今日は2月8日ということで、「ヨウカゾウ」という風習(2010年頃に興味をもってからだいぶ久しぶりになりました)に関連する文章を紹介します。
ここでは「つつじ」が本題なのですが「山の神」まつりの風習がとりあげられています。
「ヨウカゾウ」とはどういうものかについては過去ログをご参照ください。
宮本常一 『宮本常一著作集43自然と日本人』(未来社 2003年刊)「ツツジと民俗」p.191より
(引用開始)改行は勝手におこなっています
山の神は春になると山から下って田の神になるものだとは広く信じられているが、それが土地によっては二月九日だったり、三月十六日だったりする。
東北地方では三月一六日が多い。三月ではまだつつじが咲いていない。
兵庫・大阪・奈良の山地地方では四月八日、家の前に高い竿をたて、竿のさきにつつじをつけているのをみかける。
中には赤いつつじでなくモチツツジという白い花をつけることもあり、わらじなどをそえて立ててあるのを見る。
この花をテントウ(天道)花とかニチリン(日輪)花とかいっており、太陽に花をささげるのだといっているが、
もともとは山地にのぼって供えた花を家の前に竿をたて、それを山頂の行事に代用したものではなかろうか。
・・・
・・・兵庫県下はテントウ花をたてる風習の比較的よく残っているところであるが、それはお釈迦さまにささげるためのものだと言っている。
そしてそういうところでは、四月八日は花折り婆が山から下りてくる日で、山へゆくと婆にさらわれるからゆかないという伝承が氷上郡地方にはある。
四月八日に山にのぼって神をまつる習俗とたいへんちがうように思うが、ともに山の神をまつる日であったことにはかわりないようである。
(引用おわり)
(初出『花材別生花芸術全集』六 主婦の友社 昭和49年(1974) )
家の前に竿を立てる、わらじなどをそえる、この日には婆が山から下りてくる、山にゆくと婆にさらわれる、
などが、多摩地区周辺で行われていたヨウカゾウの風習伝承との共通点です。
宮本先生の指摘のとおり「もともとは山地にのぼって供えた花を家の前に竿をたて、それを山頂の行事に代用した」
のだとすると「この日に山にゆくと婆にさらわれる」という伝承は、
本来山頂で行っていたおまつりを家の前で済ませてしまうことへの言い訳だったのではないかという気がしてきました。
ヨウカゾウには、このような「山の神まつり」の要素と、それとは別系統と思える「節分の、魔除け・厄払いの行事」の要素、
さらには引用文にある、仏教の、灌仏会、あるいは十二月八日の成道会なども日付に影響しているかもしせません。
最後の部分は論拠がないですが、地味にアンテナは張っておきます。
(2月10日追記)
日の出町の「ひので野鳥の森自然公園」の山之神の写真を貼っておきます。撮影日 2025/2/9

<コース案内指示柱と石祠>

<山之神の石祠を経て尾根に出るコース>
小さな石祠の横を通って尾根に上がる道を歩いていて、
山の神は山そのものがご神体で、
山の神をまつるというのは、立派な祠堂つくったり飾り立てたりすることではなく、
山全体に感謝をささげたり安全を祈ることなのだなと感じました。
(山仕事の経験ゼロのものに何がわかるかとしかられそうですが)
そうしてみると、山の神に感謝をささげる場所は山頂であろうと家の前であろうとさして重要ではないと思えてきました。
たしかに山頂は山の中で唯一無二の場所ではありますが、あくまで山の代表点・象徴点でしかないということになりましょうか
(おしまい)