1月31日の朝日新聞の朝刊に、矢作俊彦さんの宍戸錠さんに対する弔辞『宍戸錠さんを悼む ジョーこそが文学 心撃ち抜かれた』が掲載されていたので、こちらにその全文を転載させていただきます。
エースのジョーと初めて会ったとき、私は九歳だった。半ズボンを履きランドセルを背負っていた。そこは横浜駅西口のアーケード商店街の外れに建つ日活映画館で、通学路からは遠かったが、その通学路で出会った他校の友人の父親が小屋主をしていた。
彼は目を細め、私を指差(さ)して「ちっちっちっちっ」と舌打ちすると引き鉄を引いた。黒いコルトの45口径ACP弾はその瞬間、的確に私を撃ち抜いた。
その夜のこと、彼は銀幕からはるばる我が家を訪ねてくると勉強部屋の窓を叩(たた)き、ここを開けて夜へ出ろと言った。「書を捨てよ銃を握れ!」
以来、私は彼の背を追い夜を遊び歩いて長く過ごした。
宍戸錠さんとは二十代の後半に知遇を得た。ふたりは姿形はもちろんのこと、人柄や死生観、いやその「職業」を含めて、驚くほどよく似ていた。乱暴に分かりやすくしてしまうなら、宍戸錠さんも(広くそう信じられているような)映画俳優である以前に殺し屋だった。そのふたつ、いや二人を自在に行き来していた。私のためにそうして愉(たの)しませてくれているのではないかと疑うこともあったが、まさかそれは驕(おご)りが過ぎるというものだ。
何の得にもならないのに、彼らはよく遊んでくれた。フィルムを回して拳銃を射(う)ち、酒を飲んで拳銃を射ち、車を飛ばして拳銃を射った。おかげでこの年になるまで私は遊び暮らした。実に楽しい人生だった。(世間で言う)仕事らしい仕事など一度もしたことはなかった。すべてジョーのおかげだ。
もし私に文学などというものがあるなら、彼こそわたしの文学だった。彼自身が意図して殺し屋を文学にしてしまったのだから、当然と言えば当然だ。
私はエースのジョーの前で六十年、九歳でありつづけた。魔法使いの弟子でありつづけた。稼業を継ぐ気はなかったが、一度ぐらいは早射ちを競い、撃鉄が0.01秒遅れ、彼のACP弾に倒れて死ぬのが夢だった。宍戸錠さんが亡くなられたとき、私はエースのジョーが半分、死んでしまったことを知った。しかも利き腕側の半分が。つまり、もう私の夢が叶(かな)うことはない。
その宍戸錠さんにお別れを告げるのが本稿の目的だった。しかし、それをしようとするたび、見知らぬ大勢の聴衆の前で、九歳の私自身の骸(むくろ)に弔辞を読むような痛みと気恥ずかしさを強く覚える。文末に至ってなお、まともな社会人としてかくあるべき惜別の言葉を記せないのは、きっとそのせいなのだろう。
さてまた昨日の続きです。
(中略)
子供たち、邸宅へ。引越し用のトラック。
作業員「何してる?」子供「ここに住んでる友だちに」「入ったらダメだ」「ジャンが住んでる」「いないよ」「住んで」「何者だ?」「僕らの友だち」「誰も住んじゃいない。帰りな」。作業員、去る。「きっと上だ」。2階。「どうした?」「何もないぞ」。紙片を見つけ、「見ろよ」「それは?」「“子供たちへ”」「手紙?」「“ありがとう。さようなら ジャン”」「それだけか?」。
桟橋に座り込む子供たち4人。「俺、行くわ」「じゃあな。僕たちはどうする?」「またな」「じゃあ」「チャオ」。3人、自転車で去る。「待ってよ」。残されたジュール、一人で歩く。
路地。ライオンが前を横切る。ライオンの後を追うが姿はない。ジュールの呆然とした顔のアップ。また歩き始める。
監督「ジャン、始めていいかな?」「ああ」「カメラがゆっくり近づく。目を閉じて。15秒くらい」「15秒ね」「そして台詞を言う」。二人で「15秒間。目を閉じて。目を開いて台詞」「そして15秒後、また目を閉じる。眠りにつく感じで」「死だね」「そう」「死か?」「いい?」「始めよう」「カメラ」「静かに回します」「スタート」。カチンコ「シーン93、テイク1」「アクション」。目を閉じるジャン。しばらくして目を開け、「夢だったのか。君に会えたと思ったのに」。まもなくガクッとして目を閉じる。風の音。しばらくして目を開け「どう?」「カット。完璧です」「もう一度やる?」「ありがとう」「そうしよう。もう一度だ」「目を閉じてください」「ああ」。音楽が始まる。しばらくして目を開けて「夢だったのか。君に会えたと思ったのに」。目を開けて黙っているジャン。暗転で映画は終わる。
トリュフォー映画の出演常連者だったジャン=ピエール・レオと子供たちの様子が微笑ましく、『トリュフォーの思春期』を思い出したりもしました。また、エリック・ロメールの映画に出て来る子供たちにも似ていると思いました。諏訪さん版の『アメリカの夜』(フランソワ・トリュフォー監督、1973年)と言ってもいい映画だったと思います。
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
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エースのジョーと初めて会ったとき、私は九歳だった。半ズボンを履きランドセルを背負っていた。そこは横浜駅西口のアーケード商店街の外れに建つ日活映画館で、通学路からは遠かったが、その通学路で出会った他校の友人の父親が小屋主をしていた。
彼は目を細め、私を指差(さ)して「ちっちっちっちっ」と舌打ちすると引き鉄を引いた。黒いコルトの45口径ACP弾はその瞬間、的確に私を撃ち抜いた。
その夜のこと、彼は銀幕からはるばる我が家を訪ねてくると勉強部屋の窓を叩(たた)き、ここを開けて夜へ出ろと言った。「書を捨てよ銃を握れ!」
以来、私は彼の背を追い夜を遊び歩いて長く過ごした。
宍戸錠さんとは二十代の後半に知遇を得た。ふたりは姿形はもちろんのこと、人柄や死生観、いやその「職業」を含めて、驚くほどよく似ていた。乱暴に分かりやすくしてしまうなら、宍戸錠さんも(広くそう信じられているような)映画俳優である以前に殺し屋だった。そのふたつ、いや二人を自在に行き来していた。私のためにそうして愉(たの)しませてくれているのではないかと疑うこともあったが、まさかそれは驕(おご)りが過ぎるというものだ。
何の得にもならないのに、彼らはよく遊んでくれた。フィルムを回して拳銃を射(う)ち、酒を飲んで拳銃を射ち、車を飛ばして拳銃を射った。おかげでこの年になるまで私は遊び暮らした。実に楽しい人生だった。(世間で言う)仕事らしい仕事など一度もしたことはなかった。すべてジョーのおかげだ。
もし私に文学などというものがあるなら、彼こそわたしの文学だった。彼自身が意図して殺し屋を文学にしてしまったのだから、当然と言えば当然だ。
私はエースのジョーの前で六十年、九歳でありつづけた。魔法使いの弟子でありつづけた。稼業を継ぐ気はなかったが、一度ぐらいは早射ちを競い、撃鉄が0.01秒遅れ、彼のACP弾に倒れて死ぬのが夢だった。宍戸錠さんが亡くなられたとき、私はエースのジョーが半分、死んでしまったことを知った。しかも利き腕側の半分が。つまり、もう私の夢が叶(かな)うことはない。
その宍戸錠さんにお別れを告げるのが本稿の目的だった。しかし、それをしようとするたび、見知らぬ大勢の聴衆の前で、九歳の私自身の骸(むくろ)に弔辞を読むような痛みと気恥ずかしさを強く覚える。文末に至ってなお、まともな社会人としてかくあるべき惜別の言葉を記せないのは、きっとそのせいなのだろう。
さてまた昨日の続きです。
(中略)
子供たち、邸宅へ。引越し用のトラック。
作業員「何してる?」子供「ここに住んでる友だちに」「入ったらダメだ」「ジャンが住んでる」「いないよ」「住んで」「何者だ?」「僕らの友だち」「誰も住んじゃいない。帰りな」。作業員、去る。「きっと上だ」。2階。「どうした?」「何もないぞ」。紙片を見つけ、「見ろよ」「それは?」「“子供たちへ”」「手紙?」「“ありがとう。さようなら ジャン”」「それだけか?」。
桟橋に座り込む子供たち4人。「俺、行くわ」「じゃあな。僕たちはどうする?」「またな」「じゃあ」「チャオ」。3人、自転車で去る。「待ってよ」。残されたジュール、一人で歩く。
路地。ライオンが前を横切る。ライオンの後を追うが姿はない。ジュールの呆然とした顔のアップ。また歩き始める。
監督「ジャン、始めていいかな?」「ああ」「カメラがゆっくり近づく。目を閉じて。15秒くらい」「15秒ね」「そして台詞を言う」。二人で「15秒間。目を閉じて。目を開いて台詞」「そして15秒後、また目を閉じる。眠りにつく感じで」「死だね」「そう」「死か?」「いい?」「始めよう」「カメラ」「静かに回します」「スタート」。カチンコ「シーン93、テイク1」「アクション」。目を閉じるジャン。しばらくして目を開け、「夢だったのか。君に会えたと思ったのに」。まもなくガクッとして目を閉じる。風の音。しばらくして目を開け「どう?」「カット。完璧です」「もう一度やる?」「ありがとう」「そうしよう。もう一度だ」「目を閉じてください」「ああ」。音楽が始まる。しばらくして目を開けて「夢だったのか。君に会えたと思ったのに」。目を開けて黙っているジャン。暗転で映画は終わる。
トリュフォー映画の出演常連者だったジャン=ピエール・レオと子供たちの様子が微笑ましく、『トリュフォーの思春期』を思い出したりもしました。また、エリック・ロメールの映画に出て来る子供たちにも似ていると思いました。諏訪さん版の『アメリカの夜』(フランソワ・トリュフォー監督、1973年)と言ってもいい映画だったと思います。
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