負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

筋・肉・体のはなし 8

2016-10-31 17:09:08 | 原発震災避難者


近隣



肉体の体は

肉よりは 多少読みに融通が利きます



この「 体たらく 」で

「 体裁がわるい 」が

「 有り体に言えば 」相手が「 無体 」

・・・ といった調子になります


この手の「 体 」は

「 面体 」や 「 体面 」や

また 世阿弥ふうにいう「 風体(ふうてい) 」と一緒で

かなり態度の態に ・・・ 通い合っています。


「 失態(体)を演じる 」というのも

・・・ そのクチでしょうね



「 体あたり 」 「 体をかわす 」は

やや直接で ・・・ 妙味に欠けるが

土俵ぎわでの相撲のもつれから広がった

「 死に体 」という言いかたは

応用範囲も微妙に広く

使い方しだいで ・・・ 言葉が面白く生きてきます










筋・肉・体のはなし 7

2016-10-31 14:08:12 | 原発震災避難者


近隣



「 筋違い 」か

「 筋目正しい 」か

とかく 「 筋がいい 」の 「 悪い 」のと

・・・ 気にする日本人だけれど

それもせいぜい

技量技術の「 手筋 」の面に限って欲しいもの



「 血筋 」や 家柄がものを言い過ぎる社会は

・・・ ヒズんでいますぞぉ










筋・肉・体のはなし 6

2016-10-31 11:00:27 | 原発震災避難者


近隣



もっとも 「 スジ 」とはなんぞや

・・・ と開き直られると

これが「 一筋縄で 」括(くく)れないから困る



額に「 青筋立て 」て よくよく考えると

意外や 「 背筋が寒くなる 」ような

日本の歴史の深部や暗部に陥らないとも限らないから

・・・ 「 スジ 」の話は恐い


・・・ ウカツにできません







筋・肉・体のはなし 5

2016-10-31 07:59:03 | 原発震災避難者


近隣



筋肉 筋骨というわりに

“ からだ言葉 ”に 「 筋 」は

ほとんど意識されていない


観念が異なる ・・・ とすべきだろうが

この字は むしろ 「 すじ 」と訓まれ

こうなると ・・・ 無視できぬものがあります



「 筋を通し 」て

「 本筋 」に適うという行き方や考え方は

少なくとも過去には

道理として ・・・ 尊重されてきました



「 一筋に 」という形容も愛されました


「 この一筋につながる 」は

・・・ 芭蕉翁の名文句


おおいに ・・・ シビレましたなぁ










筋・肉・体のはなし 4

2016-10-31 04:58:20 | 原発震災避難者


近隣



「 中肉中背 」など

妙に生ぬるい感じが

また象徴的に日本的で

・・・ よく言えていますね



「 肉がつく 」 「 肉づきがいい 」などは

チョット直付けの気味がある上に

このところの悩みの種なので

気分的に重いという人もおられようが ・・・

「 肉づけ 」は

一味違う ・・・ なかなか有効な“ からだ言葉 ”です


まさに「 肝腎カナメ 」ですね







筋・肉・体のはなし 3

2016-10-30 22:30:46 | 原発震災避難者


近隣



「 肉 」の“ からだ言葉 ”は

多くないですね



ひとつには 訓読みが利かないので

「 肉体派 」だの

「 肉感的 」だの

「 肉筆 」だのを

どう扱うかに惑ってしまいます



「 肉眼 」 「 肉親 」

「 肉声 」 「 肉欲 」

みな よく使う日本語になりきっているので

我々の“ からだ言葉 ”として

この際登録しておきたいのが

・・・ 私の本音でありまする







筋・肉・体のはなし 2

2016-10-30 19:30:25 | 原発震災避難者


近隣



肉と血とを並べると

「 ヴェニスの商人 」を思い出す


愉快な劇ではないですね


・・・ ニクい



「 骨肉相食む 」のも

むろんイヤだが ・・・


人種や信仰の違いから

互いにムチャをやり合うなど

人間の叡智ごときでは

超克のとうてい不可能な

畏れ多いが ・・・

これは 神の犯罪として

根源から糾弾(きゅうだん)なさるべきことではあるまいか







筋・肉・体のはなし 1

2016-10-30 16:34:42 | 原発震災避難者


近隣



「 にくし 」 「 にくにくし 」とは言うが

古いところでは

あまり「 肉 」という字や言葉に

出会わない



それだから 明治になって

若々しいインテリたちが

しきりに「 肉の悶え 」や「 肉の悩み 」を書きたてのが

新鮮だったでしょうね



もっとも

私くらいの昭和ッ子になってしまうと

新鮮さの度合いが ぐっと薄れて

むしろ

「 肉 」「 肉 」と見るつど

古臭い感じがしたのも

・・・ 事実だったですね







心のはなし 8

2016-10-29 13:40:55 | 原発震災避難者


近隣



日本人の社会には

「 心比べ 」 「 心競い 」という風が

・・・ 根強く残っていて


気の付かない人は

従って 日々に

その比べや競いに

知らぬうちに負けていることになる



例えば 年賀状一枚にさえ

いつ知れず 自分が批評家の立場に立ち

字の巧さ

趣向のよさ

文言の適切さ

・・・ といったことを

一々に品評しながら

自然それを 差出人の「 心ばえ 」「 心入れ 」の評価

いや 人物の評価にまで言及しているのに

気づくはずです



あの「源氏物語」や「枕草子」の昔に

いかに「 心競い 」が日々に激しかったか

武器こそ使わないが

なかなかのそれは ・・・ 大戦争でありました



往々 文化は

こういう「 こころ 」の戦争に

・・・ 鍛えられてきたのでありましょう







心のはなし 7

2016-10-29 10:39:20 | 原発震災避難者


近隣



「 こころみる 」という言葉を 我々は

試みる ・・・ 意味にとりすぎてきた



本来の 「 心見る 」意味で

謙虚に自分の「 心の内 」を

「 心静かに 」よく見直す時間も

・・・ もたねばなりませんね



今では 日常せわしなくて

とても「 心見 」ていないようだが

それでも 古来の伝統は

何となし生きていて

日本人の社会には

「 心比べ 」 「 心競い 」という風が

・・・ 根強く残っています







心のはなし 6

2016-10-29 07:29:08 | 原発震災避難者


近隣



えてして「 こころ 」のことは

抽象的・観念的になってしまい易いが

それを避けるには

こうした言葉が

実際に用いられている現場へ立ち戻って

一つ一つに「 心配り 」の利いた観察をするしかない

と ・・・ 私は思っています



いわば “ こころ言葉 ”が

古来 ・・・ 沢山ある

そして ・・・ 使われてきたということは

「 こころ 」の現場や歴史が

そこに在る ・・・ ということでもありますな







心のはなし 5

2016-10-29 04:41:35 | 原発震災避難者


近隣



「 心おきなく 」 「 心ばかり 」

「 心尽くし 」 「 心を寄せる 」

「 居心地 」 「 心細い 」

「 心づもり 」 「 心持ち 」

「 心無い 」 ・・・ などと

いい表現が

「 こころ 」の周辺には数多くありますね。



その用例を 丁寧に当たっていって

日本人の心の有様を

具体的に見直す「 試み 」が

・・・ 必要ではないでしょうか







心のはなし 4

2016-10-28 20:25:24 | 原発震災避難者


近隣



「 意を察し 」

「 意を体し 」て

思うさま動いてくれる人が味方にあれば

それはそれで ・・・

「 わが意を得た 」「 得意 」の状態を言うしかない



人生 ・・・

「 意中 」の人と「 心を許し合 」えれば

相手が男でも女でも

それは ・・・ 幸せと言っていいでしょうね



「 入魂(じっこん)の仲 」とは ・・・ これで

こういう出逢いに恵まれて

もう「 死んでもいい 」と入えるような時

人は ・・・ 一番生き生きしています







心のはなし 3

2016-10-28 12:08:46 | 原発震災避難者


近隣



意志や 意見や 意地は

ことに 「 こころ 」の働きとして大事なもの

と ・・・ 誰も承知しています



「 意を尽くす 」 「 尽くせる 」ことが

どんなに「 心ゆく 」もので

それがまた 「 からだ 」のためにも

・・・ どんなに有難いことか


ストレス ・・・ という

もう 嫌なほど耳なれた言葉を思い出すだけで

・・・ 十分でしょう







心のはなし 2

2016-10-28 09:07:01 | 原発震災避難者


近隣



何ごとにつけて

「 鐘と撞木(しゅもく)の間(あい)が鳴る 」ぐあいに

「 こころ 」と「 からだ 」は

互いに押し合い 引き合いしながら

我々に日ごろ

「 生きている 」実感を

・・・ 与えてくれています



・・・ くれなくてもいいと言ってみたところで

この協働は

人間が死ぬる ・・・ その日まで

それこそ 我々の思惑など

「 意に介する 」ことなく続くのだ

と ・・・ 受け入れるしかありませんなぁ