失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

夢の中で死んだ話

2011年08月14日 | 記憶の中、夢の中





さ、どうぞお乗り下さい。 <川崎市日本民家園にて 2011/08/13>

文の最後に怪談めかした「おち」をつけてありますので、
(以下の友人のコメントのところまでは作り話ではありません)
そういうものに不快を感じる方は素通りして下さい。
「怖い」というより「不快」に感じる方がいるかもしれませんので。
いないですね。
では、はじめます。

私は一度、夢の中で死んだことがあります。
夜、寝ているときになんだか圧迫感を感じて、
息苦しいのでなんとか姿勢を変えようとするのですが
体が動きません。
このままだとまずいなとあせるのですが、どうしても体が動かない。
そのうちに、苦しくてもうだめ、死んでしまいそうというほどになりました。
死ぬ時はこんなふうなのか、とか
もう少しやりたいことはあったのだけれど、
などと思っているうちに、とうとう最後の時がきて
意識(そのとき夢を見ていた自分)が消えました。
そのとき、夢の中で死んでしまったのです。
もちろん、そのとき本当に死んでいなかったからこそ
今こうしてこの文を書いているわけです。
翌朝目が覚めて、あ、生きている、とわかったときは
心底よかったと思いました。
まだもう少し何かやれるのだと。
(またとない改心の機会を得ながら、その後、必ずしも、日々を大切にし、
充実した人生を送ってきたわけではないのは凡夫の悲しさ。)

このときの自分に何が起きていたのか正確にはわかりませんが
命の危機というほどの状況にはなかったのだろうと思っています。
臨死体験者が報告しているようなことを経験することはなかったし、
死の直前に人生が走馬灯のように思い出されるということもなかったです。
(私はこの走馬燈の話を、テレビアニメ版『巨人の星』で聞いたように記憶していますが
 一体誰が言い始めたのでしょう?)


この話を友人にしたところ、
「そのとき目覚めたところはこの世ではなくあの世だったんじゃない?」
とコメントをくれました。
あははと笑いましたが、一瞬狼狽した私でした。
いったい私がこれを書いているのはこの世か、あの世か?
これを読んでくださる方はこの世の人、それともあの世の人?




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