むふる里 宮ヶ瀬』というタイトルの16mmフィルムがあるようです。
(内容「工事前の山村宮ヶ瀬の姿を描く」購入「S59年」 時間「15分」)と記されています。
私は未見ですが、どこかでフィルム以外の形で公開されていないでしょうかね?
もし、まだだったらデジタル化を望みますが。


2.大熊孝、嶋津輝之、吉田正人『首都圏の水があぶない』岩波ブックレットNo.706(岩波書店、2007年)p.46によると、

・・・ダム計画への参加の必要がなければ、行政は合理的な予測を行うものである。たとえば、横浜市は
宮ヶ瀬ダムが2000年に完成するまでは過大な水需要予測を行っていたが、今は過大な予測を立てる
必要がなくなり、図3-4のとおり、一人当たり給水量の減少傾向が今後とも続くという合理的な予測を行っている。

(引用者注:図3-4は省略します)

「造ってしまえば、もうこっちのものだ」というわけですな。

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宮ヶ瀬ダム再訪

2012年08月26日 | 失われた風景

<宮ヶ瀬ダム 鳥居原エリア 2012/08/25>



昔、宮ヶ瀬にビデオを撮りに行ったのは8月だったので
宮ヶ瀬の現旧比較を8月中にやらねばと
また宮ヶ瀬ダムに行きました。

(8/27追記 最後に地図を載せました)

まずはベアトの写真の撮影地点の一つ(旧宮ヶ瀬大橋付近)からです。

<ベアト撮影>

<1991/8/18 旧宮ヶ瀬大橋から上流方向 8mmビデオで撮影>

<2012/8/26 遊覧船から>
ベアトの写真と1991年の写真の撮影地点は今は湖の底です。
目星をつけたあたりを遊覧船が通っているのが見えたので、乗ってみることに。
(遊覧船は基本的に反時計回りで航行しており、私は左舷側に座ったため
 いわば内向きになってしまい一番いい撮影ポイントを逃しました)

遊覧船からデジカメで動画撮影してみました。
1991年のものと比べると山腹の崩落?跡と道路の位置からして方向的には
そこそこ昔に迫れたかと思います。
(色がいまいち悪くて、山腹崩落跡はわかりにくくなってしまいましたが
 以下の「大棚沢橋から」の写真でみるとわかります)


つづいて、同じ場所でカメラを右に振ったもの

<ベアト撮影>

<1991/8/18 旧宮ヶ瀬大橋から上流方向 8mmビデオで撮影>

<2012/8/26 遊覧船から>
陸に上がって

<2012/8/26 大棚沢橋から>


3つ目は旧宮ヶ瀬大橋から下流方向を撮ったもの。写っている橋は大棚沢橋だと思います。

<1991/8/18 旧宮ヶ瀬大橋から下流方向 8mmビデオで撮影>

<2012/8/25 熊野橋から>


4つ目は虹の大橋から中津川を写したもの。

<1991/8/18 虹の大橋から下流方向 8mmビデオで撮影>

<2012/8/25 虹の大橋から下流方向>

5つ目は詳しい撮影場所を覚えておりません。写っているのは虹の大橋だと思います。

<1991/8/18 虹の大橋の下の方 8mmビデオで撮影>

<2012/8/25 鳥居原の遊覧船のりば付近>
橋の見えている角度が全然違いますが、ほかには撮影ポイントがありませんでした。

(2017/8/10追記)
5つ目の撮影場所は現在の宮ヶ瀬湖カヌー場付近からのものでした。
(西さん)コメントありがとうございました。

地図を差し替えます。1991年の撮影方向を青色矢印で書き加えました。
2016年の動画も御参照下さい。
2016/9/11の投稿 http://blog.goo.ne.jp/minazukikoya/m/201609


<『カシミール3D』使用 国土地理院1:25000地形図を縮小加工>
コメント (2)
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北多摩2号水再生センター周辺

2012年04月22日 | 失われた風景

<北多摩二号水再生センター場内の水路 2012/04/08>

<北多摩二号水再生センター場内 2012/04/08>

今回は国立市にある北多摩二号水再生センター周辺の昔の写真をとりあげます。
紹介する昔の写真は4枚です。いずれも1982年4月5日に撮影したものです。
撮影地点(推定地)とだいたいの撮影方向を地図に書き入れました。

<地図1 国土地理院1:25000地形図「立川」昭和52年発行の一部を使用>
みどり色の点で囲んだところは「樹木に囲まれた居住地」として区分されているところです。
①②③④は写真の番号とします。
①②については撮影地点が正確にわからないので幅をもたせてあります(太線の矢印の範囲)。

昔の写真1枚目

<写真1 1982/04/05>
田んぼがあって、奥に樹林があって、一番奥に多摩丘陵(日野市百草周辺)が写っています。
ご覧のとおり、このあたりは田んぼあるいは休耕地で、人家はまばらでした。
昭和52年発行の地図と見比べてみると、写っている樹林は
上記の「樹木に囲まれた居住地」のものだろうと思います。
この「樹木に囲まれた居住地」の中に上之島神社がありますが、
(後の地図では鳥居の記号が書かれています)
今行ってみると敷地はあまり広くないので、
写真の樹林は社叢林というより集落各戸の屋敷林だったのでしょう。

<上之島神社 2012/04/22>

さて写真1の撮影地点についての手がかりです。
写真に写っているもので、位置情報が一番確かなのは、
多摩丘陵の百草団地の近くにある「東京都水道局三沢配水所」の塔のような建物です。

<左:写真1の部分、右:三沢配水所 2012/04/22>
この「三沢配水所」と「樹木に囲まれた居住地」の位置関係から
撮影地点の推定範囲がだいたい絞られます。
(樹木の枝葉の位置が地図の敷地境界上にあるとは限りませんが
 これでおよその見当をつけてみました)
4/24追記 もうひとつ大きな前提を書き忘れていました。
 写真だけからは断定できませんが
 写真1と2は中央自動車道南側の道路上で撮ったものと記憶しています。)


<地図2 『カシミール3D』から国土地理院1:25000地形図を使用した>

<七尾丘陵散策コースにある三沢配水所近くの展望所から北方向を望む2012/04/22>

昔と今とを並べてみますと(今のものは建物が近すぎてスケール感が同じになりませんが)
こんな感じに

<左:1982/04/05、右:2012/04/08 撮影地点は地図2の赤矢印の四角の点>

昔の写真2枚目

<写真2 1982/04/05>
写真1とだいたい同じものが写っていますが、
上記の三沢配水所が樹林の間にかくれたようなので、
撮影場所は写真1よりやや北西に移動したものと思います。

写真2には右のほうに看板が写っています。
拡大しても文字ははっきり読めないのですが
「心眼」で読みますと
「東京都流域下水道北多摩二号事業予定地」と書いてあります。
(「ホンマかいな」とここでつっこみを入れて下さい)


昔の写真3枚目(今との比較)

<写真3 左:1982/04/05、右:2012/04/08>
この場所はもちろん処理場予定地ではなくて
おそらく下水道管路工事をやっていたのでしょう。
写真の左側は今の谷保城山環境保全地区です。

昔の写真4枚目(今との比較)

<写真4 左:1982/04/05、右:2012/04/08>
写真3とだいたい同じ場所です。


以上でおしまいです。




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陸前高田

2012年03月11日 | 失われた風景
1994年8月に仕事で行ったときに撮ったスナップ写真です。








こころ安らぐ風景がまた戻りますように。
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京王線府中駅南口

2009年09月11日 | 失われた風景
8月17日の「府中市けやき並木」と同じ趣向です。
8月撮影のものなので秋が深まる前に取り上げておきます。
撮影日は、以下
左側は1993年8月1日に8mmビデオで撮影したもの。
右側は2009年8月9日、16日にデジカメで撮影。


1. マクドナルドの南側、伊勢丹の北側から東方向。


 
2. 1.の場所から東に進み東方向。



3. 2.の場所からさらに東に進み東方向。「六社堂書店」の前あたり。



4. 3.の場所から北に進み南方向。道路が大幅に広がって頭上にペデストリアン・デッキが。



5. 駅前の通りの一角。南方向。建物まであまり変わっていないお店があって驚き。



6. 駅前の通りの一角。東方向。道の奥が府中駅。道路に映る建物の影の形が同じ?。



7.駅前から少し離れます。旧甲州街道。西方向。
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