失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

8月のおわりの雲

2008年08月31日 | 雑記

夏がおわりつつあると感じさせる雲であった。
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おばけ坂

2008年08月30日 | 民俗

<多摩市 東寺方>

『多摩市史 民俗編』をみていたら、「おばけ坂」という写真が目にとまった。(p.640)
本文によるとこうである。

(引用開始)『多摩市史 民俗編』P.641
②おばけ坂 東寺方地区の宝泉院の下の坂はおばけがでるといいおばけ坂とよんだ。また、この坂はもともとグミの坂といったが、坂の下にすむ老婆が若者を脅したため、おばけ坂とよばれるようになったという。(『叢書5』)
 また、この老婆は、身の丈六尺もあり、口が耳まで裂けており、いつも笊に小豆をいれてといでおり、人が通ると笊を頭からかぶせて捕らえ、食べてしまったという。それでこの坂は「山の婆坂」とよんだという。(『子どものための歴史のさんぽみち』)
 このような小豆をとぐ妖怪の話は関戸、貝取、南野の地区にもある。
(引用終わり)

 上の写真は宝泉院の前の坂を下り切ったあたり、大栗川の右岸付近である。
『多摩市史 民俗編』の写真撮影位置に近いと思われる。
『多摩市史 民俗編』の写真がいつ撮影されたものかわからないが(巻末に写真リストがついていたが撮影年の記載がなかった)、写真に写っている範囲に当時は家が一軒も建っていなかった。

<<ここで追記。8.31>>
 上記引用文中の『叢書5』とは『多摩市史叢書(5) 多摩市の民俗(口承文芸)』(多摩市平成5年)のこと。これを読んでみると、『多摩市史 民俗編』から受ける印象と若干おもむきがことなる。なので、すこし長くなって煩わしいが以下に引用する。また上記引用文中に『子どものための歴史のさんぽみち』とあるのは『歴史のさんぽみち』の誤りであろう。両者は違う本である。(『歴史のさんぽみち』は「たま広報」に昭和45年3月1日号から52年9月20号まで載せていた「歴史のさんぽみち」を総集編としてまとめたもの。)

(引用開始)『多摩市史叢書(5)』p.98
4.お化け坂①
 お化け坂、あの本当いったらグミの坂って言ったんだよね大きなグミの木があったらしいんだよ。まあそこの下にたまたま一軒家があって、そこにおばあさんがいたらしいんだよね。それが、そのばあさんが脅かした、と。若い衆を。あれ、おっかない坂だということでいつのまにか、お化け坂というようになってしまった。
 いや、あそこは勿論、昔はどこにも街灯はなかったし、えー、竹山があったんだね。あの駅の方へずっと降りていくね、右側が全部竹山だった。その竹がおい茂って、頭に届きそうにおい茂って、真っ暗だった。手で探んなきゃ歩くところが分かんないくらい暗かった。それでお化け坂、おっかない。そういうことになっちゃたわけなんだね。
(東寺方・男・大正生まれ)

5.お化け坂②
 ウチのほうのなんていうか、下の寺といいまして宝泉院ってお寺があるんですがね。あそこは、あの下はね、それこそお化けが出るっていったようなことでね、それこそ昔はもう夜遅くなんかに一人でとてもじゃないけど通れない、というような状況であったんですよね。
 トンネルみたいに竹が植えてクロにかぶっちゃっててね。それでこそ何が出てくるか分からない。ウチの方は地域のものだから言わないけど、ワキの人はそれこそお化け坂だ、なんていうようなことまでいわれて。
(東寺方・男・明治生まれ)
(引用終わり)

 これを見る限り、「この坂の下にこわいおばあさんが住んでいたということだ。坂は竹が生い茂って、暗くてこわかった」という以上の話ではない。これが『歴史のさんぽみち』では小豆をとぐ人食い婆という属性が老女に付け加わっている。

<<以上、追記終わり>>

『多摩市の町名』(多摩市発行 平成4年)にも「東寺方の伝承地名」として、「山の婆坂」が載っている。(p.153)ただ、ここでも説明文は『歴史のさんぽみち』からの引用である。孫引きになるが『多摩市史 民俗編』と重複しない部分を以下に引用してみる。

(引用開始)『多摩市の町名』P.154
「昔は、この道左側に山があって、ケヤキの老木が生い茂り、反対側は一面の竹藪で、そこは清水が流れていた。そのため昼間でも薄暗い寂しい小道であった。(引用終わり)



<宝泉院の前から下り方向を>


 小豆とぎの妖怪は、水木しげるの『妖怪画談』や柳田國男の『妖怪談義』にも取り上げられていて、それによると全国あちこちで伝わっていた妖怪のようである。ただ、いつも老婆だというわけではない。
『多摩市の町名』には貝取、連光寺の小豆とぎ婆のことも載っており、これらについては、またあらためてとりあげることにする。

 最後に、妖怪の話とは関係ないが、宝泉院の北側にある小学校の緑が周囲の丘陵とうまくマッチしているように思えたので載せてみます。

<小学校の緑が周辺の景観の大事な要素になっている>
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多摩動物公園草食動物用栽草地

2008年08月10日 | 残ってほしい風景

 今回の場所は住所でいうと八王子市大谷町です。
都立小宮公園の東側、中央道八王子ICの南側です。
この丘陵の上に、牧草地のような景観があります。

 15年前に撮ったビデオを見てみると、このあたりに
「草食動物用栽草地
 ここではかわいい動物たちの草を栽培しています
 大切にしてください
 東京都多摩動物公園」
と書かれた看板が立っていました。

しかし数年前に訪れたときは、栽草地の看板は壊れかけていました。
今回はこの看板がみあたりませんでした。
 立っていた看板(写真に映っている白い板)は「ひよどり山農園」となっています。
 あれ、ひょっとしてここはもう動物園の草食動物用栽草地ではなくなったのですか?

でもこの写真のずっと奥の方(東側)に
「ユーカリ栽培地 多摩動物公園」の看板が立っていました。
だからまだ、(少なくとも一部は)動物園の栽草地のようなのです。

<左側の何本かの木がユーカリのようです>


<道を行くと小宮公園の前に出る>

<反対方向に行くと下って中央道の側道に出る>

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