負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

アレが欲しい コレが欲しい

2012-10-30 21:30:39 | 原発震災避難者


遠足



たいていの人は

忙しい 忙しいと言っています。


何で忙しいかと言えば ・・・

アレが欲しい コレが欲しい

・・・ だけの話しです。


天下一のヒマ人 ・・・ になりたいものです。







正気 ・ しょうき

2012-10-30 18:30:36 | 原発震災避難者


遠足



正気( しょうき )でゆかねばなりません。

素面( しらふ )になる ・・・ ことです。

正気になる ・・・ ことです。


正気になればなるほど

自分のお粗末なことが ・・・ よくわかります。







立派な教育や財産よりも ・・・

2012-10-30 15:30:54 | 原発震災避難者


遠足



昔は 子どもは

朝起きたら 「 おはようございます 」

と 親に挨拶させられました。

また 寝る時には 「 お休みなさい 」

といわないと叱られました。


現在の家庭で

このような基本的なしつけをしている家庭が

どれくらいあるでしょうか。


家庭の中で

挨拶をきちんとする習慣をつけられている子どもは

成人してからも

他人に挨拶することを面倒がりません。

また 人から何かをしてもらった場合には

必ず

「 ありがとう 」

「 ご苦労様 」

などの言葉をかけるというのも

大切な習慣です。


最近は

こんな簡単な言葉かけもできない人たちが

多くなってきました。


おべっかや お世辞をいうよりも

毎日の生活の中で

こういう言葉を人にかけるほうが

はるかに信頼を勝ち得る行為になるものです。



親が 子どもに

「 ありがとう 」といっている家庭の子どもは

社会に出ても

「 ありがとう 」 と自然にいえる人間に成長します。


立派な教育や 財産よりも

このような やさしい思いやりを感じさせる習慣を

身につけてやるほうが

どれほど 子どもの将来を後押しする力になるかわかりません。







今こそ 今日こそ

2012-10-30 12:31:54 | 原発震災避難者


遠足



ふとした機会に よく聞いた言葉

「 昔は よかった 」 という言葉が消えて


今こそ

今日こそ


そして ・・・ 喜びの声に変わるといいなあ ・・・ 。




* 来月も大きな講演が控えています。
  さて、何を話そう ・・・ 楽しみです。







いんちき臭い宗教 ・・・ ご注意あれ

2012-10-30 09:33:56 | 原発震災避難者


遠足




 不景気 社会不安 ・・・ のせいでしょうか
いんちき臭い宗教が跋扈(ばっこ)している と聞き及びます。

 最近の傾向として 多数の人々は テレビや新聞などの宣伝で物を買うという心理作戦に慣らされて 信心宗教までが 誇大広告にのせられて入信するという 悪いクセがついてしまっているのではないでしょうか。
宗教というものは 「 一人一宗 」 でありまして 一人ひとりの主体性を大切にする生き方を体得するものでなくてはならないのです。
 ですから 大衆集団として洗脳された信仰には いつも危険がともなうものです。

 大衆というものは 個人としての自覚に立って 物を選んで買うということを忘れ テレビの広告宣伝で買わされているのだという意見がありますが ・・・ 本当だと思いますね。
宣伝で 「 買わされる 」 というのは 訪問販売も宗教販売も変わりません。

 誇大広告をするような宗教は ・・・ いんちき臭いと一応疑っていいでしょうね。
利幅の大きな商品ほど ・・・ ウソが多いのと同じです。

 「 三分待てば食べられる 」 式の 信心すれば病気も即座に癒る 金も儲かるというインスタント現世利益信仰にだまされないことです。

 宗教とは そんな安易なものではありません。
人生経験を通して修行する構えをつくる ・・・ ことが肝心なのではないでしょうか。






お頼り信仰 ・・・ 低級信仰

2012-10-30 05:00:21 | 原発震災避難者


遠足




 10年近くもウツ病に悩まされていたMさんは ・・・ 2年ほどで完治しました。

 Hさんは 私と縁ができるまでは いろいろな宗教に入信してまいりましたが 良くなるどころか ・・・ ますますひどくなって行ったのです。

 それは 入信した信仰が どれもこれも一様に 「 お頼り信仰 」 「 信仰すれば ご利益がある 」 という信仰だったから だめなのです。
自分自身の腹の中に 主体性が生まれない信仰をいつまで続けていても ノイローゼ的心の病は征服できません。

 Hさんは 何年か通った後 一向に心が落ち着かないので 「 止めます 」というと「 バチがあたる 」 「 災難がくるぞ 」 と何回もおどかされたそうです。
脅迫したり 不安をかき立てる信仰は ・・・ それ自体低級信仰なんですよ。
 宗教というのは 安心を与えるものだし 神仏が罰をあてるなどということはありません。
もし罰をあてる仏がいたら それは仏の顔をした悪魔にすぎません。
・・・ なにも恐れることはないのです。

 Hさんは 仏様におすがりすることばかり考えていたのでしょう。
ですから 自らを征服できなかったのだと思います。

 Hさんは 今の生活が夢のようです ・・・ と喜んでおります。

 信仰の間違い低い信仰がいかに人を惑わしているか ・・・ 考えても恐ろしいことですね。



* ちなみに、私は宗教家ではありません。 ・・・ 念の為。