佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

団結小屋の主たち

2010-02-20 | 石木ダム
17日、初めて団結小屋の中にお邪魔しました。



何度もこの前を通りましたが、そのほとんどは午後からで、誰もいない時間帯でした。
一度だけ窓越しにお話をしてお茶をいただいたときもありましたが。

この日は、ダム問題について研究している東京のYさん(東大大学院生)が石木ダム現地を訪れるので、
是非ご一緒に…とのお誘いを受け、喜んで参加させてもらいました。

Yさんはすでに県職員の話、絶対反対同盟の話、地元住民の話を二日間にわたって聞き取りし、
この日最終日は団結小屋に集う人々とじっくりお話したいと思われたのでしょう。

私は皆さんより少し遅れて、川棚駅からタクシーに乗って団結小屋に向かいました。
運転手さんに「石木ダム絶対反対同盟の団結小屋ってわかります?」と尋ねると、

「ああ、あの掘っ建て小屋ですね。今日はなんかあるとですか?」と言う。

「いいえ、そこにいつも集まってる方のお話を聞くだけです」

「へぇー、そうですか…」

「新政権になってからダム問題がいろいろ話題になってますが、川棚の皆さんも関心お有りでしょうね」
と水を向けてみました。

「いや、ダムについてはいっさい何も話されんとです。地元には賛成派も反対派もいますけんね。
遠くから来られた人やったっちゃ、どこからどう伝わるかわかりませんからね」

「なるほど、そうでしょうね。でも、ダム建設は皆さんの税金が使われるわけだし、
ダムができることによって洪水が防げるのか、逆に被害が大きくなるという人もいますし、
自分たちの問題として身近な人たちとは話していらっしゃるんでしょう?」

「いやー、私らはそんな難しいことはわかりませんから」と言われて、この話は打ち切ったのですが、
しばらくして向こうから話しかけてこられました。

「県のやり方がまずかったとですよ。機動隊ば入れたりして。
そいで地元の人たちはヘソば曲げてしもうたとですよ」

ふ~ん、この方は反対地権者に対して少々批判的な見方をしてるような…。
もしかしたら推進派?と勘ぐっていたら、

「ほら、そこに大きな家が何軒か見えるでしょう?
あれが、立ち退きした人たちの家ですたい。りっぱかでしょう?ダム御殿ですよ」

あれ~、ダム受け入れ地権者にも好意的ではない?
単なる傍観者なのか???

そんなことを考えているうちに目的地に到着。


中に入ると、団結小屋の主たち(川原の元気なお婆ちゃん達)と、
Y君と、長崎のTさんの笑顔が待っていました。

Y君に初めましてのご挨拶をしていると、さっそく私の前にも手作りのおはぎとお茶が出されました。
「僕はもう3個目ですよ」というY君の言葉に安心して、遠慮なく頂くことに。

みかんやお菓子もいっぱいあって、
途中で珍しい芋まんじゅう?(サツマイモを蒸かして潰して揚げたもの)の差し入れも頂いて、
その上お昼もしっかり食べて…、
何をしに行ったのか?食べに行ったのではないかと思うくらい、食べ続けでした。

そして、お婆ちゃんたちもよく食べる!
よく食べ、よくお茶を飲み、よく語り、よく笑う。
とっても仲がいい。
「姉妹みたいなもんですたい。13世帯はみんな兄弟姉妹ですたい。
そうやなかったら団結は続きまっせん」

彼女たちも、かつては鉢巻きを締め、抗議の座り込みをし、シュプレヒコールをあげたのだろうが、
今はこの小屋で共に楽しい時間を過ごすことで団結を深め、
彼女たちの団結が息子や嫁や孫たちにも波及しているのではないだろうか。

朝、お弁当を持ってここへ集い、お茶を飲んでおしゃべりしてお弁当を食べて、1時過ぎに帰宅。

午後からは、それぞれの畑で野菜を作ることが彼女たちの「お仕事」。

孫やひ孫にまで囲まれて過ごし、家族のために美味しい野菜を作るという仕事を託され、
日々顔を合わせ笑いあう友がいて、山があって川があって…
ここを離れたくないという気持ちがよくわかる。

皆さんのお話をいろいろ聞きたくてやってきたのに、逆に、質問責めにされる一幕も。
「生まれはどこ?」「なんで佐世保にきなさったと?」「こどもさんは?」等々。
夫が佐世保の出身で、彼の希望でリタイア後の生活の場所として引っ越してきたことを伝えると、

「そうですかー。私たちと同じやね。やっぱり故郷はよかもんね。生まれ育ったところが一番ですたい」

「佐世保に来てくんしゃったおかげで石木ダムに関わらしてねぇ。ほんに有難かですよ~」
「東京のように遠いとこから学生さんも来られて、皆さんが関心持ってくれらして、感謝しとります」
「私ら13世帯だけじゃ何もできまっせん。地元の議員さんなんかも寄り付かっさんですもんね」

などの言葉を聞いて、嬉しかった。
長い長い間、外部との接触を絶って、「見ざる、言わざる、聞かざる」を合言葉に、
13世帯の団結を堅く守ってこられた皆さんにとって、
一年ほど前からの私たち佐世保市民有志の行動がどう映っているのだろう?
若い世代や中年の方々とは会合等で話し合っているけれど、そのご両親の世代になるとどうなんだろう?
はたして受け入れてもらっているのだろうか…と少し不安を抱いていたからです。

そんな不安も解消して、ますますリラックス。
小さな電気炬燵に皆で足をつっこんで、テレビでオリンピック中継を見たりした。

男子フィギュアスケートをやっていた。
日本選手が登場するとみんなおしゃべりを止めて見入る。
誰誰が調子いいとか、今のジャンプは高かったとか、けっこう情報通の方もいる。
しかし、感心したのは、どなたも、どこの選手に対しても声援を送ること。

この人は上手ねー

うん、上手やねー

この人はきれいかねー

うん、そうやねー

ああ!ころんでしもうて、惜しかったねー

うん、もったいなかったねー、

あらー、だいぶ点数の落ちたごたるねー、

かわいそかったねー、

ばってん、おかげで、高橋と織田が2位と3位に残っとるとよ

ああ、そうやね、それはよかったね


そう言いながら、また次の他国の選手が登場すると、その選手に声援を送るのです。
そのフェアな観戦にとても温かいものを感じました。

もしかしたら、川原の美しい豊かな自然が育てた感性なのだろうか…
というのは考え過ぎ?


1時半頃、みんなで団結小屋を出ました。




お婆ちゃんたちが見えなくなるまで見送って、私たちは川原公民館に立ち寄ったあと、
岩屋神社に向かいました。



この小さな岩穴を這って入り、中で手を合わせていたY君、どんなことを祈っていたのでしょうか。。

またいつか川原を訪れてくださいね。
団結小屋の主たちも楽しみに待っていることでしょう。



コメント (4)
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