失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

厚木

2008年02月11日 | 幕末写真
 
<厚木中央公園から大山(本文とは関係ありません)>

ベアトの厚木の写真は3種あるそうです。どれもネット上で閲覧できます。
(厚木市のページのもの2枚)
http://www2.city.atsugi.kanagawa.jp/data/images/1165_0000004608.jpg
http://www2.city.atsugi.kanagawa.jp/data/images/1165_0000004608_1.jpg
(放送大学付属図書館 日本残像のページのもの1枚)
http://opac.u-air.ac.jp/koshashin/atsugi.html

この中では放送大学付属図書館のものが比較的大きな画像(1063×831)です。

 本厚木駅周辺はビル街ですので、幕末期の風景につながるような手掛かりが残っているとも思えません。しかし、本厚木駅周辺が昔の厚木宿の中心だったわけでもないでしょう。そもそも、厚木宿とはどのあたりだったのか。地名としては「元町」あたりが有力候補かなと思いつつ、厚木市郷土資料館にまず行って、「厚木村絵図」のようなものを探してみることにしました。

 ベアト写真の撮影ポイントは、資料館で手に取った数冊の本の中に書かれていて、ほとんど苦労することなくわかってしまいました。
『東町二番』(厚木市教育委員会 1994 pp.25-26)から引用してみます。

(引用開始)
 写真には中央に広い通りがあり、その通りの中央には掘割がある。資料2でも述べた「前堀」であろう。・・・
 さて、この写真は南北方向の道沿いに形成された厚木の町並みであることは解説シートの表題から明らかであるが、撮影方向が一つの問題となってきた。『厚木の商人』では北に向かって撮影したとしており、これが今までの定説のようになっていた。その論拠とするのは、太陽光線の方向であり、当時の写真技術では逆光となる南向き写真撮影は不可能であると解説している。しかしながら本書では次の二点から南に向かって撮影したものと考えたい。
 ① 掘割の水の波紋が写真奥手を向いており、このことから水は写真奥手方向(=南)に流れている。
 ② 「牛肉漬」の大きな看板に似ているものが「厚木六勝図」に描かれており、その位置関係からすると南方向である。
 写真解説シートには、「大きな川の右側にある」と書かれているが、南向きの写真とすれば、この解説文とも齟齬しないであろう。そして南向きの写真とした場合、奥の木の生い繁ったところが天王森(厚木神社)と思われ、・・・・
(引用終わり)

 
<左:厚木神社、右:厚木の渡し>     
 ここで言う「解説シート」とはベアトの写真集についている解説文のことで『F・ベアト幕末日本写真集』(横浜開港資料館)に訳文が載っています。
 確かに、『第4回特別展 東街道と矢倉沢往還』(厚木市郷土資料館2001 p16)に載っている「厚木村絵図」には道の真ん中に水路が書かれています。どの道筋で撮ったものかはこれで確定してしまいます。
 水路の波紋の向きも、『東町二番』の記述は納得がいきます。
 太陽光線の点でも、写真に写っている影は、奥から手前に落ちているように見えます。(影が短いので昼に近い時刻に撮影されたのでしょう)
 ということで南向きというのも確定といっていいように思います。

 さらに撮影ポイントを絞りこめないでしょうか。
 写真に写っている看板の文字については『第9回特別展 商家と看板』(厚木市郷土資料館2007 pp.46-53)に細かい解読がなされています。
この中で、「薬種」の看板(http://www2.city.atsugi.kanagawa.jp/data/images/1165_0000004608.jpgの写真)には、「薬種」の文字の左右に小さな文字が書かれていて、右に「一文字屋」左に「三郎兵衛」と書かれていることが示されています。この屋号「一文字屋」ですが、『東町二番』(p.57)に収録されている『百家明鑑』(明治33年)という資料には、「一文字屋」の住所が厚木町2522と書かれています。同書(p.23)の『住居表示新旧対照案内図』(昭和42年)でみると、2522番地は東町の北になります。この位置を下の地図で、黒の点で示しました。
ということで、「一文字屋」さんがベアトの写真撮影時点から明治33年までの間に移動していないとすると、ベアトの写真は現在の厚木市東町6あるいは9あたりから南方向を写したものと推測します。(上記の引用の②の位置とは少々合わないところがあります。もうすこし検討の余地があるかもしれません。)
  
           <東町8から南方向を望む。下の地図の矢印参照>


<厚木神社前の住居表示図を拝借します。昔の厚木町2522は■で示したあたりのようです>

 厚木の街の最古層とでもいうべき東町ですが、現在の様子は、昔からの商店街がさびれかけていて、ところどころできている商店跡に中・高層の建物が建ちつつあるといった印象でした。

 余談ですが、ベアト写真に写っている「牛漬」の看板のかわりに「とん漬」の看板を見つけました。厚木の名産だとは知りませんでした。ベアトの写真撮影地点と場所が近いので妙に気になり、お土産に買って帰りました。最後は「食い気」です。

<波多野商店さんの「とん漬」の看板>

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恋ヶ窪樹林 雪景色

2008年02月03日 | 残ってほしい風景
 
                  <西恋ヶ窪樹林地 雪景色>


 


 恋ヶ窪樹林の四季。これで一巡です。
 
 
 
 
 
 

撮影日は上から2007年2月17日、4月22日、7月16日、10月28日、12月9日、2008年2月3日です。
コメント (2)
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