江戸名所図会巻之三に吐玉水という絵があります。
ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房pp.504-505
本文を見ると、
「吐玉泉 寿福寺より後ろの方の谷を隔てて西の山際、農民の地にあり。水源白砂を吹きだすゆえに号とす。昔は小沢の白清水という。」(ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房p.503)
となっています。
地図でみると、寿福寺の西側に谷がありますので、この谷に豊富な湧水があったのでしょう。あるいはよみうりランドの中だったら、もう無くなっている可能性があります。この谷戸の名称は知りませんが、現在のこのあたりの地名は、川崎市菅仙谷1となっています。
地図1 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』( 実業の日本社)より
国土地理院 2万5千分の1地形図「溝口」相当部分。
現地に行ってみますと、谷の西縁に確かに水が湧いているところがあります。
梨畑で作業していた方に話を伺うと、昔は白清水といっていて、下地の砂の色が白かったからだという話をしてくれました。文庫本の絵を見ていただくと、そこに描かれている家は、その方のお宅の一部(当時の建物はもちろんすでにないそうですが)で、江戸名所図会の刊本も所有しているとのことでした。この絵のポイントが分るとは思ってなかったので、かなりうれしい気分です。
左側の絵に描かれている湧水が、谷の西縁だとすると、右側の絵は谷の下流側を描いていることになり、描かれている丘陵は、小沢城址の丘陵が候補にあがります。その下に、寿福寺からの続きの尾根の末端が、右から張り出す形で描かれている(この絵ではわかりにくいかもしれませんが)ことになります。
この構図とぴったりだと言えるほどの地点、方向はわかりませんでしたが、下流方向に向いて、写真を撮ってみました。
このあたり、奥まっていることもあり、昔はさぞや秘境のようなところだったのだろうと空想をめぐらし、しばし絵の中に入った想像をしてみました。
12/13追記
秘境といっても、今からみればということで、当時は普通の農村風景だったのでしょう。
また、むかしの里山風景は、今よりもっと樹木もまばらで樹高も低く、松が目立つような風景だったということについては、
パルテノン多摩歴史ミュージアム編集『特別展 多摩の里山「原風景」イメージを読み解く』(財団法人多摩市文化振興財団2006年)
水本邦彦『草山の語る近世』(山川出版社2003年)などが面白いです。
ちなみに、この絵の丘陵部に描かれているのものは松のような感じですね。
ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房pp.504-505
本文を見ると、
「吐玉泉 寿福寺より後ろの方の谷を隔てて西の山際、農民の地にあり。水源白砂を吹きだすゆえに号とす。昔は小沢の白清水という。」(ちくま学芸文庫『新訂 江戸名所図会3』市古夏生・鈴木健一校訂 筑摩書房p.503)
となっています。
地図でみると、寿福寺の西側に谷がありますので、この谷に豊富な湧水があったのでしょう。あるいはよみうりランドの中だったら、もう無くなっている可能性があります。この谷戸の名称は知りませんが、現在のこのあたりの地名は、川崎市菅仙谷1となっています。
地図1 杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』( 実業の日本社)より
国土地理院 2万5千分の1地形図「溝口」相当部分。
現地に行ってみますと、谷の西縁に確かに水が湧いているところがあります。
梨畑で作業していた方に話を伺うと、昔は白清水といっていて、下地の砂の色が白かったからだという話をしてくれました。文庫本の絵を見ていただくと、そこに描かれている家は、その方のお宅の一部(当時の建物はもちろんすでにないそうですが)で、江戸名所図会の刊本も所有しているとのことでした。この絵のポイントが分るとは思ってなかったので、かなりうれしい気分です。
左側の絵に描かれている湧水が、谷の西縁だとすると、右側の絵は谷の下流側を描いていることになり、描かれている丘陵は、小沢城址の丘陵が候補にあがります。その下に、寿福寺からの続きの尾根の末端が、右から張り出す形で描かれている(この絵ではわかりにくいかもしれませんが)ことになります。
この構図とぴったりだと言えるほどの地点、方向はわかりませんでしたが、下流方向に向いて、写真を撮ってみました。
このあたり、奥まっていることもあり、昔はさぞや秘境のようなところだったのだろうと空想をめぐらし、しばし絵の中に入った想像をしてみました。
12/13追記
秘境といっても、今からみればということで、当時は普通の農村風景だったのでしょう。
また、むかしの里山風景は、今よりもっと樹木もまばらで樹高も低く、松が目立つような風景だったということについては、
パルテノン多摩歴史ミュージアム編集『特別展 多摩の里山「原風景」イメージを読み解く』(財団法人多摩市文化振興財団2006年)
水本邦彦『草山の語る近世』(山川出版社2003年)などが面白いです。
ちなみに、この絵の丘陵部に描かれているのものは松のような感じですね。
ご教示ありがとうございます。
一番下の写真の反対側を向くと
よみうりランドの(昔の乗り物?の)鉄橋が
架かっていて、
その下あたりに敷地境界のフェンスがありますね。
ここの湧水については、kuyaさんのサイト『稲城の里山散歩』が、「晩秋の南山 (2006年11月下旬散歩)http://www.h3.dion.ne.jp/~kuya/M061104.html」で写真を掲載されていました。(ご存じのことと思いますが)
南山の開発の話はkuyaさんのサイトで読ませていただきました。気がかりだ。
kampeitaさんも、(小田急線読売ランド前駅-京王線京王稲田堤駅のコースで)寿福寺からこの谷に下って、小沢城址に上がる道を紹介されていましたね。
寿福寺といい妙覚寺といい、きれいなお寺ですよね。
昔から風景に描かれた場所があるとは
知りませんでした。
著作権の話の続きで書きづらいですが、
川崎地名辞典に次のような記述があります。
「小沢谷(オザワヤト)
小沢峰(注:小沢城のある丘のこと)の
南下の谷戸。寿福寺の山との間を流れる。
源流は現在のよみうりランド敷地内である。
ここに吐玉泉と名づけれられた名水の
湧水地があった。」
ということのようで、
よみうりランドに近い仙谷谷戸の東側、
小沢城の丘を背にした付近なのでしょうね。