佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

平和の詩「幸せの一枚」

2011-06-23 | 平和

今日は「沖縄 慰霊の日」

戦没者追悼式のTV中継を見た。

中学2年の女子生徒が朗読した平和の詩が、心に残る。

詩そのものが素晴らしいだけでなく、

彼女の朗読や、その声、その目、その顔の表情すべてで、式典の参加者に訴えていた。

一番訴えたかったのは、目の前にいる総理大臣か?

 

残念ながら、その訴えを受け止める耳を、菅総理は持っていないだろう。

基地撤去どころか、県外移設さえも受け入れないというのだから。

「最小不幸社会をめざす」と言った言葉は、もうとおの昔に忘れてしまっているのか。

 

菅総理はどうであれ、TVの前の多くの人に、

「戦争さえなかったら みんな幸せだったのに…」というおばあちゃんの声が、

届いたと思うよ、朝香さん。

 

  「幸せの一枚」


私の祖母が持つ一枚の写真

何年も経つけれど

忘れられない笑顔

忘れられない言葉


小学生の頃 先生がだした宿題

家族から戦争の話を聞いてくること

急いででかけた 祖母の家


祖母は何も言わず

棚の奥から 一枚の写真を取り出した


古びた写真に写る子どもたち

満面の笑顔の男の子

勝気そうな女の子

おとなしそうにはにかむ笑顔

豪快に口をあけた笑顔

たくさんの笑顔

一人一人の目は

未来を見つめ キラキラ輝いている


「この人だぁれ?」

真ん中に写る女性を指さし 祖母に尋ねる

祖母は寂しそうに笑い 「わたし」 

一言だけ答えた


一人一人の顔を

愛おしそうに 懐かしそうに

指でなぞるように 眺めながら

時が止まる


「この子たちは?」

ふたたび祖母に尋ねる私

「おばあちゃんの生徒たち」 「大切な大切な生徒達」

「みんなどうなったの?」


祖母は答えなかった

ずっと黙ったままだった

幼い私にも

祖母の深い悲しみが

深い苦しみが 痛いほど伝わった


長い沈黙のあと 祖母は

「どうして戦争なんかするのかねー

戦争さえなかったら みんな幸せだったのに…」


私はもう一度写真を見た

みんな笑っている

幸せそうに笑っている

愛する家族がいたはずだ

たくさんの夢があったはずだ

大人になるその日を夢みていたはずだ

その笑顔を 幸せを 奪った戦争を

私は許さない

絶対に許せない


祖母は多くを語らない

私はあれ以来

あの写真を見てはいない

祖母の家に眠る一枚の写真

それにこめられた祖母の思い

もう何年も経つけれど 忘れない

私はずっと忘れない


私たちが忘れない限り 平和は続くだろう

だからこそ 忘れてはいけない

この地には 

たくさんの笑顔が たくさんの夢が 

眠っていることを

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