負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

「 ナルヨウニナル 」 ・・・ 2.取越苦労

2012-10-01 21:00:59 | 原発震災避難者


遠足



自分に風を動かす力などないのに 明日の風向きを心配する。

・・・ これを 「 取越苦労 」 といいます。


それは あえていえば 神の領域をおかす不遜でさえあります。

それが証拠に あなたの人生は今日まで

  神の差配によって 「 なるようになってきた 」 ではないですか?


だから 明日からも同じように「 ナルヨウニナル 」 ・・・ です。

むだな心配はせぬほうが賢い ・・・ ですよ。


将来のことについて不安が生じたら

「 ナルヨウニナル 」 と 声を出していってみましょう。

( 私はいつも そうしてきました )

これは真理の言葉ですから

いいすぎてマイナスになることは ぜったいにありません。



よく人がいう 「 ナルヨウニシカナラヌ 」 は

口にしないほうがよい ・・・ と思います。

この言葉には 不平や諦め( アキラメ )の匂いがあります。

・・・ それだけ 弱くて 暗い言葉なのです。


同じいうなら 「 ナルヨウニナル 」 ・・・ といいましょうよ。

強くて 大きくて 創造的な言葉であるからです。







「 ナルヨウニナル 」 ・・・ 1.明日には明日の風が

2012-10-01 19:00:57 | 原発震災避難者


遠足



人間だれでも 明日のこと 将来のことにかんして

大なり小なり不安や心配をもっています。


当然のことともいえますが

しかし それにもおのずからホドというものがあります。


「 なんじら 明日のことを思いわずらうなかれ 」( 聖書 )というとおりで

先ゆきのことをいたずらに心配してみたとて

・・・ どうにもなるものではありません。

いまの自分が苦しいだけ損 ・・・ というものです。



先のことについて考え 計画を立てることは必要ですが

自分の思索や判断がおよばない領域にかんしてまで

・・・ あれこれと考えをめぐらしてみてもはじまりません。


それは いわば神の差配したまう領域ですから

これについては 神サマにおかせしてしまうのが正しい

・・・ と思いますよ。


すなわち

「 明日には明日の風が吹く 」 ・・・ と 腹を決めてしまうのです。







「 ほどよい 」 ・・・ ことは たいせつ

2012-10-01 16:43:52 | 原発震災避難者


遠足



「 ほどよい 」ことは たいせつです。



世間が 週五日制とかいっているのに ・・・

こっちだけ 一年中休みなし というのも

・・・ あまりいいことではないのかもしれません。







真の強さとは ・・・ 克己

2012-10-01 06:33:41 | 原発震災避難者


遠足



・・・ 他ニ勝ツ者ハ力アリ 自ラ勝ツ者ハ強シ。


老子の言葉です。



「 自勝 」 は ミズカラニ勝ツ と読んでもよいでしょうし

また その意味でもあります。

いわゆる 「 克己 」 のことです。


勝負なり 競争なりにおいて 他人に勝つのは 力(才能)があるのです。

それはそれなりに価値があるでしょう。

しかし それはそれだけの 相対的な( 二義的な )価値でしかありません。

いくら他人に勝っても

・・・ それをもって 「 強い 」 とはいえないのです。


第一義的な絶対の価値は 自分に勝( 克 )つこと ・・・ それだけにあります。

それのできる人だけが ・・・ 真に強いといえるのです。

他人との優劣 勝敗は 第一義的には どうでもよいことです。

人生において真に相手とすべきは ・・・ この自分自身だけなのです。


・・・ といった意味なのでしょうね。



「 力あり 」 と 「 強し 」 の区別をよく味わい

その次元の深浅の差のほどを よくよく認識すべきだ ・・・ と思われます。








「 挫折した 」 ・・・ フテクサレているだけ

2012-10-01 04:02:02 | 原発震災避難者


遠足



「 挫折した 」などというやつは ・・・ フテクサレているだけです。


だれがまじめに相手にするものですか。



ある日あるとき 一人の若者が来て

「 先生 あなたに挫折した人間の気持などわかるはずがない 」 と言った。


これにこたえたのが ・・・ この言葉です。







毎日が誕生日 ・・・ 生気に満ちて

2012-10-01 00:10:23 | 原発震災避難者


遠足



今日という日は

いかなる偉人も 賢者も 聖人も ・・・ 未経験の日です。



だれが どんなふうに最高の経験をするか。

その意味では だれもが

平等のスタートラインに立たされています。



さっきまでの疲れや

これからの段取りが あれこれひっかかっていては

いま目の前にある仕事に

生き生きと取り組むことができるはずがありません。



私たちは

つねに生まれたての生気に満ちたものでなければなりません。

つまり 毎日が ・・・ 誕生日なのです。