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負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

「老いる」と「老ける」 ・・・ 2

2016-06-30 17:40:41 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



誰でも いずれ

おしっこをちびるような日が来ます。


来ると思ったほうがいいでしょうね。


そのとき

ガッカリしてはいけません。


「 ああ わたしはここまで老いることができた。

本望だ 」 ・・・ と喜ぶ。

いけませんか ・・・ ?


だって

それは ・・・ 自然の成り行きですもの。


人として自然の道を歩んでいるという

何よりの証拠です。


その道を歩み切れず ・・・

おしっこをちびる喜びを知らないうちに

中途で ロウソクを吹き消されてしまう人も

たくさんいらっしゃいます。



ただし

「 老いる 」は「 老ける 」とは違います。







「老いる」と「老ける」 ・・・ 1

2016-06-30 14:38:16 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



年をとることを

英語では エイジング(Aging)と言うそうです。


日本語で言う“老い”とか“加齢”とは

ちょっと感じが違います。

どこが違うのだろうと考えてみると

後ろに ・・・ -ingが付いている。


イギリスやアメリカの人が

実際にそういう感覚なのかどうか知りませんが

わたしの耳には

受け身でない

どことなく ・・・ 積極的な響きに聞こえます。



積極的に老いる。

・・・ いいですね。


どうせ来るものなら

嫌々ながら受け身で老いるより

そこに意義を見つけ

積極的に老いを迎え撃ちたい。


プラス思考というのかな。


それが

いい死

いいダイイング(Dying)につながる気がします。



グチをこぼしながら

仕方なく

・・・ 老いるのではありません。


喜んで

嬉々として

・・・ 老いたいですね。






悟りながら老いる ・・・ 5

2016-06-29 06:43:30 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



老いるって

悟りに近づくことかな と思います。



ですから

生きて 生きて ・・・ 生き抜くことです。


そうしたら

ニコニコ笑いながら往生できますよ きっと。



いのちが完結するところまで

・・・ 生き抜く努力をする


それが ・・・ “ 死ぬコツ ”のような気がしますね。








悟りながら老いる ・・・ 4

2016-06-28 12:32:48 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



本当にすごい。

ただ すごい。

山に伏したり

滝に打たれて

・・・ 修行したのではない。


当たり前の人生を

当たり前に送ってきたおばあさんが

修行の果てに悟りを得た禅坊主もかなわないような

安らかな顔になっておられる。



修行しなければ

達観できない

悟れない

なんて ・・・ 大ウソです。


生きて 生きて

いろいろな苦労を乗り越えて

ここまでくれば ・・・

心の安らぎも得られるのですね。








悟りながら老いる ・・・ 3

2016-06-27 18:17:26 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



先日

九十歳になろうという寝たきりのおばあさんに

・・・ お会いしてきました。


すっかり日が暮れ

三途の川の向こうへ

・・・ 帰ろうとしています。


すべてを受け入れ

許しきっているような哀しみを

こんもりとした布団のまわりに漂わせて。


「 いいんじゃないか

これでいいんじゃないか 」

・・・ 本人はおっしゃいませんよ。


しかし

ひたすら布団にくるまった姿に

自分の寝たきりも

迫りくる死も

静かに受け入れている

・・・ 一種の威厳を感じます。


たぶん その布団にくるまって

いろいろな苦労を乗り越えてきたその狭い家で

・・・ 亡くなっていくのでしょうね。

それも ・・・ 間もなくです。



その 厳しい尊さに圧倒されながら

・・・ 脈をみるのです。







悟りながら老いる ・・・ 2

2016-06-26 18:16:41 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



動物学者の先生によると

サルでも 岩の上か何かに座って

夕日をじっと見ていることがあるそうです。


何を考えているか分かりませんが ・・・

日暮れの哀れを感じとっているのでないことは確かです。



なぜなら

サルは ・・・ 死を理解できませんから。


そんなことよりも

早く安全な夜のねぐらをみつけるほうが先決です。







悟りながら老いる ・・・ 1

2016-06-26 14:40:54 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



夕焼け小焼けで

日が暮れて

山のお寺の

鐘がなる

お手々つないで

みな帰ろう



子供のころ よく歌いました。



その日暮れが いまこようとしています。

何だか ・・・ とてもかなしいですね。


でも

そのかなしさは

泣き叫ぶ悲しさではなく

しんみりと迫ってくる ・・・ 哀しみです。







手の話 ・・・ 2

2016-06-24 11:16:23 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



「 手 」は

汚す気がなくとも ・・・ 汚れやすい。


たとえ「 キタナイ手 」でなくても

「 手を使う 」というと

・・・ 妙にいやな気分になってしまう。


日本人の淡泊というより

ヘンに気どったところが

・・・ この辺に出ている。



いろんな「 手 」を

お互いに もっと使ってみたらどうだろう。


それなりに もっと芸のある毎日を

・・・ この手で生み出していいのではないだろうか。







手の話 ・・・ 1

2016-06-24 05:13:12 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



「 手ごろ 」なモノやコトに出会うのは

言うほど ・・・ 簡単ではない。


そして

それが 必ずしも最適とばかりはいえない。


時には 「 手に負えない 」相手にぶつかってみないと

自分の力を見失ってしまう。



「 お手軽 」にやってのけたいのは人情の常だが

「 手いっぱい 」 「 手が回らない 」なかで

「 手を尽くす 」頑張りが

活路に繋(つなが)ることは

・・・ まま有るものだ。







いきいきと その106

2016-06-21 09:48:59 | 原発震災避難者


近隣(菖蒲園)



生計は

すこやかで幸福のうちに

財産も安定している方法をはかること


古来言われている

健体(けんたい)康(こう)心(しん) ・ 福(ふく)禄(ろく)永(えい)昌(しょう)が ・・・ 生の計。



死計は

ギリギリまでの長寿の方策をたて

最後には

コトンとうまくやる方法を計ること


不老(ふろう)長寿(ちょうじゅ) ・ 安楽(あんらく)尊厳(そんげん)が ・・・ 生の計。



個人個人の生計(生き方)が違うように

それぞれの死計は違います。


どんな死計があってもよいのです。







いきいきと その105

2016-06-20 21:07:26 | 原発震災避難者


近隣



毎日 たった数時間眠るだけなのに

寝所を整え 明日の準備をして就寝するのが

安心して眠られるコツならば ・・・

死という永眠を迎えるのに

安心できるコツの基準があってもいいはずです。


しかし 死を目前にした時

・・・ 不安と苦悩でいっぱいです。


それは 死そのものが難しいからだけでなく

死に対処する仕方が難しいからではないでしょうか。



死に伴う孤立無援感

恐怖不安感に対処できず ・・・ 悩むのです。


心の問題であり

形のないものだけに

・・・ ますますわからなくなり

つかまえ処がないものになってしまっています。







いきいきと その104

2016-06-20 06:39:20 | 原発震災避難者


近隣



「 生きているうちはシャンとして

死ぬときは安らかに死にたい 」

と ・・・ 人はみな願っています。


これは

勉強などの準備もしないで

「 シャンと遊んでいて

良い成績で一流校に合格したい 」

というのと同じ理屈だ ・・・ とは思いませんか。







いきいきと その103

2016-06-19 20:09:18 | 原発震災避難者


近隣



「 さて いっちょう仕事するか 」

とハリキッテ言うのは

日常の会話で使っている。

そして

いつも 生計を立てるために暮らしている。



「 もうかっていますか 」


「 どうもいけませんなあ 」

「 まあまあ おカユスすすっています 」


と ・・・ 毎日の関心事は

生計のやりくりであり

生計が立たないと ・・・ 苦悩する。



生計は 一生懸命立てるのに

死の計は ・・・ どうして立てないのでしょう。



誰でも必ず死ぬというのに

死計を立てないということは ・・・


帰る家がないのに

暗くなるまで外で遊んでいるのと

同じだ ・・・ とは思いませんか。







いきいきと その102

2016-06-18 06:01:42 | 原発震災避難者


近隣



足元の簡単な実践でも

やり続けるのは ・・・ なかなか難しい。


実践 ・ 実行


あいさつでも 返事でも

後始末でも 清掃でも

身近な「 あたりまえのこと 」に

・・・ 心をこめることが

「 日にひとつよいこと 」を

・・・ 続けて行うことが

実践 ・ 実行の出発点であり

到達点でもある。







いきいきと その101

2016-06-17 11:32:41 | 原発震災避難者


近隣



「 日常の簡単なこと 」

「 あたりまえのこと 」

に心をこめたり

他者を喜ばせる何事かに取り組むのも

我欲(エゴ)を払い

生き方のバランスをとる行為に通じると思える。


いまや世界のバランスが

大きく狂っていることを痛感する。


そのバランスの狂いの芽は

われわれひとり一人の日常生活にあるのではないだろうか。