失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

横浜市泉区 下飯田

2011年08月30日 | 残ってほしい風景

<2011/08/28 境川左岸にある美濃口家前の水路>

<2009/12/20 同上所遠景 冬>

<2011/08/28 同上所遠景 夏>
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過去を振り返るのは未来を照らすため

2011年08月21日 | Weblog
今日も生きています。

今日の話題は過去を振り返ること。


●JR南武線南多摩駅付近の高架化工事もだいぶ進んできたようです。

<2011/08/21 稲城市大丸 川崎街道(画面左右方向)から北方向を>

下の写真は同じ場所の5年前の様子です。
この時点でもう美しいとは言えない風景です。

<2006/12/31 同上所>
ただ、道ばたの石造物に目がとまっただけです。
いずれすぐ道路工事のため取り除かれるのだなと思って。



●さて上の写真とは大きく離れますが、
このところの原発や放射能汚染関連の報道を耳にして、
なんだまた同じコトの繰り返しかと思うことが2つあります。
一つ目は、
「原発をやめると電気料金が上がって企業の競争力が落ちて日本経済がだめになる」
という意見について。
これを聞いて私が思い出すのは、公害問題が大いに騒がれていたころのこと。
そのころ
「公害規制を厳しくすると処理対策費が重荷となり企業がやっていけなくなる」
とよく言われていたことを思い出します。
今となっては、「企業がもたない」どころか、
「いかに環境に配慮しているか」が各企業の「売り」になっているではないですか。

二つ目は、今の放射能汚染騒ぎは何年か前のダイオキシン騒ぎを思い出させること。
たき火も自粛というほど過剰に反応していたダイオキシン問題は今ではほとんど報道されなくなりました。
「対策が効果をあげたので環境中のダイオキシンはもう心配いりません」と
本当にそうなら誰か(官庁でも学者でも)安全宣言して報道してくれればいいのですが。
煽るのが商売の人に事後検証を期待してもどだい無理な話でした。

私は、新たな原発事故が起きなければ
今の放射能汚染報道(騒ぎ)は、ダイオキシン報道(騒ぎ)と同じ経過をたどるのではないか
と予想しています。
5年後に(まだ生きていたら)検証してみたいです。
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夢の中で死んだ話

2011年08月14日 | 記憶の中、夢の中





さ、どうぞお乗り下さい。 <川崎市日本民家園にて 2011/08/13>

文の最後に怪談めかした「おち」をつけてありますので、
(以下の友人のコメントのところまでは作り話ではありません)
そういうものに不快を感じる方は素通りして下さい。
「怖い」というより「不快」に感じる方がいるかもしれませんので。
いないですね。
では、はじめます。

私は一度、夢の中で死んだことがあります。
夜、寝ているときになんだか圧迫感を感じて、
息苦しいのでなんとか姿勢を変えようとするのですが
体が動きません。
このままだとまずいなとあせるのですが、どうしても体が動かない。
そのうちに、苦しくてもうだめ、死んでしまいそうというほどになりました。
死ぬ時はこんなふうなのか、とか
もう少しやりたいことはあったのだけれど、
などと思っているうちに、とうとう最後の時がきて
意識(そのとき夢を見ていた自分)が消えました。
そのとき、夢の中で死んでしまったのです。
もちろん、そのとき本当に死んでいなかったからこそ
今こうしてこの文を書いているわけです。
翌朝目が覚めて、あ、生きている、とわかったときは
心底よかったと思いました。
まだもう少し何かやれるのだと。
(またとない改心の機会を得ながら、その後、必ずしも、日々を大切にし、
充実した人生を送ってきたわけではないのは凡夫の悲しさ。)

このときの自分に何が起きていたのか正確にはわかりませんが
命の危機というほどの状況にはなかったのだろうと思っています。
臨死体験者が報告しているようなことを経験することはなかったし、
死の直前に人生が走馬灯のように思い出されるということもなかったです。
(私はこの走馬燈の話を、テレビアニメ版『巨人の星』で聞いたように記憶していますが
 一体誰が言い始めたのでしょう?)


この話を友人にしたところ、
「そのとき目覚めたところはこの世ではなくあの世だったんじゃない?」
とコメントをくれました。
あははと笑いましたが、一瞬狼狽した私でした。
いったい私がこれを書いているのはこの世か、あの世か?
これを読んでくださる方はこの世の人、それともあの世の人?




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亀成川 千葉県印西市

2011年08月07日 | 源流探訪
(8/8訂正 タイトルに掲げた本埜村は2010年3月に印西市と合併したということですので訂正します。)

先日、業務移動中に気を引かれる谷戸田の風景を目にしたのでさっそく訪れてみました。
今回はこの橋からの谷戸田の風景をできれば青空を背景にして撮りたかったのです。
撮影日はすべて2011/08/06です。

目的地は最寄り駅でいうと北総鉄道の印西牧の原
あるいは成田線の木下になるのですが
できれば自転車で走り回ってみたいので
レンタサイクルを探してみると我孫子にありました。
我孫子駅から目的地までは地図でみると直線距離で16km程度で
かつ、谷戸(亀成川)の流れは手賀沼方向だったので
源流探訪という形にしてこの谷戸をずっとさかのぼってみることにしました
駅周辺のインホメ-ションセンターでレンタサイクルセンターの場所を聞き、
地図(「TeGaマップ」「手賀沼流域湧水マップ」)も手に入れました。
「手賀沼流域湧水マップ」は水路表示がわかりやすく今回の目的には好都合でした。
<我孫子駅前>
 
<右:サイクルパーク我孫子南、レンタサイクルの受付はここで>
レンタサイクル一日300円です。ここの他に5ヶ所ステーションがあります。

駅前から手賀沼公園に向かって下り、手賀大橋を渡って南岸を行きました。
天気は曇り。

<手賀大橋からの手賀沼>

ご覧のとおりここの手賀沼南岸のサイクリングロードは一般車道かと思うほどの広さです。
(難点は、夏はアスファルトからの熱で暑いこと。もっともこれは一般車道でも同じですが。なんとかしてくれ)


ハスの花を横目に


手賀沼をすぎて手賀川を行きますと南から「下手賀沼」からの流れが合流します。
亀成川はこの「下手賀沼」からの流れに合流しています。
そこで手賀川沿いを離れて南の「下手賀沼」方向に向かいました。
 
<下手賀沼の出口に架かる橋。これを渡って印西市へ入る>

いよいよ亀成川にでました。
 
<亀成橋から 左:下流方向、右:上流方向>

ここから谷戸田の風景がずっと続くだけです。いやそれが見たいから来たのです。


 
川沿いに進もうと思いましたが
土手が草深くて、ひよってしまい
脇の集落道を行くことにしました。
(草深いのは一部区間だけだったようですが)







やがて集落も消えて道は農道しかなくなります。


合流点から5kmくらいさかのぼると、谷戸の風景はいぜんとしてのどかです、
でも南側の台地上はニュータウン?として開発されています。


撮影目的地(旧本埜村滝にある橋)につきました。
谷の南側(写真右側)の台地に新しい街並みが姿を見せます。
天気も青空が見えるようになりました。


同じ橋の上から亀成川の下流方向を。


どこまでいけるかこの谷をさかのぼってみます。


左の林には学校の学習林の看板が立っていました。


左右の丘が接近し谷地形はなくなります。上り詰めるとバス停のある舗装道路に出ました。
下の右の写真の林の向こう側は印旛沼の水系になるようです。
ここで探訪を終えて、来た道をそのまま引き返すことにしました。
 

さきほどの橋のところで
調整池からの流れが南から合流してきます。
こちらも亀成川の水源の一つ。
(あるいは元はこちらが本流だったのかもしれません)



 



やはり青空はいい。暑いですが。

こんな風景が見たくてやってきたのでした。暑いですが。



最後に、「行き」に見逃した亀成川の流末(合流点)を見ておきましょう。これでおしまいです。

<亀成川合流部。奥から亀成川が流れ込んでT字形に合流しています。>



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