失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

鶴見川源流

2008年06月14日 | 源流探訪

多摩よこやまの道から鶴見川源流「泉のひろば」へ通じる道がある。
源流の森を歩けるとはうれしい。期待して進む。


道はすぐ下りになり、いったん谷底に下りる。
梅雨の季節のせいかもしれないが小さな流れがある。
ただしこの流れは泉のひろばには行っていない。


谷を越え明るい感じの道にでる。この道を下れば今度は泉のひろばに出る。


「ひろば」付近の民家の通用路?に出る。


泉のひろば

ここについてはネット上でも豊富な情報があるので、
そちらにおまかせということで。
ひとつだけ参考までに環境省のサイトにあったものを挙げておきます。
http://www.env.go.jp/water/junkan/case2/pdf/44.pdf

よこやまの道から泉のひろばに下る道はほかにもあります。
よこやまの道の地図は
UR都市機構のページhttp://www.ur-net.go.jp/tama/yokoyama/に、
がありますが、この地図には今回のコースは載っていないようです。
現地案内板の一部の地図には載っています。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤坂谷戸 武蔵村山市

2008年04月19日 | 源流探訪

残堀川支流の水源のひとつを訪ねてみました。
一週間前はまだ桜が咲いていました。



さて出発点ですが、
残堀川の「ふじづか橋」のところで左岸側から支流が合流しています。
この支流をさかのぼってみることにします。

 
しばらく、コンクリート3面の川が続きます。右の写真は新青梅街道を渡ったところ。 

 
左の写真の場所からもう少しさかのぼると青梅街道にぶつかり、ここで暗渠に。
少し前の1/25000地形図を見ると、まだ暗渠になっておらず水路がたどれます。
流れは武蔵村山総合体育館のあたりから来ています。(右の写真)

 
武蔵村山総合体育館の横を通り過ぎると、谷戸の風景となります。


現地案内板によると赤坂谷戸という名前です。
川の水源部は、やはりこんな風景であってほしい。 

 
桜はもう散っておりました。
道は途中から流れと離れますので、湧出点を間近に見られるわけではありませんが、
この道をさらに進むと、狭山丘陵の尾根道にでます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

残堀川

2008年03月16日 | 源流探訪
 
<五日市街道脇を流れる砂川分水>

今回は残堀川の「水源探索」ではなく「旧流路探索」をしてみました。
残堀川流域図は東京都の案内板の地図をそのままお借りします。
 
<残堀川流域図>

●残堀川の水源
 残堀川の水源について一番基本となるのは、『瑞穂町史』の記述でしょう。

(引用開始)
 残堀川は国道十六号と青梅街道の十字路付近、杉山稲荷のあたりを谷頭として、狭山丘陵の浅間谷ツ、狭山谷、滝田谷ツなどの水を集めて東南流していた一種の多摩川の名残川と見てよいものであろう。
 狭山池の水は出口のない溜まり水で溢れると北東流して富士山から駒形へ出る不老川低地へ流下するもので残堀川の水源ではなかった。P.37
(引用終わり)


●残堀川の流路変遷
 残堀川の流路が過去に何度か人為的に改変されたことは、岩屋隆夫「武蔵野台地上の「河川変流考」」(『多摩のあゆみvol.13』昭和53年11月、)などに記されています。

(引用開始)
「現在の残堀川は、過去に明らかに人為的な河川の付け替えが行われている。狭山池の池尻から箱根ヶ崎までの流路がそうであり、武蔵村山市愛宕松より下流の流路も人為的に掘られた流路である。」
「狭山丘陵西側南面の谷戸を集水域としていた残堀川は、玉川上水の助水として利用するには平時の流量が小さかったにちがいない。残堀川の平水流量の増加をはかるために、狭山池の水を残堀川におとす掘り割りが開削されたものと考える。」
「「御府内備考」でいう古残堀川流路は1/25000地形図の等高線に刻まれた谷の跡から推定できる。それによると、古残堀は愛宕松の変曲点からそのまま東南流し、立川市砂川町二番、曙町二丁目を経て矢川に連続し、青柳・谷保を経て府中用水におちていたと考えられる。ところが、残堀川を玉川上水の助水として利用するには、古残堀川流路では動水勾配がとれない。すなわち、古残堀川と玉川上水の交差点では、河床高が残堀川の方が低くなるため水が玉川上水におちない。そのため、愛宕松下流の古残堀川を廃川化し、玉川上水の上流川へと残堀川を付け替えたと見てまちがいないと思う」
p.29-30
(引用終わり)

写真では小さいですが背景に狭山丘陵が見えています。

<日産自動車村山工場跡地の南から。画面左よりの建物は・ダイヤモンドシティ・ミュー>

 残堀川沿川の現地案内板にも、次のような記述があります。

(引用開始)
かつて砂川三番の見影橋付近を流れていた残堀川は、上水の完成時に天王橋付近につなぎ替えられ、それからは上水の助水として利用されることになりました。
明治時代になると残堀川の水は汚れ、1908年(明治41年)に上水から切り離されました。
(引用終わり)


<玉川上水天王橋から下流方向> 

<玉川上水見影橋から上流方向>

「武蔵野台地上の「河川変流考」」に掲載されている残堀川変遷図や現地案内板の記述をもとに、残堀川の流路変遷を模式図にしてみました。




<最初の図は、玉川上水掘削以前、次が、玉川上水と切り離される明治26年?(明治41年?)まで、最後が現在です>

●旧流路の痕跡はわかるか?
 さて、以上を予備知識として、矢川から残堀川の旧流路をたどってみたいというのが今回のテーマです。
 とりあえず矢川の水源付近(矢川緑地保全地域)を出発点にして、上記文献に出てくる、立川市曙町2丁目(立川駅北口付近)、砂川二番のあたりを訪ねてみました。
 
<東京都矢川緑地保全地域>
 
<矢川の水路。左:矢川緑地保全地域の西側にも水路が続いているがすぐ先で暗渠化>

立川駅北口で地形の高低を目で見てみつけるのはやはり難しい。写真はモノレールの橋脚に落ちた日陰がきれいだったので撮っただけです。
 
<立川駅北口>
五日市街道の砂川のあたりは、ケヤキの巨木や白壁の蔵などがまだ残っています。トップの砂川分水の写真もその一つ。
 
<五日市街道砂川三番の信号と砂川二番のバス停付近>

 残堀川と玉川上水が交差するあたりにある案内板には、「大昔の残堀川の流れ」が地図に示されています。



『立川の歴史散歩』立川市教育委員会(平成2年)には、次のような記述が見えます。

(引用開始)
 見影橋に戻ったら、今度は右に曲がって西武線のガードをくぐります。そのまま畑の中をまっすぐ進んで最初の分かれ道を右に向かうと、畑の植え込みの中に、残堀川旧水路跡の標示板が見えてきます。
現在、一番町から国営昭和記念公園内を通り、富士見町三丁目で根川と合流し、柴崎町で多摩川に流れ込む残堀川は「砂の川」とも呼ばれていたそうです。そして、これが「砂川」という地名の由来となったといわれています。P.61
(引用終わり)

<玉川上水見影橋> 

 
<残堀川旧水路跡の標示板。これがなかなか見つからなかった。>


上砂川小学校の横を通って、なおも西北方向に進むと、旧「日産自動車村山工場」の敷地境界の壁にぶつかります。
<壁も流路探索の手がかり
 この写真は下の地図の左から5番目の赤丸地点。壁の高さ約3.3m>

 この壁沿いに歩いてみると、特に東側に進みしばらく行くと道が登りになります。ということは、旧日産工場の敷地側が水平ならば、逆に壁の高さから、どこが一番低い土地かがおよそわかります。
 
<左:西の端。右:東の登り>



<西側から約100m間隔で、およその壁の高さを測ってみるとグラフのような結果となりました> 



 『瑞穂町史』に残堀川の水源と記されていた浅間谷ツ、狭山谷、滝田谷ツ、それに狭山池については後日改めて訪れてみようとと思います。


(3/20追記)今尾恵介さんの「武蔵野台地のクボ地名」(『多摩のあゆみ』第121号、財団法人たましん地域文化財団)に、残堀川旧流路の跡について、
興味深い記述がありましたので引用します。

(引用開始)
・・・数年前まで、砂川町二丁目と泉町の境界を通る道路上に窪方というバス停があった。残念ながら最近になって「昭和記念公園砂川口」に改称されてしまったが、この「窪方」というバス停は、旧砂川町では数少ない窪地を示す小地名として貴重な存在であった。
・・・旧版地形図で確認したところ、やはり窪地になっている。しかも、そのきわめて浅い谷筋を北西にたどっていくと、途中から残堀川のルートに重なっているのだ。この川が過去に流路を変更されたことは知られているが、旧残堀川のルートを調べてみると、見事にこの窪方バス停近くを通り、立川飛行場の敷地を斜めに横切って西国立駅付近から谷保へまっすぐ抜けていたことがわかった。P.28
(引用おわり)

「窪方」というバス停の名前から残堀川の旧流路との接点を見いだすとはさすがです。


3/21 追記:「愛宕松」について、当初、現在の伊奈平橋である
と書き、3/20追記で伊奈平橋の何百mか南東
と書きましたが、『村山町史』をあたってみると、
現在の武蔵村山市三ツ藤1丁目あたりのようです。
記述が迷走したことをおわびします。
この部分につて本文と変遷図を修正しました。
(3/21追記終わり)

2021/5/21 冒頭に置いていた追記を最後に移動しました


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不老川

2008年03月02日 | 源流探訪
3/4追記:ネットでの検索結果を文末に追加しました。

 
<この道路の下を不老川の支流が流れている。背景は狭山丘陵。>

 昨年、七曲がりの井を訪れた。すぐ脇を不老川が流れている。
地図でたどってみると、不老川の上流端は、国道16号沿い「駒形富士山」のあたりである。
しかし地図上の上流端が本当の上流端であるとは限らない。
地図で見る限り、谷川や崖下の湧水などの水源のイメージはわいてこない。
「水源が比較的平坦なところにあり、周辺もあるていど開発が進んでいる。こういう川は、暗渠に消えた後は、どんどん枝分かれして結局水源は道路の雨水側溝だということで探索をあきらめるしかないのだろう」と悲観的予想をする。
しかし水源は支流の数だけあるし、その中のある一点を取り出しても、いつも同じ場所から水が湧いているとも限らない。
だから「川は必ず本流が決まっていて、その上流を上り詰めれば上流端は必ず1箇所どこかにある。それが水源探しだ」という考えは観念的すぎる。

それはともかく、現地に行って水源探しをすること自体は楽しい。

1/25000地形図と電子地図の情報をたよりに現地にいってみた。
 
1/25000地形図でたどれる不老川上流端付近に近づいた。ここで暗渠に。
 
暗渠の上をさらに進むと、TOPの写真の遊歩道のような道にでる。
なおも進むとついに暗渠を抜ける。
 私はこれが不老川だと思っていた。netで調べてみると、こちらは支流で高根川とのことである。
 
直接川沿いに進めないので迂回しながら上流をめざす。とうとう雨水側溝と区別がつかなくなる。
それでもあきらめずしつこく追跡。
 
お伊勢山遊歩道入り口。以前なんどか来たことのある場所だった。
ここに小さな流れがあった。水源の一つと言っていいだろう。 
 
この坂道を越えると、瑞穂町石畑のあたり。

家に帰ってこれを書く前にネットで調べてみると、
この流れは不老川の支流の高根川だと知り、
本流をはずしたという感じがすこしだけある。
(やはり本流にこだわる?)
とはいえ一つの水源の近くまでたどりついた満足感の方が大きい。



近くの入間市博物館に寄ってみた。 
 
<屋外の丘陵を見渡せる場所に立体地図が展示してあって重宝した。>
古多摩川は狭山丘陵の北を、川越の方に流れていた。と書いてあった。
とすると現在の不老川の流路と同じではないか。
ネットで調べてみると、やはり不老川は古多摩川の名残の川であると書いてある。
 
<入間市博物館敷地から狭山丘陵を望む。丘陵の中央やや左あたりにV字の切れ込みのように見えているところが、上に示したお伊勢山遊歩道入り口のあたりであろう>



不老川の本流のほうは、16号の西側にもうすこしたどれるようである。
「不老川流域川づくり市民の会」の散策地図が詳しいのでそちらを参考に。
http://furougawa.mods.jp/

私も後日もう一度探索してみよう。

3/4 追記
「不老川 湧水」でネット検索すると、入間市環境課がH16年に委託実施した、「不老川流域雨水浸透施設設置要望及び湧水調査業務委託報告書」がヒットしました。
この報告書に調査地点図と、狭山丘陵周辺の45地点の湧水台帳が載っています。
「不老川の水源探し」としてはこの調査報告書がもっとも網羅的かもしれません。
私が上に写真を載せた湧水(お伊勢山遊歩道入り口のもの)は、この台帳で言うと
No36です。同報告書の調査地点図でみると、この湧水が高根川とつながっているのか微妙です。
なお本流の方は同台帳のNo.40かと思います。
報告書はPDFで一括ダウンロードできます。http://www.genkinet.jp/file_l/1000038759_furo_gawa_yousui.pdf
分割ダウンロードの場合は、
http://www.genkinet.jp/main.asp?fl=list&id=1000017918&clc=1000022360(元気ネット 入間市 環境)から、
「不老川流域雨水浸透施設設置要望及び湧水調査業務委託報告書」
を選択してください。
なお、この「元気ネット」は3月31日に閉鎖と書かれています。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷地川

2007年01月13日 | 源流探訪
(1/14都市計画道路について数行加筆)

八王子市、日野市を流れ多摩川に注ぐ谷地川をさかのぼり水源をめざしました。
谷地川は、少し前の地図でみると、かなり蛇行していましたが、中流、下流部は河川改修により直線化がすすんでいます。河川改修は今も行われています。

川の写真はすべて、上流方向を写しています。撮影日は、2007年1月8日。
今回は棒温度計を持っていき水温を計りました。
多摩川合流部 8.9℃(右岸から測定。気温11.2℃。時刻12:20)
湧出部   12.5℃(気温7.9℃。時刻15:55) 



流域の写真をいくつかピックアップしてみます。


<秋川丘陵コースから谷を下って湧出部にでる道の方がおすすめです>


<木造の「谷開橋」>


<勝手神社の横の畑と丘陵と奥多摩の山>
(1/14追記:都市計画図によると、勝手神社の南70m位のところ(画面では左端)を都市計画道路が通る計画になっています。)


<滝山街道沿いの酪農農家。谷地川側から>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恩田川

2007年01月03日 | 源流探訪
(2007/1/20 内容一部削除・水温測定結果追加)

謹賀新年

元旦から、恩田川の水源探訪を行いました。
最下流の、鶴見川との合流点からさかのぼってどこまでたどれるか興味津々で出かけました。
一部を除いて、下流から見た絵になりましたので、上流を上に、右岸側を写したものを左寄りに配置して縦長図にしてみました。したがって、下の写真から見たほうが視線方向としては自然かもしれません。
「調布玉川惣画図」のような絵巻絵図(横長ですが)、にならって「恩田川惣画図」とでもしてみましょうか。
川沿いの風景の印象は、上流から下流にたどった場合、下流から上流にたどった場合、右岸を行った場合、左岸を行った場合、自転車か歩きか、などによって変わりますし、また、すべての橋の中央から上流側あるいは下流側を写してみるなど、いろいろな絵巻がつくれるでしょう。(水源を探す場合は、いきなり上流端からスタートできませんし、下流からさかのぼって水源を発見するのが楽しいです。自分で発見する楽しみをとっておきたい方は、この項目は見ないでパスして下さい。)
合流点と分水界付近の写真だけ、やや大きめのものをつけました。



     
          
               
          

小さな写真は上から順番に
1源流部の一つの谷戸を尾根の上から眺めたもの。
2谷戸の栗林のしみだし水。
3栗林の中に、ややくぼんだ場所があり、大雨の後や、豊水期には流れになるのでしょう。
4栗林の中、左右の谷戸のしみだし水が合わさり、流れになる、もうコンクリート側溝である。これは下流方向の写真。
5雨水側溝のような感じで住宅の脇を流れる。
6左側からも合流し、本格的コンクリートの河川になる。
7右岸の尾根、この尾根を越えて、山崎団地、町田街道の方に下れば、境川の流域のはず。
8住宅の裏を直線的に流れる。
9平本木材の南側で鎌倉街道に出る。
10鎌倉街道。この先が薬師池公園。この登りが鶴見川との分水界。
11鎌倉街道を渡ると、「なかよし散歩道」となり、地上部の水路と暗渠に分かれるようである。
12今井谷戸交差点。
13本町田東小学校西側の「なかよし散歩道」。
14散歩道下の暗渠がここで地上に出てくる。
15鎌倉街道(恩田川右岸に位置する)から、恩田川左岸の「ひなた村」あたりの丘陵を撮影。
16本町田三小よりすこし上流。
17南大谷中の西側:坂下橋。
18坂下橋(17と同一地点)。
19高瀬橋の成瀬街道。
20高瀬橋より。
21成瀬中央橋。
22吹上橋。建物は町田市総合体育館。
23奈良川との合流点の橋から、三嶋神社のある丘陵を。
24奈良川が合流。奥は恩田の森、三嶋神社の丘陵。
25川戸橋。
26新良橋上流より左岸を撮影。
27梅田川。
28北口橋あたりから。
29鶴見川との合流部。右が鶴見川、左が恩田川。


<地図は杉本智彦『カシミール3D図解実例集初級編』(実業の日本社)よりコピーした。国土地理院 20万分の1地勢図「東京」「」の一部>

恩田川の谷戸から尾根に上がると、その向こうに薬師池公園があります。こちらは、尾根から池までかなり急に下っていて、恩田川側と対照的です。
(1/20 公園の管理室?にいた人に尋ねたところ、池に流れ込んでいる水は、ポンプで汲み上げをしているとのことでした。恩田川側と薬師池側の湧出標高についての記述が意味がなくなりましたので削除しました。)


<左:恩田川と鶴見川の分水尾根。右:薬師池公園の谷戸の最奥部を尾根から見る>

 
<プロファイル図は、『カシミール』を用いて作成>

この日は温度計を携行して行かなかったので、湧水の水温を測りませんでしたが、これからの季節(反対に真夏も)は表流水(川の水や池の水。当然気温の影響を受ける)と、湧出したばかりの湧水との温度の差がはっきり出ます。日中の測定でも、表流水は、10℃以下に下がっていることもありますが、多摩地区近辺の湧水は(もちろん地中に滞留している時間によりますが)、大体15-18℃位(同一の湧水では年間の温度変化は数℃程度です)ではないでしょうか。
ここの水、私は17℃程度と予想しました。

(1/20 水温測定結果追加)
 恩田川 湧出部 時刻11:35 水温12.8℃ 気温3.9℃
 流出量が少なく、溜り水部ではかったため、気温の影響を大きく受けていると考えられます。

 薬師池側は測定の意味がなくなりましたが、水温15℃でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする