失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

「薬王」についての記述を追加しました

2011年02月26日 | 説明
「コト八日(2/8)」の項でとりあげた「薬王」ですが、
南方熊楠の「十二支考」に書かれている人物(韋善俊)以外にも
候補者がいましたので追記しました。
本日はこれだけです。


やっぱり何か絵がないとさびしいので
上記とは関係ないですが今日の写真を

<あきる野市下代継 2011/02/26>
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1月7日の内容に写真追加加筆しました。

2007年01月08日 | 説明
1月7日の宿題の一つ、分倍河原の天王森(八雲神社)の写真上の位置を確認しました。
(1月7日の項に写真追加、加筆しました。)

本日、日野市、八王子市を流れる「谷地川」の水源探訪サイクリングを行いました。
川に架かるほぼ全ての橋(上流部の個人のお宅の出入り用のものや、支流、分流のものは除く)から上流・下流の写真を撮りました。全部並べたいのですが、枚数が多いためどうするか思案中です。

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2006年12月7日の内容を修正しました

2006年12月16日 | 説明
2006年12月7日稲城市京王よみうりランド駅周辺の内容に手を加えました。
よみうりランドのゴンドラからの写真で、妙覚寺、国安の宮、威光寺の位置関係がわかりやすいものがありましたので、差し替えました。
中遠景の候補にあげた奥多摩・秩父については、判断保留にしました。
妙覚寺鐘楼のある山の部分については、別の地点から描いたものを一枚に描きあわせた可能性をのべました(詳しい論考はなし)。
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前口上

2006年10月20日 | 説明
 開発によって消えてゆく風景をせめて写真に残しておきたいと思い始めたのは25年くらい前のことです。したがって、私の手元にあるこの目的で撮った一番古い写真は、1982年のものです。その後1993年からビデオの撮影を始めました。

 はじめのころは、なるべく開発されていない場所をきれいに撮ろうなどと思っていましたが、だんだんと、そんな悠長なことを言っていられないという気がしてきました。今見た風景をその場で撮っておかないと、次に来た時にはもうその風景がなくなっているということを何回か体験したのです。なくなると言っても、古民家が一軒取り壊されるというのではなく、地形ごとそっくりなくなってしまうのです。これは、結構衝撃的です。多摩市の唐木田周辺、八王子市のみなみ野周辺、稲城市の百村・坂浜周辺などがそうでした。(私は間に合いませんでした。)
 私が記録できなかった風景については、地元の方の刊行した写真集や資料、自治体の発行している記念写真集などを紹介してみたいと思います。

 私が撮った写真、ビデオ映像は量も質も貧弱なのですが、それでも、今はもうなくなってしまった風景については、私の手元で再び消えてゆくのを待つよりは、みなさんに見ていただく機会を設けるほうが風景の供養になるかもしれないと思います。このブログはそんなところから出発しています。
 失われたむかしの風景をなつかしむなんて後ろ向きな考えでしょうか。私はそうは思いません。前向き思考などと言ったところで、過去から今まで、どう歩んできたかの検証なくしては暴走に過ぎないと思うからです。

 失われた風景がこれ以上増えないことを願って、これからも残ってほしい風景も取り上げます。これらについては既にネット上でもとてもすばらしページがたくさんあります。私は、中小都市河川の源流探訪、湧水、古民家園、湿生植物園などが好きなのでこれらもテーマにしてみたいと思います。

では、これからお付き合いいただく皆さんに多謝。
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