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ジョン・カーペンター監督『エスケープ・フロム・L.A.』その2

2013-07-22 09:03:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。
 出発したプリスケンはエンジンに負荷をかけすぎ、運転不能となって、ロス島の崖に辿り着き、潜水艇を失います。無法地帯への案内役をかって出る男(ピーター・フォンダ)が現れますが、プリスケンは1人で破壊されつくした町へ到着します。探し出した救助隊員は死体の状態でダーツの的になっていました。“サンセット大通り”でパレードするクエボに出くわしたプリスケンは、パレードのバイクを乗っ取り、クエボの乗る車を目指しますが、クエボの放った投げ縄に捕まり、バイクから落ちます。彼を囲んだ敵をバンコク式の決闘で倒すプリスケン。大統領は「頭痛が始まってるだろう。休まず働け」と通信してきます。
 映画スターの邸宅の地図を売るエディは道案内をしようと言ってきますが、プリスケンは相手にしません。物陰からクエボを見ていたプリスケンは味方になってくれた女性タスリーマとともに敵に捕えられ、公衆衛生局の長官に目をえぐり出されそうになりますが、口から武器を放って危機を脱します。タスリーマの導きによって地下に潜るプリスケン。コリアン・ドラゴンの縄張りにあるというクエボのアジトに向かう2人でしたが、少年兵を含むコリアン・ギャングの銃弾にタスリーマは殺されてしまいます。車で現れたエディに一旦は助けられたプリスケンでしたが、エディにヤクを注射され、クエボの情報係として働くエディに捕えられてしまいます。
 「スネークの目的が分かった。アメリカを奪ったら褒美をくれ」とクエボにねだるエディ。クエボはユートピアに盗ませた装置の説明を科学者から受けます。それは見かけはただのリモコンですが、中に入っているディスクは“ダマクルスの剣”と呼ばれる防衛システムで、地球を囲む人工衛生に積まれた中性子爆弾を爆発させて強力な電磁パルスを地球上に放射させ、全てのエネルギー、特に電気関係のものは全て破壊することができ、場所もタクシー1台からスペイン丸ごとまで選ぶことができ、全世界を選べば地球を暗黒時代に逆戻りさせることもできるとのことでした。プリスケンがクエボに捕えられたことを知った大統領は作戦を変更し、直ちにロスを爆撃して焼きつくせ、と言い出します。「クエボは爆撃機を見たらボタンを押すだろうから、反対です」と言う参謀長。科学者は全世界を選ぶ際のコードが666であることをクエボに教えます。クエボから大統領へ映像が送られ、その中でクエボは「望みは自由だけだ。この装置で叶う。(捕えられたスネークを見て)俺の警告に背いた。お仕置きだ。目標、リンチバーグ!」と叫びます。大統領はすぐにリンチバーグにいる妻に電話しますが、クエボがスイッチを押すと、電話は切れます。「次をセットした。目標はアメリカ全土だ。イヤなら幸福の王国へ警察のヘリを午前5時によこせ。離陸後、指示を出す」と言うクエボ。大統領は「全ては奴の手に」と言いますが、参謀長は「まだプリスケンが生きています」と言います。
 人間同士で殺し合いをさせている競技場。プリスケンを連れてきたクエボは「今夜は前夜祭だ。この歴史的コロシアムで最高のイベントを行う。ある男の壮絶な死を見せよう。スネーク・プリスケン!」と観客に言います。湧く観客。「バスケットボール。10秒ごとに交互のリングにシュート。5回連続成功させろ。ただし今まで成功した者は1人もいない。失敗したら即射殺だ」と言います。奇跡的なシュートを見せ、成功するプリスケン。しかしクエボは許そうとせず、自らのマシンガンでプリスケンを射殺しようとします。それを止めようとするユートピア。そこへ大地震が襲い、プリスケンは逃れます。プリスケンは車を爆破させて、一瞬動揺したクエボから装置を奪い、地下へ逃れます。それを追うユートピアとエディ。ユートピアは「ここは悪夢。クエボは人殺しで、父よりひどい。連れて帰って」とプリスケンに言い、銃を構えるプリスケンに「父は私を殺せと?」と言って泣き出します。銃を下げるプリスケン。そこへやって来たエディはプリスケンを撃とうとしますが、地震に襲われ、プリスケンの右足を撃つだけで終わります。撃たれた反動で排水口に落ちるプリスケン。装置を奪い返したエディはユートピアを連れて、クエボの許へ戻ります。(また明日へ続きます‥‥)

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ジョン・カーペンター監督『エスケープ・フロム・L.A.』その1

2013-07-21 09:38:00 | ノンジャンル
 ジョン・カーペンター監督・共同原作・共同脚本・共同音楽の'96年作品『エスケープ・フロム・L.A.』をWOWOWシネマで再見しました。
 “1998年”の字幕。「20世紀末、アメリカの反政府勢力は力を増し、ロスには悪徳と犯罪がはびこった。市民を守るため、国家警察が結成される。当時の大統領候補は、ロスに大地震が来ると予言」とナレーション。大統領候補(クリフ・ロバートソン)は「神の怒りでロサンゼルスに最終戦争が起こる。罪の町ソドムとゴモラに! 海が怒り、罪深き町をアメリカ合衆国から引き離す」とテレビに向かって語ります。「そしてマグニチュード9.6の地震がこの町を襲った。2000年8月23日である」のナレーション。衝突する車。崩壊するビル。爆発するマンホール。崩壊する立体の高速道路。津波。「この後、憲法が改正され、終身任期の大統領が誕生。首都は大統領の故郷バージニア州のリンチバーグへ移された。地震でロスは島と化し、新生の道徳国アメリカの流刑地となる。不適格者は全員送られた。警察隊が軍のように沿岸に駐留。脱獄は不可能となる。。オレンジ郡南東からマリブ海岸北西まで島を隔絶する壁が築かれた。大統領が最初に作った法律は、指令17。市民権を失った者は全員この島へ追放され、二度と戻れない」のナレーション。
 “2013年”“L.A.金曜19時”の字幕。「史上最も悪名高き犯罪者が追放センターへ。戦争の英雄であり犯罪者でもあり、当局が必死で追ってきた男。27の道徳違反。16年前NYから当時の大統領を救出」とテレビのアナウンサー。軍の参謀長は大統領に「救助隊から発進された信号が動かず、隠れているか死んでいるかのどちらかなので、プリスケンを使うしかない」と言います。元特殊部隊で2度の名誉負傷賞を受けたプリスケン(カート・ラッセル)は名前を呼ばれると「俺の名はスネークだ」と答えます。罪を悔いれば電気イスの死刑も選べるとプリスケンに言う参謀長。「水曜日午前10時半、政府高官が宇宙研究所を視察。大統領の娘のユートピアも同行。彼女は機密扱いの装置を盗み、1時間後、大統領機へ」と報告する軍の女性。「国民の皆さん、今こそ大統領の退陣を要求するのです。ウソと恐怖による神権政治を倒すの」とテレビカメラに語るユートピア。「そして同機を乗っ取った」と軍の女性。「今日が新しい世界の始まりよ。独裁は終わる。大統領、パパならこれが何だか分かるわね。国境を開放し、無実の罪で追放された人たちを自由にして。さもないとアメリカにこれを使うわ。」とユートピア。「彼女は脱出ポッドでロスへ降下。彼女の位置表示シグナルはすぐ消滅」と言う声。「救助隊員を5名送ったが、既に4名が死んだ」と参謀長。「情けない」と大統領。「ユートピアは姉が自殺した後、仮想現実に没頭していた。それには連れがいて、その連れに関しては5秒のみ映像が残っている」と軍の女性。チェ・ゲバラにそっくりの男が鳩を放つ映像。「彼はクエボ・ジョーンズ。テロ集団“輝く道”の一員だ。ロスで最大の組織を作っている」と参謀長。「この男が仮想現実ネットに侵入し、孤独なユートピアを利用して装置を盗ませた」と軍の女性。「悲劇だ、タバコを」と言うプリスケンに、「タバコは女と酒とともに法律違反だ」と参謀長。「あの装置は国の存亡に関わる。取り返したい。どんな装置かは機密」と参謀長。大統領はプリスケンに「装置を持ち帰れば、君の全ての犯罪に恩赦を与える。娘は死んだものと思っている。やるしかない」と言うと、参謀長と女性は死亡率100%の新型ウイルスを既にプリスケンの体に注入してあり、10時間経つと死ぬようになっているが、任務を終えれば解毒剤を打って助けてやると言います。「戻って来たらタダじゃおかねえ」と言うプリスケンに参謀長は武器と、救助隊員を追跡できる時計、そして敵を欺くための、800mまでは投影可能なバーチャルリアリティのホログラム出現機を渡します。熱探知も可能なスーツも与えられたプリスケンは「クエボの最終目標は北米の奪回、いわば復讐だ。“輝く道”は第三世界を既に統合していて、マイアミに向かっている」と参謀長に教わり、原子力エンジンを持つ1人乗りの潜水艇に乗って海からロスに潜入することになります。参謀長から「救助隊員は連れ帰らなくてもいい。多分死んでる。娘は殺せ。大統領もご存知だ。国家のためだ」と言われるプリスケン。(明日へ続きます‥‥)

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山田宏一『トリュフォーの手紙』

2013-07-20 08:56:00 | ノンジャンル
 クリント・イーストウッド監督・共同製作・音楽の'03年作品『ミスティック・リバー』をWOWOWシネマで再見しました。少年の頃に拉致暴行されたデイブが、娘を殺された幼馴染みのジミー(ショーン・ペン)に過って復讐されてしまい、やはり幼馴染みの刑事ショーンが真犯人を突き止めるのが間に合わなかったという話で、万田邦敏さんが「イーストウッドの偉さは、多義性が一義性に変容せざるをえない残酷な一瞬を切り取ることに映画のおもしろさが存していることを忘れていない点なのだ」ということが、この映画にも当てはまると思いました。

 さて、山田宏一さんの'12年作品『トリュフォーの手紙』を読みました。山田さんの「最後のエピストリエ――後記に代えて」から引用させていただくと、「トリュフォーの死後の1988年4月に刊行された『フランソワ・トリュフォー書簡集』は660ページものボリュームゆえに日本語版は2分冊で出版する予定で翻訳を進めていたのだが、あまりにも長く時間がかかり(中略)、気がついたときにはフランスの出版元が他社に吸収されてしまっていて出版契約の更新も不可能になり、とりあえずは著作権の問題も考慮しつつ(『終章――トリュフォーの最後の手紙』が私宛の手紙のみ集約したものになったのもそのためである)、本書のような形になったことを付記しておきます。」とのことですが、それでも475ページに及ぶ大著となっています。
 この本で初めて知ったことは、自分の番組の中で日本のアニメを紹介していたドロテをトリュフォーがA2(アンテヌ・ドゥ、国営2チャンネル、現フランス・ドゥ)の子供向けテレビ番組「レクレA2」で見て、『大人は判ってくれない』(1959)からはじまる自伝的な「アントワーヌ・ドワネル」シリーズをしめくくる『逃げ去る恋』(1979)のヒロイン――主人公アントワーヌ・ドワネル(ジャン=ピエール・レオー)の最後の恋人役――に起用したこと、60年代のトリュフォーの「ドワネルもの」の中断から再開に至るつなぎの役を担ったのがゴダールだったとも言えること、トリュフォーの映画人生が「現在形」の恋愛の連続だったことは間違いなく、こんなに誠実に徹底して女優(ヒロイン)に恋をしつづけた監督もいないのではないかということ、トリュフォーはロラン・バルトの『神話作用』が出てすぐに買っていて、内容を絶賛していること、『俺たちに明日はない』はトリュフォーが一時映画化するつもりで脚本の手直しをしていて、そのときのキャストは当時のトリュフォーの恋人だったアレクサンドラ・スチュワルトのボニー、テレンス・スタンプのクライドが予定されていたこと、五月革命の1年後、山田さんがパリに行った時、ジャン・ユスターシュやジャン=ピエール・レオー、ジャン=アンドレ・フィエスキらと全く連絡がつかなかったこと、五月革命で決定的になったゴダールとトリュフォーの絶交に、板ばさみになったジャン=ピエール・レオーは心痛のあまり失踪、翌年の7月に入って山田さんがパリを離れる寸前、「カイエ・デュ・シネマ」誌の仲間たちとといっしょに、シャンゼリゼ大通りで偶然、ジャン=ピエール・レオーに会った時、非常に蒸し暑い日だったにもかかわらず、レオーはぶ厚いオーバーを着こんでいて、みんなで昼食に誘ったが、「約束があるんだ」とつっけんどんに言って、さっさとどこかへ消えてしまったこと、いわゆる自閉症を単なる精神障害ではなく、外界の現実に対する一種の自己防衛の精神的メカニズムとみなすようになってきていること、トリュフォーは五月革命以降、すっかり精神的バランスをくずしてしまったレオーを、有名なパリ・フロイト学派を設立した精神病理学者、ジャック・ラカンにあずけたこと、トリュフォーが亡くなったあとも、ゴダールはずっと、ほとんどセンチメンタルに「フランソワ‥‥」とよびつづけていること、トリュフォーは谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』が大好きであったこと、ロジャー・コーマンは「きわもの映画」を製作するかたわら、ヨーロッパの「芸術映画」を積極的に配給していて、イングマール・ベルイマンの『叫びとささやき』(1972)、フェデリコ・フェリーニの『アマルコルド』(1973)などのように大成功した例もあったこと、などなどでした。
 山田さんの名著『友よ映画よ』と並ぶ、ヌーヴェル・ヴァーグを活写した素晴らしい本だと思います。

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相米慎二監督『あ、春』

2013-07-19 09:12:00 | ノンジャンル
 相米慎二監督の'98年作品『あ、春』をWOWOWシネマで見ました。
 屋敷に入り込んだ猫が、部屋を横切っていきます。お経が聞こえ、ニワトリのケージが見え、オープニングタイトル。お経を唱える僧侶(笑福亭鶴瓶)の前で、次々に焼香を終える人々。廊下を走る男の子はヒロシ(佐藤浩市)に抱きすくめられ、ヒロシとともに焼香を済ませます。正座しているヒロシの妻(斉藤由貴)、妻の母(藤村志保)、そしてヒロシの母(富司純子)。食事をしながら、亡くなったヒロシの妻の父について思い出話をする面々。ヒロシは自分が父と5歳の時に死に別れたと話し、ニワトリが鳴き止まないのを聞いて、息子に「餌をやったのか?」と聞きます。パジャマ姿で寝ているヒロシが腹をかいていると、それを見た妻はヒロシの腹を甘噛みします。翌日、証券会社で働いているヒロシ。同僚は自分たちの会社がまもなくムーディーズの格下げを受けると言い、倒産するのは目に見えているので、自分のように早く次の職場を探した方がいい、とヒロシに言います。簡単に割り切れないと言うヒロシ。
 ヒロシは帰宅途中、ホームレスの男(山崎努)とすれ違うと、その男は自分がヒロシの父だと言ってヒロシに抱きつきます。男によると30年前家を飛び出したのだとのことで、しばらく家に置いてくれ、とヒロシに言います。しょうがなく、男を家に連れて帰るヒロシ。男は当時、事業に失敗し、ヒロシの母と離婚したが、急に息子に会いたくなり、興信所を使ってヒロシの居場所を知ったのだと言います。ひどい身なりの男が家に出入りすのを嫌うヒロシの義母と、男に同情的なヒロシの妻。やがて男はヒロシの義母が洗面所にいるところを外から覗き、それを見つけた義母が悲鳴を上げると、ヒロシは荷物を男に持たせて、家から追い出します。
 しばらくして、公園にいるホームレスの一団と男が一緒にいることを知ったヒロシの妻は、それを自分の母に話し、自ら公園に様子を見に行きます。ある日、男がホームレスの仲間と路上で音楽を演奏していると、「お前らは生きる価値がない」とサラリーマンに喧嘩を売られ、男はそのサラリーマンに暴力を振るわれます。そこにやって来たヒロシは、サラリーマンから男を救い、男をまた家に連れて帰ります。
 しばらくすると、男はヒロシが会社に行っている間に、ヒロシの息子にチンチロリンを教え、彼の目の前でニワトリをつぶしてしまいます。帰宅したヒロシは、妻から「もう我慢の限界!」と言われ、男に出ていくように言いますが、男は「父親に向かって何だ!」と逆ギレし、居座ります。
 ある日、ヒロシの父を訪ねて、一人の女がやって来ます。女は男と15年も連れ添ってきたと言い、男に帰ってきてくれと言いますが、男は「自分をアル中にさせて、生命保険をかけ、早く死ぬのを待っているような女とは、もう暮らせない」と言い、女を追い返します。男が死んだら知らせてくれ、と言って帰る女。
 またしばらくして、いまだに男が居座っていると聞いたヒロシの母は、ヒロシの家を訪ね、男が遠洋漁業に出ている間に、別の男との間に作ったのがヒロシなのだと告白します。それを聞いた男はすぐにヒロシの家を
出ていこうとしますが、ドアの前で崩れ落ち、口から血を吐きます。救急車を呼ぶヒロシの妻。
 ヒロシは医師から、男が肝硬変の末期だと知らされます。産まれた卵を男に届けるヒロシ。病院の屋上で男とドンチャン騒ぎをしていたホームレスの仲間を追い返したヒロシは、男が歌う漁師の歌が自分の知っている歌だと分かり、自分はやはりあんたの子だと言います。
 やがてヒロシの会社は倒産し、男も容態が急変します。ヒロシと妻が病院に駆け付けると、男は既に死んでいましたが、お腹の上で暖めていた卵は孵り、ヒヨコになっていました。それを見て笑顔になるヒロシ。
 男の骨を海で散骨するヒロシたち。ヒロシの妻は会社がつぶれても何とかなると言って、ボートに立つヒロシを押し、ヒロシは息子に「お前のかあちゃんは、結構タフだぞ!」と言うのでした。

 ワンシーンワンカットの場面はやはり魅力的で、今回も窓を効果的に使っていました。斉藤由貴さんは『雪の断章 情熱』以来、13年ぶりの相米映画で、彼女が左ききであることを再認識し、彼女が私と同じ乙女座の9月10日生まれで、やはりB型であることを新たに知りました。

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万田邦敏『再履修 とっても恥ずかしゼミナール』その4

2013-07-18 08:48:00 | ノンジャンル
 エドワード・ズウィック監督の'96年作品『戦火の勇気』をWOWOWシネマで見ました。湾岸戦争時、同士討ちで部下を失った中佐(デンゼル・ワシントン)が、女性初の名誉勲章候補となった大尉(メグ・ライアン)の調査を行うというストーリーで、証人により皆言うことが違う、湾岸戦争版『羅生門』といった話になっていて、卓抜した“ショット”を意識させない画面の連鎖からなっていました。
 また、エドワード・ズウィック監督・共同製作・共同脚本の'98年作品『マーシャル・ロー』もWOWOWシネマで見ました。サウジアラビアの米軍基地へのテロ攻撃に対し、その首謀者と思われるイスラム過激派の指導者をアメリカが拉致したことから、ニューヨークで爆弾テロが度重なり、それを解決するために、FBI捜査官(デンゼル・ワシントン)とCIA女性工作員が協力しますが、やがて大統領令によりニューヨークに戒厳令が敷かれ、ブルックリンのアラブ系の人々がスタジアムに拘留されることになります。しかし、最後は2人の活躍で将軍(ブルース・ウィリス)が独断でイスラム過激派の指導者を拉致していたことが明らかとなり、将軍は逮捕され、スタジアムのアラブ系の人々が解放されるという話で、目を奪う“ショット”はほとんど無いものの、“演出”によって“映画”たりうるという好例でした。

 さて、またまた昨日の続きです。
 「当時『シネマグラ』という四方田さんたちが出した同人誌がありまして、それを蓮實さんが授業で『東大でこんなの出ました』と、僕らに紹介したんですね。で『興味のある人は持ってってください』と、一冊置いて帰っちゃったので、すかさず取って読んだら、明らかに書くことに関しては、どうあがいても太刀打ち出来ない。じゃあ僕らは作ろうよ」との発言、「今回はヘンなことしないようにという気持ちでスタートしたんですけど、ただそれってすごく難しいというか苦しい。ヘンなことしたくなるんですよ」との発言、「(前略)もうひとつの驚きは、これらのゴダール映画に見られるこれまた奇妙な『細切れ』の印象でした。細切れというよりは、『切断と分断』と言ったほうが正確でしょうか。物語や登場人物の心理や音楽や台詞や、そして画面そのものまでもが至る所で切断され、分断されているという印象。これも、当時そういう言葉でその驚きに整理を付けられたわけではありませんが、切断と分断の映画というものによって、私はいわゆるスイッチが入った状態になったのだと思います。スイッチが入って、私は正しく映画に目覚めた」という発言、などなどです。
 これ以外にも、万田さんと高橋洋くんの往復書簡で、万田さんが「後藤明生」と書く場面(私の名前と一字違い、読みでも一字違い)もあり、私が大学時代に出入りしていた早大シネ研への度重なる言及も相まって、とても身近に感じられる本でした。また私は、万田さんの映画に関しては、最初にパロディアスユニティ時代の雨傘が乱舞する映画(名前は忘れてしまいました。確か、立教まで見に行った記憶があります)を見た時から、「パロディアスユニティの人たちの中では万田さんが一番才能がある」と頑に思ってきたところがあり、その思いは『接吻』を見て、より強固なものになっていました。これからも万田さんの映画は積極的に見ていきたいと思っています。

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