夏がおわりつつあると感じさせる雲であった。
ブログ開始から一年になりました。
とりあえず一年間の総括をしてみたいと思います。
「後日・・・してみたいと思います」というコメントをして
まだ約束を果たしていないものがいくつかありますので
拾い上げてみます。
●桜ヶ丘公園ゆうひの丘からの男体山の写真
●遠野の(見つかれば多摩地区の)飢饉供養碑の写真
●ふじみ野市武蔵野からの富士山の写真
●町田市下小山田の付近の道路拡幅計画
これまでで自分で一番楽しかったのは、
●ベアトの幕末写真「鑓水」の撮影位置探し
●野火止用水の流末探し
●恩田川の源流探し
あたりでした。
他人様からみるとほとんどどうでもいい、何の役にもたっていない内容(もちろん引用文、リンク先の内容は別です)ですが
本人にとってこんなに楽しめるとは思いませんでした。
「楽しみはいくらでもころがっているのだなあ」というのがこの一年の結論です。
自己紹介欄に大昔の写真を載せてみました。(あんまり古いのでネガが退色しています)
宗谷岬でのものです。
とりあえず一年間の総括をしてみたいと思います。
「後日・・・してみたいと思います」というコメントをして
まだ約束を果たしていないものがいくつかありますので
拾い上げてみます。
●桜ヶ丘公園ゆうひの丘からの男体山の写真
●遠野の(見つかれば多摩地区の)飢饉供養碑の写真
●ふじみ野市武蔵野からの富士山の写真
●町田市下小山田の付近の道路拡幅計画
これまでで自分で一番楽しかったのは、
●ベアトの幕末写真「鑓水」の撮影位置探し
●野火止用水の流末探し
●恩田川の源流探し
あたりでした。
他人様からみるとほとんどどうでもいい、何の役にもたっていない内容(もちろん引用文、リンク先の内容は別です)ですが
本人にとってこんなに楽しめるとは思いませんでした。
「楽しみはいくらでもころがっているのだなあ」というのがこの一年の結論です。
自己紹介欄に大昔の写真を載せてみました。(あんまり古いのでネガが退色しています)
宗谷岬でのものです。
写真のこの虫は「トウキョウヒメハンミョウ」のようである。我が家では、夏前には庭の土に幼虫のあける穴がたくさんみられ、毎年6月末くらいから庭で成虫をみるようになる。夏になるとたくさん現れて地面近くを飛んでいる。
ネットで「トウキョウヒメハンミョウ」で検索すると500件くらいヒットする。
東京近辺の庭などでよくみられることや、飛び方がなんとなくハエに似ているのでハエだと思っている人もいるかもしれない。といった話が書かれている。
体長1cmに足りないくらい。銅のような体色。正面から見るとけっこう剽悍な顔をしている。他の昆虫を食べているということであるが、写真をとっているそばでクモに捕獲されてしまった個体もいた。
一見平和な家の庭も小さい世界でおそろしいことが起きている。
5月20日の日曜日の午前、府中市の「多摩川清掃」に行ってみました。
この催し、(確か)年に1回行われていますが、この日は天気がよいこともあってか、結構たくさんの人が参加していました。それでかどうか、私が行った時には、目につくような大きなゴミはほとんど落ちていませんでした。
おかしなもので、さあゴミを拾うぞというときに、ゴミが落ちていないと物足りない気になります。実際に、もらったゴミ袋の容量の5分の1も拾えなかったので、ゴミ袋自体がゴミを増やしてしまわなかったか、なんだか申し訳ない気分でした。
もう一点、大勢がいっせいに歩くので、川原の生き物(特に鳥)は大丈夫かな、などとちょっとだけ気になりました。(杞憂であることを祈りますが)
午後に埼玉県某所を自転車で走りますと、道路脇の林の中に、たくさんのゴミがすててあるのが目に入り、午前の「ものたりなさ」が「がっかり」感に変わり、複雑な気分になりました。
<青空がきれいだったのでもう一枚。京王線 中河原-聖蹟桜ヶ丘間の多摩川にかかる鉄橋の上流側より、百草、高幡の丘陵をのぞむ>
1/3の恩田川の項で書いた、薬師池公園側の湧出水についての予想が大はずれでした。
薬師堂の下とは別の流出箇所を上端までたどると、パイプから出ている様子からして、どうもポンプで汲み上げしているとしか思えなくなりました。公園の事務室(管理室?)で聞いてみると、「ポンプで汲み上げている」とのことでした。恩田川と薬師池側の湧出状況の比較についての記述の意味がなくなりましたので、この部分の文章を削除しました。
<左:薬師池側流出部、右:恩田川湧出部>
<薬師池公園>
恩田川の水温の測定結果は、1/3の末尾に追加しました。
(1/26追記)
薬師池公園の水の由来について、文献から引用します。
20年以上前の記述なので、現在もこのとおりかどうかはわかりませんが。
『薬師池をさぐる』町田市立図書館郷土資料研究会編集 昭和60年11月発行
p.25
(水車を回す水のながれ)
水車を回すための水は、菖蒲園の東斜面の上まで、水中ポンプで池から上げたものです。
<大滝>
薬師堂の下には、赤みを帯びた苔の乗りやすい大きな木曽石で作られた落差5mの滝があります。
この滝の水は近くの山の上にある東京都水道局原町田第11水源の井戸より供給されています。
薬師堂の下とは別の流出箇所を上端までたどると、パイプから出ている様子からして、どうもポンプで汲み上げしているとしか思えなくなりました。公園の事務室(管理室?)で聞いてみると、「ポンプで汲み上げている」とのことでした。恩田川と薬師池側の湧出状況の比較についての記述の意味がなくなりましたので、この部分の文章を削除しました。
<左:薬師池側流出部、右:恩田川湧出部>
<薬師池公園>
恩田川の水温の測定結果は、1/3の末尾に追加しました。
(1/26追記)
薬師池公園の水の由来について、文献から引用します。
20年以上前の記述なので、現在もこのとおりかどうかはわかりませんが。
『薬師池をさぐる』町田市立図書館郷土資料研究会編集 昭和60年11月発行
p.25
(水車を回す水のながれ)
水車を回すための水は、菖蒲園の東斜面の上まで、水中ポンプで池から上げたものです。
<大滝>
薬師堂の下には、赤みを帯びた苔の乗りやすい大きな木曽石で作られた落差5mの滝があります。
この滝の水は近くの山の上にある東京都水道局原町田第11水源の井戸より供給されています。
生田浄水場の前を通ると、私はなぜか伊勢神宮の神田を思い出します。
背後に丘陵があって、その前に空間が広がっているという以上の共通点は、ないのですが。
<生田浄水場 2006年12月撮影>
<伊勢神宮神田 1997年撮影>
背後の丘陵には、配水池があり散策道があります。
<配水地に上る階段。この階段220段あります。>
<階段の上から浄水場を望む>
背後に丘陵があって、その前に空間が広がっているという以上の共通点は、ないのですが。
<生田浄水場 2006年12月撮影>
<伊勢神宮神田 1997年撮影>
背後の丘陵には、配水池があり散策道があります。
<配水地に上る階段。この階段220段あります。>
<階段の上から浄水場を望む>
1/8 写真追加・加筆しました。
前日に雨が降り、今日は風が強く、晴れ。
遠くの山を見るには好条件となったので、
桜ヶ丘公園ゆうひの丘からの眺望を楽しみました。
ここの斜面は、樹木がなく、北から西の眺めがなかなかのものです。
(あるいは、眺望目的で樹木を植えていないのかもしれません)
12月22日の「分倍河原」の項目で、北方向の山並みにすこし触れましたが、
この丘からは、赤城、足尾、日光、ずっと北東には加波山が見えるようです。
本日は、これらの山々が、くっきりととまでは行きませんでしたが、双眼鏡を使えばだいたい確認できるくらいでした。
<赤矢印の上をたどると西武ドームの屋根、その奥やや右が赤城山>
<この写真では確認できませんが、赤矢印の上に西武遊園地の観覧車、その奥が足尾の皇海山あたり>
<この写真でははっきりわかりませんが、左の矢印の上あたりが日光の男体山;右の矢印の上に、東芝府中事業所のタワー、その下やや右の木立が、分倍河原の天王森あたりではないか>
<杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)「カシバード」で作成。この日見えていない山の名前も表示しています>
この日は、結構山が見える方でしたが、もっと、くっきり、はっきり見える日がまだまだあると思いますので、そのときに、この写真を差し替えたいと思います。そのときまでに、分倍河原の天王森の位置もちゃんと確認しておきます。
1/8写真追加・加筆
東芝府中事業所のタワー付近の拡大部分を追加しました。
赤の直線が、鎌倉街道(陣街道)。写真一番左の赤い楕円が、日通の屋根(耳塚のあるところ)、真中の黄色の看板は、中央自動車道の北側の鎌倉街道沿いのビル。一番右の、クレーン作業をやっている青いシートの建物は、陣街道を北に進み、国道20号を越えたところにありました。
<左写真:中央自動車道の北側の鎌倉街道沿いのビル、右写真:旧甲州街道「美好町3町目西」交差点から北方向>
前日に雨が降り、今日は風が強く、晴れ。
遠くの山を見るには好条件となったので、
桜ヶ丘公園ゆうひの丘からの眺望を楽しみました。
ここの斜面は、樹木がなく、北から西の眺めがなかなかのものです。
(あるいは、眺望目的で樹木を植えていないのかもしれません)
12月22日の「分倍河原」の項目で、北方向の山並みにすこし触れましたが、
この丘からは、赤城、足尾、日光、ずっと北東には加波山が見えるようです。
本日は、これらの山々が、くっきりととまでは行きませんでしたが、双眼鏡を使えばだいたい確認できるくらいでした。
<赤矢印の上をたどると西武ドームの屋根、その奥やや右が赤城山>
<この写真では確認できませんが、赤矢印の上に西武遊園地の観覧車、その奥が足尾の皇海山あたり>
<この写真でははっきりわかりませんが、左の矢印の上あたりが日光の男体山;右の矢印の上に、東芝府中事業所のタワー、その下やや右の木立が、分倍河原の天王森あたりではないか>
<杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)「カシバード」で作成。この日見えていない山の名前も表示しています>
この日は、結構山が見える方でしたが、もっと、くっきり、はっきり見える日がまだまだあると思いますので、そのときに、この写真を差し替えたいと思います。そのときまでに、分倍河原の天王森の位置もちゃんと確認しておきます。
1/8写真追加・加筆
東芝府中事業所のタワー付近の拡大部分を追加しました。
赤の直線が、鎌倉街道(陣街道)。写真一番左の赤い楕円が、日通の屋根(耳塚のあるところ)、真中の黄色の看板は、中央自動車道の北側の鎌倉街道沿いのビル。一番右の、クレーン作業をやっている青いシートの建物は、陣街道を北に進み、国道20号を越えたところにありました。
<左写真:中央自動車道の北側の鎌倉街道沿いのビル、右写真:旧甲州街道「美好町3町目西」交差点から北方向>
すこし遅い報告になりますが、12月3日に、「日野の自然を守る会」の『梵天山の下草刈り』という行事に参加しました。梵天山は、日野市の神明第10緑地周辺(地図の地点1)の昔の地名だそうです。当日の作業は、増えすぎたヤマブキの刈り込みを中心とする下草刈と、常緑樹の伐採でした。
<下草刈前と後:作業エリアは写真の右半分>
ここは、クヌギ・コナラなどの林として存続させるため、常緑樹の一部は伐採するとのことでした。私もアラカシの木をノコギリで切り倒しました。ここの常緑樹は、緑地を整備したときに植栽したものとのことで、切り株の年輪を数えてみると、20数本まで数えられました。
<アラカシの切り株>
帰りに、川辺堀之内に下りる道をゆくと、道路建設が始まっていました。(地図の地点2あたり、下の写真は、地点2よりさらに東)
<上写真:道路は谷の小道の北側をかすめて通ります。下写真:地図よりさらに東の万願寺方面から伸びてきた道路が日野台地に上ります>
写真はすべて2006年12月3日撮影です。
地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)よりコピーした。
国土地理院 2万5千分の1地形図「武蔵府中」の一部
<下草刈前と後:作業エリアは写真の右半分>
ここは、クヌギ・コナラなどの林として存続させるため、常緑樹の一部は伐採するとのことでした。私もアラカシの木をノコギリで切り倒しました。ここの常緑樹は、緑地を整備したときに植栽したものとのことで、切り株の年輪を数えてみると、20数本まで数えられました。
<アラカシの切り株>
帰りに、川辺堀之内に下りる道をゆくと、道路建設が始まっていました。(地図の地点2あたり、下の写真は、地点2よりさらに東)
<上写真:道路は谷の小道の北側をかすめて通ります。下写真:地図よりさらに東の万願寺方面から伸びてきた道路が日野台地に上ります>
写真はすべて2006年12月3日撮影です。
地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)よりコピーした。
国土地理院 2万5千分の1地形図「武蔵府中」の一部
昨日に引き続き鑓水の永泉寺に足を運ぶ。
山門を入って右側に、不動明王の石仏がある。11月4日に記した植松さんの石仏写真集に載っているもので、ベアトの写真に写っているのと同じと思われる。横から写真をとってみた。背後からはちょっと撮影は無理であった。
石仏の高さを測ってみたところA、B、C、D各部の寸法は56、14、70、25cmであった。台座のうずのような模様もベアト写真と一致する。
絹の道資料館に行き、展示資料で、鑓水の谷戸の名前を確認した。
地図は『カシミール3D図解実例集初級編』(杉本智彦著実業の日本社2004年)より切り出した。
国土地理院発行の2万5千分の1地形図『八王子』の範囲内である。
老人ホームと書いてある辺りから御殿峠の方へつづく谷が「がんこうじ谷戸(巌耕地など漢字表記は多数あり)」
老人ホームと書いてある辺りから「鑓水」と書いてある上あたりの谷が「子ノ神谷戸」
老人ホームと書いてある辺りから北に伸びて左に曲がっている谷が「嫁入り谷戸」
老人ホームと書いてある辺りから南に伸びて鑓水二丁目と書いてあるあたりの谷が「板木(伊丹木)谷戸」
絹の道資料館前の道を登り御殿峠に出て、境川に下りる。川沿いを走り、町田市立中央図書館まで。
以下の図書を閲覧する。
(1)『明治三年の村明細帳にみる八王子のむら』(古文書を探る会編 平成9年6月)
鑓水村の項に「小字は大谷、板木戸、大鷲谷、子ノ神谷、我眼寺谷(眼耕地)、嫁入り谷という六つの谷戸にわかれ、おおむねその谷の集落に沿って集落が形成されていた。」(p120)とある。
(2)『目でみる厚木・愛甲の百年』(郷土出版社1991年)
(3)『ふるさと宮ヶ瀬』(ふるさと宮ヶ瀬を語り継ぐ会編著1997年)
(2),(3)には、ベアトの宮ヶ瀬の写真が掲載されており、撮影地点は、いずれも「宮ヶ瀬大橋」となっていた。撮影対象が宮ヶ瀬大橋(当時は当然この名称ではなかったろうが)と特定されている以上、あまり細かい詮索は意味がなくなったが、中津川渓谷とされている写真については、(3)には掲載がなく、(2)の説明は少々不正確のように思われた。
11月4日に述べたとおり、後日まとめて報告してみたい。
図書館5階から外をみると、寺が見えた。帰りに立ち寄ってみると、勝楽寺で、寺の前後が道路予定地になっている。横浜線町田駅の東側の跨線橋から町田街道の原町田3町目までつながるようだ。寺が移転するしかなさそうな状況である。神社だろうが、寺だろうが、墓地だろうが、開発にはかなわない。
ベアトは原町田でも撮影を行っていて、『目でみる町田の百年』(郷土出版社)によると、浄運寺の木立が写っているという。現在は町田駅前の繁華街になっている。後日じっくり探索してみたい。
多摩センターのパルテノン多摩歴史ミュージアムに立ち寄り、図録を購入し、展示を見た。
ここの常設展示に映像コーナーがある。十いくつかあるビデオ映像の中に「昔の村」(3分)というタイトルがある。
この中に、多摩ニュータウン開発以前の唐木田のカラーの映像があった。これは必見である。
この三連休は鑓水に3日通い・鑓水ベアト三昧となった。本日の走行距離55km。
山門を入って右側に、不動明王の石仏がある。11月4日に記した植松さんの石仏写真集に載っているもので、ベアトの写真に写っているのと同じと思われる。横から写真をとってみた。背後からはちょっと撮影は無理であった。
石仏の高さを測ってみたところA、B、C、D各部の寸法は56、14、70、25cmであった。台座のうずのような模様もベアト写真と一致する。
絹の道資料館に行き、展示資料で、鑓水の谷戸の名前を確認した。
地図は『カシミール3D図解実例集初級編』(杉本智彦著実業の日本社2004年)より切り出した。
国土地理院発行の2万5千分の1地形図『八王子』の範囲内である。
老人ホームと書いてある辺りから御殿峠の方へつづく谷が「がんこうじ谷戸(巌耕地など漢字表記は多数あり)」
老人ホームと書いてある辺りから「鑓水」と書いてある上あたりの谷が「子ノ神谷戸」
老人ホームと書いてある辺りから北に伸びて左に曲がっている谷が「嫁入り谷戸」
老人ホームと書いてある辺りから南に伸びて鑓水二丁目と書いてあるあたりの谷が「板木(伊丹木)谷戸」
絹の道資料館前の道を登り御殿峠に出て、境川に下りる。川沿いを走り、町田市立中央図書館まで。
以下の図書を閲覧する。
(1)『明治三年の村明細帳にみる八王子のむら』(古文書を探る会編 平成9年6月)
鑓水村の項に「小字は大谷、板木戸、大鷲谷、子ノ神谷、我眼寺谷(眼耕地)、嫁入り谷という六つの谷戸にわかれ、おおむねその谷の集落に沿って集落が形成されていた。」(p120)とある。
(2)『目でみる厚木・愛甲の百年』(郷土出版社1991年)
(3)『ふるさと宮ヶ瀬』(ふるさと宮ヶ瀬を語り継ぐ会編著1997年)
(2),(3)には、ベアトの宮ヶ瀬の写真が掲載されており、撮影地点は、いずれも「宮ヶ瀬大橋」となっていた。撮影対象が宮ヶ瀬大橋(当時は当然この名称ではなかったろうが)と特定されている以上、あまり細かい詮索は意味がなくなったが、中津川渓谷とされている写真については、(3)には掲載がなく、(2)の説明は少々不正確のように思われた。
11月4日に述べたとおり、後日まとめて報告してみたい。
図書館5階から外をみると、寺が見えた。帰りに立ち寄ってみると、勝楽寺で、寺の前後が道路予定地になっている。横浜線町田駅の東側の跨線橋から町田街道の原町田3町目までつながるようだ。寺が移転するしかなさそうな状況である。神社だろうが、寺だろうが、墓地だろうが、開発にはかなわない。
ベアトは原町田でも撮影を行っていて、『目でみる町田の百年』(郷土出版社)によると、浄運寺の木立が写っているという。現在は町田駅前の繁華街になっている。後日じっくり探索してみたい。
多摩センターのパルテノン多摩歴史ミュージアムに立ち寄り、図録を購入し、展示を見た。
ここの常設展示に映像コーナーがある。十いくつかあるビデオ映像の中に「昔の村」(3分)というタイトルがある。
この中に、多摩ニュータウン開発以前の唐木田のカラーの映像があった。これは必見である。
この三連休は鑓水に3日通い・鑓水ベアト三昧となった。本日の走行距離55km。