負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

気づくまで ・・・ わが老師のお声

2012-10-13 22:00:03 | 原発震災避難者


遠足



自分が 生かされて生きるいのちであること

待たれて 赦(ゆる)されて生きるいのちであること

そして すべての出来事が

自分に与えられた学習であることに気づくなら

これ 人間の成長 悟り ・・・ と言い得るものでしょう。


気づくまで 常に問われて生きるのが

・・・ 「 私 」 であると思います。


事あるごとに ・・・ わが尊師のお声が聞こえてきます。


「 これでも 感謝できるか 」

「 これでも 赦せるか 」

「 これでも学べるか 如何じゃな 」


・・・ と。








未熟児の親がふえてきた

2012-10-13 20:00:34 | 原発震災避難者


遠足



幼児の行動を観察していると

悲しみや 喜びを ・・・ 実に素直に発現するのに驚きます。

「 素直 」 を名づけて ・・・ 「 仏 」 と呼びたいほどです。


ところが この頃

むずかって泣く赤ちゃんの泣き声を

自分に意地悪をしている ・・・ と 感ずる母親が増えているそうです。

赤ちゃんが親に意地悪などするはずがないのですが

・・・ どうも そう思えるらしいのです。


物理的には親になっているのですが

心理的には母性が育っておらず

・・・ 未熟児のような母親が増えているわけです。


時々 街やマーケットの雑踏の中で

感情に任せて 子を打ち叩いたり

歩行も定まらぬ幼児を放置して

サッサと先へ行ってしまう親をみかけたりします。


身を切るように泣く幼児の声を聞いていると ・・・

「 いまに この悲しみの仇を取ってやる 」

と ・・・ 叫んでいるようにさえ聞こえます。







大丈夫 ・・・ 好転

2012-10-13 18:00:33 | 原発震災避難者


遠足



心配は ・・・ やさしさの表現ではありません。


心配するのなら ・・・

代わりに 「 大丈夫 !! 」 と腹を決めて

「 ありがとうございます 」

と ・・・ 感謝する習慣をつけましょう。


心配の種が芽生えたら ・・・

すぐに 「大丈夫」

と ・・・ ささやきかけましょう。


明るく 感謝して

「 大丈夫 」 で生きていけば

すべては ・・・ 好転していきます。







いつか必ず死ぬのですから ・・・

2012-10-13 15:00:24 | 原発震災避難者


遠足



人間 生まれたからには ・・・ いつか必ず死ぬのですから

せめて それまでの時間は ゆっくり ゆっくり

いのちを楽しんで 生き ( 逝き ) ましょうよ。


大丈夫 ・・・ 何も こわがることはありません。

大丈夫 ・・・ 何も 不安に思うことはありません。


すべて ・・・ 収まるところに収まります。


大丈夫です。 安心して下さい ・・・ 。



・・ 高齢者大学で行う講演の素案から ・・








痴識 ・・・ 知識

2012-10-13 12:00:56 | 原発震災避難者


遠足



私たちは

知識をいっぱい身につけようとして ・・・ 学びます。


学力をつけなくては

世の中で役に立つ人間にはなれないと考えて

親は 子どもに教育を施そうとします。

その結果 今や高校生の半数以上が

最高学府にまで進学するようになっています。


学力は 知識をつけることと思っています。


でも いくら知識を身につけても

それだけでは 何の役にも立ちません。

知識バカなってしまうのがオチです。


最高学府を優秀な成績で卒業した人たちが

今 誰が見ても ・・・ バカなことを平気でしています。


また 学歴の高いお母さんほど

子どもや 夫をできそこないにしてしまうといいます。

これは せっかく身につけてきた知識を

人を比較し 批判する道具にするからです。



知識は 体験を通したとき ・・・ はじめて 智慧に代わります。

体験がなければ ・・・ 痴識にしかなりません。


そして 身につけた学力は体験を通して

楽力に変えていかなければなりません。


学力は 知識をひけらかすためにあるのではなくて

自分を そして まわりの人を楽しくするためにあるのです。







楽力 ・・・ 学力

2012-10-13 09:00:33 | 原発震災避難者


遠足



学力は ・・・ 楽力にしなければいけません。


しかつめらしい理屈ばかりの学力は

・・・ 捨てたほうが世のためです。

そんなものは ・・・ 百害あって一利なし。

何の役にも立ちません。


人を楽しくさせる学力は ・・・ すばらしい力です。

楽しい人と一緒にいると 自然とエネルギーが高まります。

みんな幸せな気分になります。


まわりのエネルギーを高めることのできる人は

・・・ すばらしい人なのです。

これこそが 本当の学力のある人というものです。


理屈ばかりこねくり回して

・・・ まわりを暗くするような人はいりません。

こんな人は いくら知識があっても

・・・ 学力があるとはいいません。



これからは ・・・ 本当の楽力=学力をつける時代です。







手の楽しさ ・・・ 感謝

2012-10-13 04:52:51 | 原発震災避難者


遠足



詠み人知らずの三十一文字 ( みそひともじ ) に ・・・


今朝もまた 箒 ( ほうき ) とる手の楽しさよ

はかなくなりし人にくらべて


というのがあります。



「 はかなくなりし 」 には

「 儚くなりし 」 ( 死んでしまった ) と

「 掃かなくなりし 」 の二つの意味を含ませています。

箒ときたから ・・・ こう受けたわけです。


・・・ 死んでしまった人は

箒をとって庭をはくことも もはやできない。

そういう故人たちに比べてみたら

今朝もまた 生きて目ざめて 庭はきができる楽しさ。

ああ 生きているとは

なんとありがたい うれしいことか ・・・


生きていること自体をよろこびとせよ

・・・ そう教えている歌だと思います。


「 手の楽しさ 」 という表現がいいですね~。


手こそは人 ・・・ 間の特性をあらわすものす。

その手をつかうことこそは ・・・ 生きていることのあかしです。

死ねば この手もなくなるんだゾ~ ・・・ ですよ ね。


「 箒とる手 」 は 一つの例で

鍬をとる手

ペンをもつ手

箸をもつ手

子を抱く手

お尻をふく手

介護する手 ・・・ なんでもよいわけです。


その手に 楽しさと感謝 ・・・ を見出します。



明日は知れぬから ・・・ 今日の感謝 といったところでしょうか。