遠足
もし 60歳まで 損得利害に心を奪われ
喜怒哀楽の中に生きて来た ・・・ とします。
つまり その一生の大事を泣き笑いに過ごして来た ・・・ とします。
その人が もし 自分の本体に気づいたとしても
あまりにもおそいのではないかという心配があるかもしれません。
たとえば どこかの会社か役所を定年退職したとたんに
それまでのガツガツした自分の生活を省みて
ああ ここまで来てしまってはもうおそい
・・・ と嘆く人があるかもしれません。
しかしそれは 全く心配ご無用です。
自分の本体は 何ものであるかに気づくのは
20歳でも 60歳でも
その値打ちは全く変わらないのです。
いや 80年泣き笑いをして来て
いよいよ死ぬ一日前になって ハッと気がついて
言葉で表しようのない 自分の本当のすがたに立ち還ったとすると
その人は 人間という相(すがた)に生まれて来た甲斐があったわけです。
ともかく ・・・ そうなのです。
20歳のとき それを知って
80歳まで その知った自分のすがたに従って生きたのと
死ぬ一日前に それに気付いたのと
・・・ 同じ値打だ と思います。