2010年の折り返し地点だ。
とても速い半年だった。
年齢のせいばかりではないと思う。
川棚通いが始まって、一日があっという間に終わるように感じられるようになった…
座り込みを始めて3ヶ月が過ぎた。
少し振り返ってみたい。
3月24日、年度末の駆け込み的に県は付替え道路工事を着工した。
付替え道路を造ることは、ダム本体工事の前提であり、土台作りである。
まだ事業認定もされていないのに…県の横暴に地権者は抗議の座り込みを始めた。
「命に代えてもこの土地は守る!」堅い団結の地権者がいる限り、ダムはできない。
できないダムのために、ムダな公共事業を強引に進めようとする県は間違っている。
貴重な税金をドブに捨てるようなものだ。
私も賛同して座り込みに参加した。
(他にも数人の支援者が毎日参加しているし、時々やってくる人もいる)
はじめの1週間は、マスコミも連日やってきたが、すぐにその潮は引いていった。
一方、住民の座り込みはだんだん長時間に及んでいった。
当初は朝のうちだけ(7時から9時くらい)だったが、その時間を避けて業者は中に入ってしまう。
と、工事はどんどん進む。
いくら住民、県民が抗議の声をあげても、行政は耳を塞いでいる。
県庁まで抗議文を届けに行き、座り込みの現場を見に来てほしいと訴えても、
ついに知事は来なかった。
抗議行動は阻止行動に移るしかなかった。
業者が6時に来れば、翌日、住民は5時半に行って座り込む。
すると、その次の日、業者は5時に来るといったふうに…。
5月になって、県はこのような大きな看板を設置した。
しかし、住民は誰もこんな脅しにはびくともしなかった。
住民との約束を破って、権力を翳して住民の権利を奪おうとしてるのは誰だ?
違法云々という資格があるのか?
私たちは体を張って自分たちの権利を守ろうとしているだけなのだと。
私たちの仲間に法律に詳しい人がいる。
彼によると、憲法学者の宮沢俊義は抵抗権についてこう述べている。
「抵抗権は人権宣言において補償される人権の一つであり、
人権を侵害する公権力に対して抵抗する権利のこと」
「個人の尊厳から出発する限り、どうしても抵抗権を認めないわけにはいかない。
抵抗権を認めないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、
奴隷の人民を作ろうとすることである」
正面ゲートから入れなくなって、業者は山側から入るようになり、
住民はそこにもバリケードを張った。
表玄関と2つの裏口への道を塞がれた業者は、ある日、川を渡って現場に入った。
翌日から住民はまた、その川岸で終日番をするようになった。
そうして、今では4ヶ所での阻止行動が続いている。
県は、住民がこれほど抵抗を続けるとは思っていなかったのだろう。
座り込みと言っても、いつまでも続けられるものではないサ。
一日中できるものでもないサ。
くらいに高を括っていたのか?
思惑が外れ焦っているのか、つい最近新たにこのような看板を設置した。
警告の主は「石木ダム建設工事安全協議会」となっているが、
これは単なる任意団体に過ぎず法的な権限は何もないそうだ。
しかし、私たちは業者と対立するのを決して望んではいない。
できるだけ平和的にやっていきたいと思っている。
特にそこで働いている社員や下請け作業員には申し訳ないと、私は思う。
あなたたちが阻止をすることによって、仕事を奪われる人たちがいる、
収入が減らされる人たちがいる、生活が苦しくなる人たちがいる、
それを承知でやるのか?
と、身近な人に問い詰められたことがある。
即答できなかった。しばらく考え込んだ。
迷いつつ通っていた。
でも、やはりこうするしかないとの思いがだんだん強くなっていった。
社員の方は、ここで仕事がなくなっても他の現場に回されるだろう。
下請けの方は、一時的には困っても、また新たな仕事が得られるだろう。
でも、住民の方は、工事が進んでダムができてしまったら、家を追われるのだ。
土地を奪われるのだ。生活を奪われるのだ。
先祖から受け継ぎ子孫に残したいと守ってきた家や田畑を水底に沈めるのだ。
「そんなにダムを造りたいなら、うったちを殺してから造りゃよか!」と、
いつもニコニコ笑顔のおばあちゃんが言ってるのを聞いてしまった。
祝島の住民も原発建設に反対して、24時間体制で座り込みを続けているという。
沖縄の高江では、米軍のヘリパッド阻止のため、もう3年間も座り込みを続けている。
同じく沖縄の辺野古では、基地を造らせないために海上での阻止行動と、
テント村での座り込みを行っていて、全国から支援者がやってきて共に座っている。
権力者の暴走を阻止するには、やはり非暴力で、しかし体を張って訴えるしかないのだ。
今日は3時ごろ、山栄建設の人が重機を出したいとやってきた。
私たちは、テントをたたみ、椅子などすべてを撤去した。
ガードマンが門扉を開け、重機は大型トラックに乗せられて出ていった。
山栄建設の人は、私たちに「ありがとうございます」と言った。
私は「ご苦労様」と小さな声で言った。
工事を阻止することの目標は、あくまでもダム計画を推進している権力者への抵抗。
それをこれからも肝に銘じて座り込みを続けたい。