負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

忙しいからこそ ・・・ 腹(肚)をつくる

2012-10-03 21:00:13 | 原発震災避難者


遠足



多忙であるからこそ

「 急ぐべからず 」 の心がいっそう必要になるのです。


忙しいからこそ

急いだり あせったりしたりしてはならないのです。


世の流動がはげしいときこそ

「 不動心 」 や 気長で 大きな視野が必要になるのです。


それだけが 「 自分を守る 」 ことをしてくれるからです。


スピード時代であるからこそ

心は反対に カタツムリが富士山を登るような

ユックリズムの精神を必要とするのです。



亡父は 晩年 世のセカセカした風潮を憂えて

「 こんな調子では いずれまた 大きな失敗をやらかすぞ。

これからの日本人は 腹(肚)をつくることに努めなくてはいかん 」

・・・ と力説していました。


腹(肚)とは この場合には 「 急がない心 」 のことでしょう。


あわてないこと 落ちつくこと 気を長くもち

大きな視野に立つこと ・・・ すべて 「 腹(肚) 」 です。


世のスピードに煽られない 重い重心を心にもつことです。

忙しい世なればこそ 心が悠々 堂々している必要があるのです。

そのためには 「 腹(肚) 」を ・・・ と

父は いいたかったのだと思います。







気が長い ・・・ 気が若い

2012-10-03 18:00:41 | 原発震災避難者


遠足



大きい人間のひとつの共通点は

人生を長距離的 マラソン的にとらえていることです。

つまり 「 気が長い 」 のです。


気が長いとは 生命力の持続時間が長い ということです。


だから こういう人たちは

いくつの年になっても 前向きの姿勢を失いません。


老年というべき年齢においてさえ 青年のように

「 これから・・・ 」 とばかりに 前方を見つめています。

つまり 「 気が若い 」 のです。

体は 老いても ・・・ 心は 老いないのです。



「 いくらか老人的なもの( 分別 落ちつき など )をもった青年は好ましい。

そして こういう青年は年をとると

成年のような若さをどこかにもちつづけるものだ 」


・・・ ナルホドと思います。

どちらの年齢においても その年齢のカベを破っているわけですからね。







小粒人間 ・・・ セカセカ イライラ

2012-10-03 15:11:57 | 原発震災避難者


遠足



大きい人間は 例外なく

・・・ 視野が大きいです。

・・・ ものの見かたが広いです。


この視野の大きさは 時間感覚にも向けられます。

つまり ノンビリしている。悠々閑としている。

・・・ 万事に あわてないのです。

・・・ セカセカ イライラ せっかち等の反対です。



自分を大きい人間にしたいと思ったら

何をおいてもまず ・・・ せっかちの気性をためなおすことです。


急ぐ人間が大成したためしは ・・・ かって どこにもないのです。



スピード時代 ( ちょっと古いでしょうか ) とか申して

何ともハヤ ・・・ あわただしい世のなかです。


ひとびとは 何か巨大なるものに 背後から追いかられているみたいに

自己を見失って ・・・

セカセカ ガツガツと 前かがみによろめきながら生きています。


スピード時代とは 言い方をかえれば 

自己喪失の時代である ・・・ ということにもなりかねませんね。







男の人生は 60から ・・・ 40・50は 鼻たれ小僧

2012-10-03 12:00:38 | 原発震災避難者


遠足



若いころから私は 「 男の人生は60から 」 というふうに思ってきました。


かならずしも 社会的な仕事についていうのではなくて

人間的な成熟 完成の道程として ・・・ そういうことを思うのです。


数え年の61を 還暦といいますが ・・・

 
女は知らず 少なくとも男というものは

還暦をすぎてから イチニンマエになってくるのだ

・・・ というふうに思われてなりません。


だから 40・50は ・・・ まだ鼻たれ小僧だ

 
ということを ジェスチャーではなくて ・・・ 本心から思うのです。



大器晩成ともいいますが ・・・

大器であろうと なかろうと ・・・

ゆっくり ユックリ成熟してゆこうという人生のペースが

・・・ 私は こよなく好きなのです。







40・50は 鼻タレ小僧

2012-10-03 09:00:58 | 原発震災避難者


遠足



精神的若さというものは

人間 生きているかぎりもちつづけるべきなのでしょうね。


これは まだ 「 鼻タレ小僧 」 であったころの私が

つねづね 自分に言い聞かせていた自戒なのですが ・・・。


「 40・50は・・・ 」 の歌は 若い人にはあまりピンとこないようです。

「 40・50が鼻タレなら われわれはいったい何なのだ ・・・ 」

・・・ という 不安やら 反発やらの気持が湧くらしいのです。


たわむれに 「 まあ 小便小僧というところかネ 」

・・・ と言ってみることがあります。

ウヘーとばかり 不服そうに頭をかきます。


しかし それぐらいに思っておっても いいのじゃないですか?

たしかに若いときは オシッコの勢いがちがいますからネ。

これ 肉体的な若さの表現にほかなりません。


要するに

鼻タレであろうと ションベン小僧であろうと 

まだ一人前ではない ということでは いっしょなのです。

まだ幼い ということなのです。



さて イチニンマエの大人とは ・・・ 。







シンデヨシ イキテヨシ

2012-10-03 05:00:53 | 原発震災避難者


遠足



竹部勝之進さんの詩です。


天下泰平


  フッテヨシ

  ハレテヨシ

  ナクテヨシ

  アッテヨシ

  シンデヨシ

  イキテヨシ



降っても晴れても 無くても有っても 死んでも生きても

ヨシヨシという ・・・

相対に生きながら 相対を超えた一元世界に生きる ・・・ 安らぎ。


このような生活ができて初めて

自分の真実を生きる ・・・ といい

自分を精いっぱい生きる ・・・ というのでしょうね。