日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 陣内、紀香離婚!? *

2009年03月19日 | 雑感


今朝流れたニュースに驚いた。
陣内・紀香(私は吉本感覚で陣内を先に言う)離婚!? 新聞には紀香の文字がほとんど、仕方ないか・・。
人も羨むスタイルの美人女優と漫才師、そんな異例な組み合わせの結婚に半分以上は予想していただろう。
仕事でくたくたになった陣内さん、家庭でトランクスいっちょうになれることあったかな。
すれ違いは分かっている事だが、そんな中で世間の見るあの藤原紀香を家庭でどう崩せていたんだろう、崩せた?
一緒にいる以上、お互いにそんなところで、家庭がほっとする居心地のいい場所であっただろうかなぁ。
よほど心が繋がれ許されていればそれも出来ただろうが、別れたらほっとして楽になるではないだろうか。
そんなことを家族で言いながら、還暦旅行を思い出した。

還暦旅行の宴会時も、そして天橋立の昼食の時も偶然に南の男性Sちゃんと向かい同士だった。
だから色々彼とは、昔話やらお互いのことを話す機会があった。 
帰りのバスの中で、不思議だなぁと思った。 私はこんなときこれは偶然ではなく必然な出会い・・そう思う。
お正月の同窓会の時担任の先生と話したとき、「あんたがしてきた苦労、越えられたものは苦労じゃない。 
Sちゃん、見てみ。 あれが本当の苦労なんじゃ」 私にも言えない書けない毎日泣いていた時があったんですよ、
そう言った時、先生から言われたが、そう言われたらそうかも知れないと思った。
5年前に奥さまを亡くされ、老いたご両親の介護をされていると聞いて衝撃だった。 
男手で慣れない家事介護一切は、どんなに大変なことであろうか。 女でも大変なのに。
まだ夫婦で充分暮らしている年齢である、以来事あるごとに彼を思う、きっとそれは私への戒めとして。

「大変やね。 来れないかと思ってた」 夫とそうかも知れない話していたから。 
息子さんが来てくれたようだ。「子供がいて良かったね」 仕事も辞め、食事の世話から全て彼の手に。
「昔人間は大変よ、料理でも辛ければ辛い!言うし、薄かったら薄い!言うし」 「えらいな、本当大変やね」
「いや楽しいよ、それもまた楽しいよ」彼は笑いながら言う。 大変だと言っても当然だと思うのに。
今も書いているとあの時の彼の笑顔と言葉が浮かび、胸がいっぱいになり涙が出てくる。 
帰った時から、っすぐにまた現実と向き合っているであろう彼。
私は夫や娘夫婦や孫と、お土産に買ったカレイの一夜干しを食べなが賑やかに旅行の話をしていたのに。

今の時代、彼のような話は多いし、私も隣が病院なので車椅子や老いの増したお年寄りの方を毎日目にする。
彼もこれからもっともっとご両親が年をとり大変になってくるであろう、もちろん私たちの母たちも同じだが。
感謝の日々を送ること、どんなことがあろうとも笑顔で越えていくことを彼が見せてくれたのではなかろうか。

彼は夫とも仲良かった。 まぁ中学ではみんな仲がいいのだけれど。 Sちゃんと私は高校が同じだった。
高校の違う夫が初めて映画に誘ってくれた時、実はSちゃんにお金を借りたらしい”海の若大将”の映画。
みんな私が夫と付き合っていることは知っていた。 そう言えば結婚をはじめ私の両親は反対していたが、
なぜかSちゃんが親に2人は一緒になるべきみたいなことを、言ってくれたような、言わなかったような。
なんかそんな風なこと京都にいた私は、風の便りに聞いたような記憶がある。 
そこから繋がっていたのかなSちゃん、書きながら思い出した。 

宴会の時Sちゃんが「旦那はしんどかったんじゃないか」と言った。 突然今頃なに?
夫は仕事の後会社仲間で麻雀、帰宅は年中9時半だった。 麻雀は大好きで結婚前からこれだけは
目をつむってくれ、それが第一条件だったから、そんなに麻雀って面白いの?と、本を買って勉強したりした。
そんな我が家、まるで母子家庭のようだった。 子供には「みんなの為に中国語の勉強しているのよ」
父親の立場を崩さない為に。 子供が大きくなると、そんなごまかしはきかず私も帰宅の遅いのが不足になった。 
「けんつくさん、しんどかったんと違うか」彼にそう言われた。 毎日、アイロンのかかったハンカチ、磨いた靴、
お風呂から上がれば、着る順番に衣類を置いていた。 毎朝起こさないと起きない夫に靴下まではかせていた。
料理も好きだったから、ちゃんとしていたし私にすればそれらは、結婚した喜びであり、妻として当然だった。 
「それが返ってたまらんかったんやろ」 自分が毎日麻雀しながら、きちんされたら息苦しいと思うと言われた。
どこかで似たような話を聞いたことがあったが、やっぱり私が悪いのか・・。
私が夫にいつまでも麻雀をさせていたの?  女は少し抜けている位が可愛いとか言うが。
今はあれもこれも妻として抜けすぎて、昔の私を取り戻して行こうと努めているんだけど、はい。

偶然とも言えないようなSちゃんとの出会いは、私に必要なアドバイスであり姿だったのだと思っている。
私はまだまだ・・夫の心にすっぽりと入りきれていない。  

同居の次女の手術日が決まった。 最初31日かもと言われていて、4月ならいいのにと日々話していた。
野球をやっている娘婿は、男の子なら野球を!と思っていて、選手に3月生まれは殆ど無い、そう言っていた。
患者の都合で変ったらしいが、思い通りだったのでみんなほっとしている。
4はね・・と一瞬娘は言ったが、4月4日・・4と4で8 末広がり、それに大安である、いいんじゃない。 
なつめが生まれたときのことがあるので、いつであろうと全てはお任せである。
それよりもどうか母子共に健康で、そして無事に赤ん坊が生まれますように・・、ただひたすらそう願う。