日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 帰省 義父33回忌法要 *

2011年08月11日 | 行事

愛ちゃん母子3人を迎えに行き、大阪を出発したのは午前0時半だった。
義父の33回忌法要、本当なら仕事の夫である、愛ちゃんも次女も10日まで仕事だった。
大人5名、子供4名 2台の車、Lグランドの後部をフラットにしお布団を敷いて二組の親子が眠れるように。
夫1人を運転席に・・は気になるので、長女には申し訳ないが1人で車に。

無呼吸症候群の夫は、次女が用意していた眠気覚ましのドリンクを初めて飲み意外や眠気も来ずにいて
一気に福山SAまで走ることになった。 渋滞もなく3時半には着いた。
後部は全員寝ていたが、仮眠をとることに。

目覚めた時前方のシートをのけたとき目の前に広がったのは・・ 

私たちより到着が遅くなると言っていた大阪の義姉夫婦と姪っ子親子の5人もここで仮眠していて会った。

ここのパンは結構有名で、7時に焼きあがるのを多くの人たちが待っていた。
今日も暑くなりそう・・太陽はすでにぎらぎら照り始めていたが、朝の新鮮な空気を吸いながら焼きたてのパンで
一緒に朝食、爽やかだった。

 

因島大橋を渡り・・

生口大橋を渡ると実家はもうすぐ・・

 佐屋条・・夫の実家近く 夫の遊泳の個所であり、帰省の時子供の小さい頃はこの辺で泳がせたことがある。

夫の実家に到着後、私の実家へのお土産類、車の中では高温になるので私の実家へ長女と先に降ろしに行く。
空、島、海 当然だけど、生まれ育った島への愛おしさのような感情がふつふつと湧いてくる。
兄が待っていてくれて、一緒に荷物を降ろしてくれた。 
昨年10月胃全摘・・落ちた体重、ズボンの余裕な部分がそれを感じさせそれには言葉が出なかった。



親戚や兄弟たちも集まっていた。 兄弟仲がいいので、帰省するとみんなが集まり楽しく談笑することをとても幸せに思う。
10時半全員でお寺へ 昨年新しくなったお寺、正座が出来ないので椅子はあるかなと思ったら、やはり高齢化社会である、
本堂では参列の人々全員が椅子席になっていてほっとした。 読経の中をみんなが立派な祭壇でお焼香をする。
その後墓所へお参り。 子供はもちろん孫たちもお線香をあげ手を合わせた。

12時、お寺さんが家に来てお経をあげて下さる。 長い読経だった。 
普通はこの後、お坊さんを交え膳を囲むが、お坊さんとて重なるとご馳走も厄介なもの、最近はお布施に変わったようだ。
ひらがなが打ってあるお教本を皆でついて読んだが、お教本表裏・・長い・・前日包んだお布施が多かったからだろうか
等とひそひそ苦笑していた。
”いつもより多く回って・・いや長~く読んでいます~”ってな具合?

お経の後、お坊さんの話の中で「仏さまは、33回忌法要で初めて成仏されるのですよ」と言われた。
恥ずかしながら一昨年は実家の父の33回忌、そのことは知らなくて初めてこのことを知らされた。 
そうなんや、33回忌で初めて成仏・・なんだか複雑なそれでいてほっとしたような・・・。

床の間の掛け軸、義姉さんが、昨年求めたと言われた。 
生まれた時から、どこの家にも座敷には床の間があって掛け軸があって花が活けてあって・・やはり落ち着くなぁ。
義父が大好きだった。 多くは語らないが、優しい含みのある言葉で色々な話しをしてくれた。
前の家に一度着てくれた、2度目は次女を生んだ時病院へ見舞ってくれたのが最後、その2ヶ月後に他界した。
父にしたら最後の力で夫に会いに出向いたのだろうか、生後2ヶ月の二女を連れて訃報に駆けつけた時を思い出した。

夏場、大勢の料理は大変なので瀬戸田の”かねよし”で食事。 平山美術館の近くだった。
家でお膳料理をとって頂くよりも、熱いものは熱いように、冷たいものはそのように、コース料理がほど良く出て来る。
もう食べられないわ・・等と言いながら、みんな結構食べた。 いいお味だった。 また利用したいお店。



外観は地味だが、感じが良くて2階は宴会席、ゆっくりと食べる事が出来た。 地元で愛されているお店のようだ。

我が家だけでも9人、泊まるのは私の実家に頼んでいたので、賑やかな夕食のあと8時半ごろ実家へ行った。
長女、愛ちゃん、次女と旦那さんは仕事だったので、言えば代表で出る訳で、法要に関してお供えや服装や何かと
余り経験の無い事がら、数珠はそれぞれ結婚した時から持たせてあったが務め終えてほっとしたようだ。
無事法要を終え安堵の思いと、義母がそのことや初めて夫を理解出来なかったこと病の進行が妙に寂しく思えた。
私以上に夫にはショックだったに違いない。