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照井康夫『小津安二郎外伝――四人の女と幻想の家』

2013-07-24 08:42:00 | ノンジャンル
 阪本順治監督・企画・共同脚本の'11年作品『大鹿村騒動記』をスカパーの日本映画専門チャンネルで見ました。村人が参加する歌舞伎のリーダーで、鹿料理屋の主人でもある主人公(原田芳雄)と、認知症になり数十年ぶりに駆落ちから戻ってきた妻(大楠道代)とその相手(岸部一徳)、性同一性障害に悩む主人公の弟子、村の総務課の女性(松たか子)と彼女に思いを寄せるバスの運転手(佐藤浩市)、主人公の妻の父(三國連太郎)らが織り成すドラマを描いた映画でしたが、時に現れる極端な縦の構図と、見事な村の全景のショットが見ごたえのある映画でもありました。

 さて、文芸誌『文學界』8月号に掲載されていた、照井康夫さんの『小津安二郎外伝――四人の女と幻想の家』を読みました。「序」から引用させていただくと、「本稿は、小津の『女性へ向かう対幻想』の変遷とその棲処となる〈家〉とのかかわりを、作品と日記から解こうとする試みる、いわば『外伝』である」そうです。
 この文章の中で特に書き留めておきたいことは、「杉戸益子は昭和32年2月に、やはり京都出身の佐田啓二(本名・中井寛一)に嫁ぐことになるのだが、佐田の死後、姓名判断によって『麻素子』と改名した。(中略)この時期の杉戸益子の存在は、きわめて重要である。もし杉戸益子に出会うことがなかったら、独身である小津に今ある姿の『晩春』の脚本は書けなかったであろうし、演出も至難であったろうと推測できるからである」、その杉戸さんの文章「とは言え先生は、父娘に間違えられると、『冗談じゃない、僕は独身だ』とご立腹、恋人みたいだと云われると、『僕は若く見られるね』とご満足。当時先生は45歳、私は20歳、倍以上も年上だったのです」、「いずれにしても、志賀のこの提言によって、『晩春』以降の小津組女優のクリーンナップが決定された。三番『原節子』、四番『杉村春子』、五番『三宅邦子』である」、『麦秋』のシーン「佐竹『ナベの奴、ガッカリするかも知れんけど、まアいいや、ハッハッハ。―しかし、もしおれだったらどうだい。もっと若くて独り者だったら‥‥』紀子(笑っている)『‥‥』佐竹『駄目か、やっぱり、ハッハッハハハ』と笑って、窓際に行き、外を眺めて、佐竹『おい、よく見とけよ』紀子『――?』佐竹『東京もなかなかいいぞ‥‥』と後姿で腰を叩く。(中略)小津は紀子の表情をアップでは写さない。構成されるカットのほとんどで紀子は後姿だ。そして、窓際へ歩む佐竹の掌を取るため追い縋ろうとするかのように、紀子の手が机の上を左へ移動する。しかし、絶妙のタイミングで二人は手を取り合わすことがない。佐竹は紀子の手の動きを知っていたとしても、見ていない。そして、ごめんよ、オレも年をとったなあ、というようにその手で腰を叩き、窓の外を眺めるのだ。このシーンだけ、佐野周二がやけに老けて見える。小津安二郎このとき47歳、原節子31歳。原節子は女優として、あの移動する手の演技を全うしたのである。(中略)二人は『麦秋』で、味わい深く訣れたのである」、「もうひとつ、『東京物語』のストーリーの核心部は、シーン#103『紀子の部屋』にある。ここでとみ(東山千栄子)は義理の娘である紀子とひとつ部屋で寝るのである。『―ええ人じゃのう‥‥あんたァ‥‥』と言うとみの科白が見るものの心にしみる。次に周吉(笠智衆)が志げ(杉村春子)の家へ深夜に泥酔して友人(東野英治郎)まで連れて巡査に送り届けられ、志げに邪険に扱われるシークエンスがあって、とみと紀子が別れの挨拶をする翌朝のシーン(#111)へと続くので、いっそう味わいが際立つように構成されている。(中略)小津安二郎は『麦秋』で原節子と、『東京物語』で(最初の恋人である)森栄と、訣れたのだ」、「成瀬巳喜男は(小津と藤本眞澄の)二人の、戦前からの親交があった共通の友人だ」、などです。
 「本稿は、小津安二郎をめぐる三人(母を含めれば、四人)の女性の存在とともに、小津安二郎その人の倫理と作品創造とのかかわりを追った。三人の女性の職業は、枕芸者、手風琴弾き、バーのホステスと、『淑女は何を忘れたか』の〈淑女〉たちからは敬遠されるに違いない階層の人々であった」とのことでしたが、実際はこれに原節子さんを含めたものでした。

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto