佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

消えた水源

2010-02-09 | 石木ダム
「石木川まもり隊」のHPをご覧になっている方はすでにご存じだと思いますが、
私たちは今、佐世保市の「消えた水源」をめぐって調査中です。

たまたま仲間のKさんが発見したのですが、
平成7年11月に作成された佐世保市水道白書には、
安定水源が82,500m3、不安定水源が34,400m3、合計116,900m3と書かれていました。

私たちが何度も聞かされてすっかり頭にこびり付いてしまった数字は、
安定水源77,000m3、不安定水源28,500m3、合計105,500m3というもので、
それは平成11年度の再評価委員会の資料以降、ずっと同じでした。

いったい、いつからその数字は変わったのか?
安定水源のマイナス5,500m3、不安定水源のマイナス5,900m3、合計11,400m3の水源は、
いつ消えてしまったのか?
なぜ消えてしまったのか?


2つのデータの違いを見てみると、いくつもの不審な点が・・・

1.平成7年度には安定水源とされていた「三本木」と「岡本」の2つの取水場が、
  11年度には不安定水源に変更されている

2.平成7年には存在した「佐々」「下の原」の2つの取水場と、
 「下の原」「矢峰」「柚木」の3つのさく井が消えている

3.嵩上げによって下の原ダムの取水能力は増えたのに、
  全部のダムの取水能力の総量は増えていない

他にも疑問はふつふつとわいてきます。
これはもう直接水道局の職員さんに教えて頂くしかないでしょう!
ということで、8日午後、4人で水道局を訪ねました。

いつも親切な水道局の方々は、Kさんが事前にお願いしていたので、快く説明に応じて下さいました。
あちらも4人!

そして、その説明をお聞きすると・・・

1.当時の取水実績からそうなったようだ。
  つまりだんだん川の流量が減り安定的に取水できなくなってきたということ。

  ★どういう具合に減っていったのか訊くと、当時のデータはもう残っていないから
   具体的にはわからないとのこと。

2.「矢峰」と「柚木」のさく井がなくなったのはいわゆる水枯れで、あまり水が出なくなったから。
  「下の原」のさく井はホウ素が基準値の何倍も出て水質の関係で使えなくなった。
  「佐々」と「下の原」の2つの取水場は、単なる記載ミス。
 
  ★ここで、「えー!?」と私たちはいっせいに声を発してしまいました。
   水道白書ですよ。白書にそんな大きな記載ミスをするんですか?

  皆さんが納得できないのはごもっとも。でも、ミスなんです。
  佐々取水場の水は菰田貯水池に送られ、
  下の原取水場の水は下の原貯水池に入れるので、別個にカウントしてはいけなかったんです、と。

3.下の原ダムの嵩上げで増えた3,000m3は、他のダムの集水能力の減少分を補うための
  対策だった。だから総量は変わらないとのこと。


いずれも半信半疑と言いたくなるような説明でしたが、
記載ミスというのは、特にイタダケナイ。

井戸水の水枯れや河川水の流量低下などの説明は予想してましたが、
いやしくも「水道白書」に記載された数字が「ミス」だったなんて・・。
それが本当だとしたら、(少なくとも過去の)水道局のデータがいかにいいかげんなものか…、
もし本当でなかったら、さらに信用できなくなるし…。

以前、市立図書館で「水道白書」というタイトルの印刷物を見たような記憶があって、
水道局の帰りによってみましたが、あいにく休館日でした。
どうしても気になって、今日再び立ち寄ってみました。

大収穫!
問題の水道白書は、やはり市立図書館にありましたが、
昨日水道局で見た平成7年に作成されたものだけ。
他の年のものはありません。
職員の方に訊いても、図書館にないだけなのか、
そもそもこの年しか水道白書は作られなかったのか不明でした。

ところが、「水道・下水道事業統計年報」(平成11年度版)というのが目につきパラパラとめくってみると、
「佐世保市水道 水源別系統図」というのがあって、
ここにも「下の原取水場」ははっきり記載されています。

7年に作成された水道白書だけでなく、11年に書かれた統計年報にも記載ミスですか?
それはどう考えても不自然です。

これはもう本気で調べたくなりました。
そして、やっと見つけたのが、「市政概要」という毎年編纂されている統計資料です。

この中の「水道局」の項目に、安定水源と不安定水源に関するデータが毎年記載されています。

問題の平成7年~21年までの15年間を調べてみました。
その結果わかったのは…

☆記載ミスと言っていた「下の原取水場」は平成9年から18年までの10年間、
 毎年しっかり記載されていました。

☆徐々に水枯れ状態で使えなくなったと説明された「矢峰さく井」と「柚木さく井」の
 2つの井戸については、
 どちらも平成7年から9年にかけて増えているのに、柚木は10年に、矢峰は11年に
 忽然と姿を消していました。

WHY?

消えた水源の謎を追って、私たちはこれからも調査を続けま~す。

新たな事実がわかりましたら、また報告いたします。
その時をお楽しみに… 
コメント (7)
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