貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

鎖(じやう)あけて

2020-02-24 08:52:13 | 日記

鎖(じやう)あけて

令和2年2月24日

 春一番も吹き、天皇誕生日の

1日も、午後の突風で・・・。

 午前中の天気は、快晴、そして

風もなく、穏やか。

 午後になると、急に突風が吹き、

冷たい寒太郎の出番となる。

 今日はどうかな?

 

 ここは、満月寺・浮御堂。

 これが二基目の芭蕉句碑。

 芭蕉句碑の句は、

「鎖(じやう)あけて 

   月さし入よ 

       浮御堂」  。

  皎々たる月光に、湖上の浮御堂は

扉を閉ざしたままである。

 あの鎖をあけて隈なき月を

さし入れよの意。

  琵琶湖大橋は、大学入学時に開通。

 友人の波多野君が免許とるため、同行。

当時教習所代は2万円。

 私にとって高額。2ヶ月分の生活費。

 立て替えてもらい、最短時間で免許を

取得。

 友人の大日君の車で初運転。

 琵琶湖大橋の上り坂で悪戦苦闘した

記憶が蘇る。

 以来6.7年ペーパードライバー。

 東京都心にいたので、車不要。

 ついつい更新を忘れ、青梅へ来て、

取り直す。

 御陰で、45年間、無事故!無違反!!

 有り難きことかな。

 


湖水を中に雪の橋!

2020-02-23 09:15:39 | 日記

湖水を中に雪の橋!

令和2年2月23日(日)

 今朝は、風景絶佳の地へ。

 満月寺と浮御堂!

 名前だけでもウキウキ!

 これが満月寺。

 寺伝によれば、源信(恵心僧都)

(942 - 1017年)が比叡山横川から

琵琶湖を眺めると、毎夜、その光明

の赫(かつ)々(かく)たるを怪しみ、

網でこれを掬(すく)いとらせると、

1寸8分の黄金の阿弥陀仏像。

 魚類殺生供養のために阿弥陀仏像

一体を造り、その体内に納める。

 千体の阿弥陀仏像をも奉安し、

浮御堂を創建したという。

 これが浮御堂。

 「千仏閣」「千体仏堂」と称し、

衆生制度とともに湖上通船の安全

も発願する。 

   桜町天皇(1720~1750年)は禁中の

能舞台を賜り再興。      

 風景絶佳の趣のある地で、古く

より一休和尚、蓮如上人が滞在。

 松尾芭蕉(1644~1694年)や、小林一茶、

歌川広重、葛飾北斎等も訪れ、

多くの詩歌、絵画を残している。 

  芭蕉一つ目の句碑の句は、

「比良みかみ 

    雪指シわたせ 

       鷺の橋」  。

 元禄3年。比良山は琵琶湖の西、

三上山は東南、野洲郡にあって相対する。

比良・三上が湖水を中に東西に、

雪をいただいて聳えている。

 湖上両山の間を飛び行く白鷺に、

鵲(かささぎ)の橋の如く雪の橋を

架け渡せとの意。

 まさに、雪の橋は琵琶湖大橋か?


「病雁」をヤムガンか、ビョウガンか?

2020-02-22 09:09:17 | 日記

「病雁」をヤムガンか、ビョウガンか?

令和2年2月22日(土)

 「病雁」を

訓読にするか、

音読にするか?

 今日も大津市。

芭蕉句碑と芭蕉像碑。

 先ず、芭蕉句碑。

 芭蕉の句は、

「からさきの 

   松は花より 

     おぼろにて」

 そして、芭蕉翁像。

  

 微笑んで、穏やかなご面相。

 近江の人々との触れ合いを

心底楽しんでいるように見える。


 そして、宝井其角の句碑。

句は、

「雪日や 

   船頭どのの 

      顔のいろ」 。 


 本堂裏手の庭にも行く。

 凄い広い裏手の庭。

 住職の家の庭も兼ねているのかな?


 

 芭蕉句碑2基目。

「病(びよう)雁(がん)の 

   夜寒むに落ちて 

       旅寝かな」

 元禄3年。

 「ヤムカリ」「ヤムガン」と読む説と

音読説とがあるが、後者をとる。

 「落て」は鳥の空から急に降りるを

いい、「堅田の落雁」を意識しての

表現。

 堅田の浦に風邪心地の身に、夜寒

侘びつつ旅寝をしている自分を、

折から頭上を鳴き渡る雁の列から

病を得て湖上に降りる一羽と観じた。

流石芭蕉の最古参の高弟の三上千那さん。

 千那の墓碑だ。 

 大谷句佛句碑は、

「山茶花の 

   落花に魂や 

       埋もれむ」

 芭蕉が何度も当寺に来泊した所だけに

“句碑寺”の様相を呈している。

 見事!


「魦」は、「いさざ」

2020-02-21 09:24:59 | 日記

「魦」は、「いさざ」

  降園時に参詣。

園児たちが群がって遊んでいる。

迎えを待つ一番楽しい一時

でもある。

 開基の善道は、八幡太郎義家の

弟の義綱の子孫。

 寛正2年(1461)大津・本堅田の

本福寺第3代住職である法住は、

布教伝道の拠点として各地に

本福寺の支坊(支院)を建立。

 蓮如(浄土真宗中興の祖)が、布

教活動の第一歩を堅田を拠点として

始め、寛正6年 (1465)に比叡山の

衆徒が真宗を弾圧。

 蓮如はこの本福寺に身を寄せ、

堅田門徒は団結し、山門勢三千人に

対抗し、蓮如の布教を成功させる。

 貞享2年(1685)、第11代住職

である明式は、松尾芭蕉の門下に入り、

千那と号する。

 たびたび、芭蕉を招き、句会を催す。

それに伴い「芭蕉寺」と号する。

また千那寺とも。

 現住職は、堅田本福寺より第19代目。 

 千那の句碑の句は、

「しぐれ来や 並びかねたる いさざ舟」 。

  魦(いさざ)とは、琵琶湖特産の小魚で、

ハゼの仲間。

 千那は芭蕉を初めて大津に招いた人で、

書や絵などにすぐれ、芭蕉は千那に俳画

を習ったと云われている。

 千那を称えているのか、

千那寺を称えているのか不明だが、

句歌碑が林立。

 そして、芭蕉の句碑群へ。


味和心 日々加減 ・・・

2020-02-20 09:07:07 | 日記

味和心 日々加減 ・・・

令和2年2月20日(木)

 昨日で、やっと

『ぼくの蕉道 芭蕉の古径』の

原稿が仕上がる。

 343ページに膨れ上がる。

 1年半ぐらい原稿作りに明け暮れる。

 さあ、これから一ヶ月ほどかけて

推敲して、整え作業に入る。

 夏までには仕上げたい。

 今朝は、大津市も大詰め。

 比叡山の足下、坂本にある

日吉大社詣で。

 全国各地にある3,800余の

「山王さん」の総本宮。

 比叡山連峰 八王子山(牛尾山・378m)の

麓に広がり、延暦寺の門前町坂本の

鎮守神。

 「山王七社」「山王二十一社」とも

いわれ、摂社・末社が多い。

 創祀は古事記に記されるほど古く、

地主神である大山咋神(くいのかみ)とその妻、

鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)を

祀ったのが始まり。

 その後、延暦寺の発展とともに整備

されていく。

 境内は、東本宮と西本宮の2区域からなり、

東本宮・西本宮ともに本殿は

日吉(ひえ)造(づくり)といわれる

特殊な建築で、国宝。

 また、「山王さん」と呼ばれて

広く親しまれている例祭(山王祭)は、

湖国三大祭のひとつ。

 とうとう見ることもなくなったかな?

 学生時代の初めの一年、サークル活動のひとつ。

 地域の子どもの学習の支援に毎週参加。

ペスタロッチ祭で発表する機会に恵まれる。

 やはり自分の勉強、研究が先決と退会。

 課題追究のきっかけになった活動でも

あった?

 日吉大社も唯々懐かしい!

  芭蕉句碑は見当たらなかったが、

包丁塚があり、

「味和心 日々加減 技は庖魂」

という佳き言辞に遭遇。

深謝あるのみ!