貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

多交流、高文化!?

2018-10-19 10:56:50 | 日記

多交流、高文化!?

平成30年10月19日(金)

 ピンクのコスモスが草原に

栄える。

 コスモスは,中国語で「可思莫思花」

ともいうそうだ。

 「思うべし,思うなかれ!」

 古希の寄り道もそんな感じかな?

花に例えると、「可思莫思花」?

 今朝は,酒田の不玉邸跡へ。

 鶴岡を出た芭蕉と曾良は、内川、

赤川、最上川と川舟で下り酒田に

到着。

 当時酒田までは舟で7里、約半日を

要したそうだ。

 曾良随行日記は、

「一 十三日 川船ニテ坂田ニ趣。

船ノ上七里也。陸五里成ト。出船ノ砌、

羽黒ヨリ飛脚、旅行ノ帳面被調、被遣。

又、ゆかた二ツ被贈。

亦、発句共も被為見。 船中少シ雨降テ止。

申ノ刻ヨリ曇。暮ニ及テ、坂田ニ着。

玄順亭へ音信、留主ニテ、明朝逢。」

と記されている。

 伊東玄順は医者を生業とし、この地方の

俳壇の中心的人物。

 芭蕉はこの家に象潟行きの前後を通じ

八泊した。

 酒田は商人の町であり、上方との交流

も多く文化水準も高く、不玉宅などで

たびたび句会が開かれた。

不玉亭跡碑

『おくのほそ道』では、

酒田での句として、

「あつみ山や 吹浦かけて 夕すずみ」

「暑き日を 海に入れたり 最上川」

 酒田の町づくりと36人衆の碑と説明板。

 本当に栄えていたんだと感慨も

ひとしお。

 多交流のよさかな。

 やはり文化の高さが,更なる

交流を生み、多文化との交流の

多さが,更なる文化の高さへ!

 今の私はちょっと半信半疑だが・・・。