夫の実家へ行くと最初に目に入るのは、昔からあったオレンジの”のうぜんかずら”の花である。
そしていつもの花たち。 それに加え今年は朝顔の品種が色々あり、兄嫁さんの花植えが好きの心を感じる。
同時に庭は義母の部屋の目の前にあるので、多趣味だったのに出歩くことが少なくなった今、
花たちはきっと毎日、義母の楽しみになっていることだろう。
お昼時だったが次女は前日九度の熱で病み上がりなのに、夫や長女やひろとママと即効サンセットビーチへ。
普段はビニールプールの孫達、夫だけでは二人は無理だし、せめて少しでも本当の海で泳がせてやりたい
そんな親心で身体を押して水に入る姿若さはまぶしい。 私だってそんな頃はあったのよ~きっと。
夜は恒例のバーベキュー。 大人数ともなると食事も大変で、都会では味わえない庭でのBBQは楽しみである。
89歳義母にしてお肉は特に好物と言う、食べられると言う健康は一緒に住んでいない私には大きな安心だ。
それにしても帰省すると男兄弟4人が必ず揃う。 二年前まではお正月お盆と帰省中必ず4人でゴルフをした。
男一人の実家の兄は、延々と続く兄弟ゴルフをやっているそのことに、仲が良くて羨ましいと良く言っていた。
もう孫も出来所帯が増えると一泊で充分で、その分男四人飲みながら尽きない話和やかで気持ちがいい。
実家のちょっと硬い兄とは違って、義兄が気さくで型苦しくなく弟たちも長幼の序を重んじ見事な体系。
どちらにもそれぞれの良さがあり、硬さの中の礼儀は大切でもあり、郷に入っては郷に従え。
孫が出来て、ミルクを飲ませている兄なんて全く想像もつかなかったが本人はちょっと自慢げだった。
どうやら孫二人一気に出来た喜びや安堵で、これで程よい加減な丸みになるのではなかろうかと、
私は内心喜んでいる、にやにやと。 いや、厳格な父親に良く従った甥っ子たちもそれは感じていると思う。
しかしそれを言い聞かせてサポートしてきたその要は、やはり兄嫁さん。 その存在は大きい。
何しろ私たちは、そんな双方の実家が暖かいからこうして毎年気持ちよく帰らせていただけるのである。
翌朝またまた早く起きて近所散歩。 家の上の方向に歩く、いつものコースいつもの楽しみである。
まだ太陽の昇らないみかんの木やシュロのシルエット、この場所の風景が特に好きだ。
そんな深緑の中での花ニラやのうぜんかずら、フヨウ等の花色はとてもやさしい。
山を横切る西瀬戸自動車道の景色もまた、好きなポイントになっている。
いつもと景色は変わらなくとも、自分が過ごした日々は毎年違うわけで眺める気持ちはまた違う。
飽きない景色・・好きだった義父の顔が浮かぶ。 結婚して4年ほどしか、過ごすことが出来なかったが。
島なので、ふるさとイコール背後には山を、目の前には海を・・変わらないその風景はやはり一番落ち着く。
気候の精なのか、草いきれか・・蒸し蒸しとして汗が吹き出てくる。
残念ながら朝日は拝めなかったが、淡いブルーの朝景色でも私は充分満足なのである。
朝食後ひろとママは散歩に。 孫たちにはたとえ草の一本でも楽しさの素材になる。
彼女の田舎鹿児島もこんな景色、孫たちがいっぱいの自然に触れる貴重な時間、目を輝かせて走る。
有難きかなふるさと、有難きかな兄弟たち。
帰阪する私たちと入れ違いに、大阪の夫の姉夫婦と姪っ子夫婦と子供チッチが深夜を走行し到着した。
歩き始めて可愛いさかりのチッチ、また一挙ににぎやかさが増した。
本当なら、一緒に一晩楽しみたいね・・と言っていたのだが容量オーバーで入れ替わりになった。
兄嫁さんは「いいよ」と言ってはくれたが孫を入れて十三人、団体さんである。 迷惑をかける。
本家は本当に大変、これだけの人の出入りをこなしていくのだから。
それにまだ孫のいない普段ひっそりとした家にその人数熱気たるや、義母は舞い上がり疲労困憊、
それにそれだけの人数が一気に引き上げても、また寂しさもひとしおだろうと思うと、これでよかったと実感。
十一時、去りがたい気持ちを残し大勢に見送られて帰阪の徒に。 一番寂しそうだった義母。
運転手の長女は熱で頭には冷えピタを貼り、無呼吸症候群で時折眠気の誘う夫のうつろな目が頼りなくて、
申し訳ないかな半分運転をしてもらったと言う申し訳なさ。
夕方五時には、風景の全く違う家についた。 妊婦さんのひろとママのおなかも大丈夫でほっと安心。
次女は回復、孫たちも元気だし。 あ~ぁ・・大阪や・・。 空気も景色も全然違う大阪や・・また大阪生活が始まる・・。
この後長女はダウン。 私に運転が出来たらね~、いやこの超ドンくさ人間、娘はもっと不安だったよ~。
双方の迎え入れてくれた家族に感謝!