(1/14 山の角度の記述を修正)
江戸名所図会 巻之三 天璣之部に「法泉寺」を描いた絵があります。
<ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房pp.506-507>
福昌寺の北側は現在空き地(駐車場?)になっており、ここから写真を撮りました。(ここに福昌寺別院が建設されるようです。)
<地点1>
地点1からの写真は、絵の中では、福昌寺と法泉寺の門のあたりの感じに近いですが、根上明神の階段の向きが合いません。現在の根上明神の階段は、法泉寺の門から福昌寺に向かう道に対して、直角ぐらいの向きに上がっています。最初の階段を登り切ると、そこからまた直角くらいの向きに本殿があります。
<根上明神階段と社殿>
<法泉寺、根上明神階段は、山門前を左に>
この絵は、根上明神の山全体が、何十度かねじれた向きで描かれているように思います。複数の視点からのスケッチを1つにまとめたもののようです。
また、地点1からの写真では、根上明神の山があまり高く見えません。もうすこし、離れた位置からだと、山の存在感が大きくなります。
また、図に描かれている流れは、三沢川から分水している用水のようですが(注:コメント欄参照)、地点1は水路の南側ですので、流れは写りません。
現在は、この用水路の北側は住宅が建てこんでいて、法泉寺方向はほとんど見えません。
わずかに残っている畑の間から(あるいはもう1箇所、東菅小学校の北側の橋から)、福昌寺、根上明神の裏山がかろうじて望めます。
<水路の北側から>
根上明神の社殿は、山頂にあるわけではなく、社殿の南側はさらに高くなっています。
山の裏側は案外すぐ住宅になっていたりすることがあるので、南側に回ってみました。
そこは住宅が迫ってはいないものの、調整池(菅北浦調整池:地点3)になっていました。山の斜面はけっこう削られているようですが、山のシルエットは、絵の山の形(地点3は、ちょうど絵の裏側あたり)を思わせるものがあります。
<地点3から>
根上明神の裏山は、小散策路になっていますが、入り口の階段がかなり急でした。(神社からは登れません)
<裏山:地点2>
地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)よりコピー。
国土地理院2万5千分の一地形図「溝口」の一部
江戸名所図会 巻之三 天璣之部に「法泉寺」を描いた絵があります。
<ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房pp.506-507>
福昌寺の北側は現在空き地(駐車場?)になっており、ここから写真を撮りました。(ここに福昌寺別院が建設されるようです。)
<地点1>
地点1からの写真は、絵の中では、福昌寺と法泉寺の門のあたりの感じに近いですが、根上明神の階段の向きが合いません。現在の根上明神の階段は、法泉寺の門から福昌寺に向かう道に対して、直角ぐらいの向きに上がっています。最初の階段を登り切ると、そこからまた直角くらいの向きに本殿があります。
<根上明神階段と社殿>
<法泉寺、根上明神階段は、山門前を左に>
この絵は、根上明神の山全体が、何十度かねじれた向きで描かれているように思います。複数の視点からのスケッチを1つにまとめたもののようです。
また、地点1からの写真では、根上明神の山があまり高く見えません。もうすこし、離れた位置からだと、山の存在感が大きくなります。
また、図に描かれている流れは、三沢川から分水している用水のようですが(注:コメント欄参照)、地点1は水路の南側ですので、流れは写りません。
現在は、この用水路の北側は住宅が建てこんでいて、法泉寺方向はほとんど見えません。
わずかに残っている畑の間から(あるいはもう1箇所、東菅小学校の北側の橋から)、福昌寺、根上明神の裏山がかろうじて望めます。
<水路の北側から>
根上明神の社殿は、山頂にあるわけではなく、社殿の南側はさらに高くなっています。
山の裏側は案外すぐ住宅になっていたりすることがあるので、南側に回ってみました。
そこは住宅が迫ってはいないものの、調整池(菅北浦調整池:地点3)になっていました。山の斜面はけっこう削られているようですが、山のシルエットは、絵の山の形(地点3は、ちょうど絵の裏側あたり)を思わせるものがあります。
<地点3から>
根上明神の裏山は、小散策路になっていますが、入り口の階段がかなり急でした。(神社からは登れません)
<裏山:地点2>
地図 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)よりコピー。
国土地理院2万5千分の一地形図「溝口」の一部
ご指摘ありがとうございます。