負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

篠笛(しのぶえ) ・・・ 因縁 

2011-05-31 19:49:22 | 原発震災避難者



5月20日 篠笛(しのぶえ)奏者 狩野泰一氏(新潟県佐渡島在住 集団「鼓童」出身)のコンサートがあり、
避難者として招待されました。

・・・ 篠笛の音色は まさに 心に深く深く染み入るものでした。
・・・ まさに 本物です。 シンプルです。 自然そのものです。

篠笛が「忍ぶえ」と思えたのは 避難の身にある私だけでしょうか。


さて
3月16日からはじまった三条市での集団避難生活のなかで
少しでも避難仲間の健康に役立てばと 毎朝(5:30~6:30) 気功の指導をつづけてきました。

そして 誰にでもできる入門気功の一つとして「香功(シャンゴン)」と
復興を祈念して「三条気功」とめいうった功法を中心にすえて すすめてきました。

なかでも 「香功(シャンゴン)」は むかし(H8)から ・・・ 私の歌詞に音曲をつけ 「こどもしゃんごん」として リズム体操のように子どもの世界にも広げられないか ・・・ と考えていたものですが ・・・

朝の練功の場に 一人飛び込んで学びつづけていた三条市民のN女史が 奇しくも狩野氏のお弟子さんという縁から 鹿野氏が作曲・編曲を申し出てくれたという次第です。


27日 氏は 再び 佐渡から三条市へ ・・・
「はじめまして」のあいさつから 打ち合わせがはじまりました。
・・・ 結果 曲の根底に流れる主題は「和(大和:日本)」ということになりました。

「今晩 仕上げますよ」 ・・・ 氏の熱い想いを感じます。


翌28日は 録音とDVDにするための撮影です。

演奏は 篠笛の門下生のグループです。






曲が流れはじめました ・・・ 衝撃です。 
素晴らしいの一言 ・・・ 「和」 そのものです。



つづいて DVDの撮影です。これは なんとか かんとか ・・・

昼食をとるのも忘れ 録音と撮影がつづきました。







・・・ 完成です。 


その後 集団避難所でのミニコンサートのおまけつきです。
涙を浮かべ聴き入る避難者たち ・・・ 心のコンサートです。






再会を約して 記念写真をパチリ。
すばらしい出会いです。





DVDの出来上がりが楽しみです。

狩野泰一師匠 ・・・ 感謝です。
合掌 ・・・ です。



「和」は 輪

「輪」は 円(○)であり

「円」は 縁です。


そして ・・・

「輪」は 丸い心という原点に遡(さかのぼ)ってきて

・・・ 零にまで 立ちのぼってきます。


因縁とは ・・・ まことに不思議なことばかりです。





南相馬市仮設住宅への移動当日 ・・・

2011-05-30 04:51:43 | 原発震災避難者



仮設住宅(鹿島区)への第一次移動日(28日)です。

「 迎えのバスが もう着いていますよ ・・・ 早く 早く 」

予定の時刻より30分以上も早い ・・・

心配する3人の方から電話いただき 家を飛び出す・・・


集合避難所は 荷物の積み込みにテンヤワンヤ。


「 先に行ってます 」 ・・・ 万感の想いでかたい握手。

「 また仮設で 」 ・・・ 家族を送り出す心境です。


お互い 仮設移転後に控えている厳しい現実を思うと ・・・ 複雑です。
  




荷物の中に 人がうずまるような状態です。

積みこみ 乗りこみのお手伝いで 写真を撮る余裕もなく ・・・


わが愛しの「観音菩薩様」は 白髪が見えるだけ。

背伸びをして手を振ると
 
・・・ 優しい目で 小さく手を振ってくれました。





翌日(29日)の新聞です。

・・・ ひとまず安心。

背景に写る仮設住宅の様子もまた ・・・ 気になります。





原発から30キロちょっと離れただけの仮設住宅。


もしや もしや ・・・ 原発汚染がさらにひどくなり

「再避難」などという オロカなことがないように

・・・ 祈るばかりです。






正直 ・・・ ツライです

2011-05-27 19:02:24 | 原発震災避難者



昨日26日 焼肉を食べる会がありました。







参加者全員 ・・・ 口には出しませんが その胸中は

「 全員が集まるのも これが最後 ・・・ お別れ会、送別会 」







2ヶ月以上 励ましあってきた同志との別れは

正直 ・・・ ツライです。







南相馬市仮設住宅への移動始まる

2011-05-27 11:42:43 | 原発震災避難者
 


 南相馬市が発表した第一次仮設住宅選定に該当し、三条市から移動を決めた避難者は七世帯14名で、28日移動する。
今回の第一次選定の9ヶ所 約500名が初めての入居受け入れとなる。(三条新聞)



仮設住宅への移動が いよいよ始まりました。

が ・・・ 帰郷する避難者 次の選定を待つ避難者にとって

雇用の問題など ますます現実的な問題がのしかかってきます。


加えて

原発から半径20キロ(警戒区域)からの避難者にとっては

放射能汚染による健康問題はもとより

先行きがまったく見えない不安は

・・・ 想像を絶する重さがあります。



生活は一時 ・ 仮 ・・・

これから 苦しさだけが ・・・ 「本番」です。








不思議体験

2011-05-26 19:47:49 | 原発震災避難者




私の不思議体験です。 (ちょっと長くなりますね)

 集団避難所にいるときから 昼夜を問わず喘息のような咳が止まらず 悩まされ続けておりました。
ますますひどくなり 周囲の人からも心配されるほどです。

 今月11日に集団避難所を離れ雇用促進住宅に移ってからも続き、激しい咳はおさまることがありません。

 さすが 妻からは、薬を飲むこと、病院へ行くことを勧められましたが ・・・ 。
かってないことなので ・・・ 自分の知るさまざまな身法を試みましたが、改善されることはなく ・・・ 内心 「もしかすると・・・」と心穏やかではなく、気が重くなる日々が続きました。


22日の夜 フッと気づき

23日の朝から始めてみました。

とても簡単なことです ・・・


「 日常の動作だけを

気持を込めて しっかりとやる 」


つとめて無心になって

日常動作に心を込めて

ただひたすら 力みなく ゆっくり行う

・・・ことを始めてみました。


家の中を歩くのも ゆっくり

トイレに入っても ゆっくり

お風呂も ゆっくり

食事も ゆっくり

散歩も ゆっくり ・・・

すべての動作を ・・・

リラックスして ゆっくり ゆっくり です。


23、24日の2日間

それこそ 咳のことも忘れ ただひたすら ・・・ 。



・・・ なんと なんと ?!

25日の朝 気づいてみると

咳は ピタリと止まっているではありませんか !



ハイ ・・・ このさい 「ドウシテ」ということは

追求しないことに致します。


チョッとした不思議体験です。

・・・ どうぞ どうぞ おススメですよ。





* お返しのコメントを書けずおりましたのは こんな事情がございまして ・・・ なにとぞ なにとぞ お許しください。
今後は ゆっくり ゆっくり進めてまいりますので ・・・ 以前同様 よろしくお願い致します。




心が届きました

2011-05-25 08:52:38 | 原発震災避難者


「みず」と おすそ分けといって頂いた筍



今朝 顔なじみのボランティアさんが

裏山で採ったといって

「みず」を 遠くから届けてくれました。


とにかく新鮮です。


「みず」は 私の大好物。

淡白な味が ・・・ なんともいえません。



ボランティアさんの笑顔が

・・・ とても素敵でした。





師の教えから ・・・ 1 老いのとき

2011-05-24 03:22:29 | 原発震災避難者


玄関に



老いのときは

老いと共に育つ深さを

ひそかに ひそかに

独り楽しむのとき



老いのときは

独り楽しむ深さのなか

しずかに しずかに

育ってゆくのとき


( わが師 故・内山先生の教えから )







静かになった避難所ロビー

2011-05-23 18:09:09 | 原発震災避難者




にぎわいのあった避難所ロビーも

今日は ・・・ とても静かです。



それぞれが 次のステップをふみ出し

集団避難所(四ヶ所)を離れたものです。



最多時避難者数 611名

5月19日現在  239名

(資料:三条新聞)



みなさんの健闘をお祈りします。






よかった よかった ! ・・・ 嬉しいですね。

2011-05-23 09:54:21 | 原発震災避難者




今朝 第1回目の仮設住宅入居者(南相馬市)の当選発表がありました。

わが家は 外れでしたが ・・・
 

そんなことより なにより嬉しいのは ・・・

一番気にしていた

お父さんが入院中で

一時はひどく体調を崩されたお母さん*を懸命に護り続けている

息子さん二人と娘さんご家族(五人)の入居が決まったことです。


すぐ
 
よかった よかった! とメールしました。


* 私は勝手に お母さんを「観音菩薩様」とお呼びしておりました。



それにしても ・・・

亡くなられた彼にも

「 よかったですね 帰れますよ 」

といいたかったですね。



http://blog.goo.ne.jp/minamisoumashi-hinan/e/456bf8a97ff113755f5e0c2fa7f4b9cd

http://blog.goo.ne.jp/minamisoumashi-hinan/e/be6edaa784d55370f9b7c8ab8fcebdaa





親孝行より 子ども孝行

2011-05-21 10:51:12 | 原発震災避難者




妻がいいます。

「 ・・・ なによりも 二人ともからだをコワさないこと。

そのために こころのもち方がカンジン ね 」


収入は二の次 三の次 ・・・
 
待っていてくださる人たちのために

いや なによりも自分たちのために

あわてることなく はやい時期に

仕事を再開する ・・・ 目標をもってすすむこと

・・・ などを ゆっくりと話しあいました。


* ちなみに 気の世界で健康のお手伝いをする毎日でした。



もうひとつ ・・・

二人で 長年守ってきたことがあります。


「 親孝行をしてもらうより

子ども孝行をしよう 」 ということです。


それは

「 父さん 母さん 元気 ? 」

と 三人の息子たちに訊かれたとき

「 オー 元気 元気 ! 」

と 応えられることです。


もっとも

それだけしか やってやれないのですが ・・・ 。




 

ゆたか ・・・ です

2011-05-19 10:25:41 | 原発震災避難者


救援物資でいただいたタオルに
毛糸で編んだ縁どりをして ・・・ お風呂場の「足拭きマット」




100円ショップの毛糸で編んだ ・・・ 「エコたわし」




フタを両面テープで底に貼った ・・・
わがPCデスクのペン立ては すぐれものです。




お祭りで削った御柱の木片に
ボランティアさんにからいただいた写真を
画鋲でとめて ・・・ 「フォトスタンド」



すべて 妻の手作り ・・・ リッパなものです。

感謝 !!






南相馬市長 三条市の避難所を訪問

2011-05-18 13:23:12 | 原発震災避難者




昨日(17日) 南相馬市の桜井市長が

三条市総合福祉センター 集団避難所を ようやく訪れました。


同避難所は 地震・津浪被害に加えて

原発事故による被害を受けた小高区(警戒区域)からの避難者が

大多数を占めています。



桜井市長からは

南相馬市がおかれているさまざまな現状の説明がありました。

  仮設住宅のこと

  一時帰宅のこと

  賠償・仮払いのこと ・・・ など。


避難者たちからは

  本当に帰れるのか  いつ帰れるのか

  先行きのみえない不安 ・・・ などなどの

  質問 要望 苦しさが出されました。



小高区(警戒区域)は

いまだ 一時帰宅の日程すら ・・・ 示されておりません。





 

引越しました

2011-05-17 11:26:38 | 原発震災避難者




集団避難所から雇用促進住宅へ引越しました。

妻と二人だけの元の生活です。


皿一枚から準備する生活で 物は少なく不便ですが

・・・ なぜか こころは豊かです。



いまのところ

まず 二人ともよく眠りますね。

チョット横になって居眠りしたら

お互いに起こさないのが 暗黙のルールです。

・・・ 長い集団生活の疲れでしょうか。



避難仲間や気持のいいボランティアさん達と

冗談をいいながら話しあう機会が少なくなったことは

少々 さびしい気もします。



しかし

住むところは変わっても

自分のできる活動は 以前と変わりなく続けるつもりです。



集団避難所へは 車で7分くらい。

毎朝 5時30分から1時間

妻の運転で 気功の指導にでかけています。



それから朝食 ・・・ 一日のはじまりです。







安らい

2011-05-15 17:14:41 | 原発震災避難者




得心がいくようになりました。


大切なのは ・・・

「はじめっからなかったと思う」ということです。


こういう(苦しい)ときには

「はじめっからなかった」という目で見直せばいい。


・・・ たとえ どういうことが起きようと。



私自身が生まれる前に
 
両親が「今度の子は堕(お)ろそう」

ということで 堕ろされてしまえば

いまの私は この世にいないのです。 *


「なぜ堕ろしやがった」と文句をつけようにも

生まれていなければ どうしようもありません。



あるいは 一転して

私自身が棺桶に入ってしまった時点から見直してもいい。

死んでしまえば もうどうしようもありません。



生まれてこない という時点と

とうとう死んだ という時点 ・・・

この二つから見直せば

どんな苦しみも 相(すがた)が変わってきます。


・・・ 安らいできますね。





* 私は 戦時中に8人きょうだいの末っ子として生まれております。







縁合って ・・・

2011-05-12 19:51:09 | 原発震災避難者




袖振り合うも多生の縁 ・・・ という古いことわざがあります。


人と人とのつながりほど不思議なものはありません。


このこと(避難生活)がなかったならば

その人とは この世で永遠に知り合うことはなかったでしょう。



考えてみれば

人びとは 大きな運命の中で

  縁の糸で操られれているとも思えます。


こうしたことを思うと

人と人とのつながりというものは

個人の意志や考えで 簡単に切れるものではなく

もっともっと次元の高いものに左右されている

  ・・・ そんな気がしてきます。



であるとすれば ・・・
 
お互いに 人間関係を

  もう少し 大事にしたいし

  もう少し ありがたいものと考えたいですね。