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四方田犬彦『谷崎潤一郎――映画と性器表象』その2

2013-06-24 04:58:00 | ノンジャンル
 ロジャー・コーマン監督・製作の'67年作品『自由の幻想』(原題『The Trip』)をWOWOWシネマで見ました。CMディレクターのピーター・フォンダが、ブルース・ダーンに導かれて、LSDを体験し、幻覚の中で妻のスーザン・ストラスバーグを愛し、他の人々も愛していることを確認しますが、明日のことは分からないと悟るという内容の映画で、サイケデリックな色彩と映像にあふれた映画でした。

 さて、昨日の続きです。
 「(谷崎が製作した映画)『アマチュア倶楽部』の脚本は、それ以降の日本映画の脚本とは異なり、すぐさま撮影に使用できるよう、ショットごとに区分され、カメラアングルまでが細かく規定されている。(中略)フィルムは全体として、当時ハリウッドで流行していたスラプスティックス喜劇であるが、歌舞伎の舞台が破壊されて役者が逃亡するという世代的な要請を読み取ることは困難ではない。(中略)旧劇の追放とは裏腹に、フィルム全体にわたって強烈な印象を放ったのは、主演女優、葉山三千子演じる千鶴子の肉体の、圧倒的な現前であった。」
 「(谷崎はインタビューでこう語っている。)『アマチュア倶楽部のようなものではなく、もっと私の欲しているものを写真にしたいのですが、それはとても許されそうにありません。』ここで谷崎がふと口を滑らした『もっと私の欲しているもの』とは、はたして何であったか。(中略)谷崎の目的とは、より陰惨にして危険な映像の試みであった。1918年初頭に彼が発表した短編『人面疽』の存在が、ここで大きく浮かび上がってくる。」
 (『人面疽』では)4、5年前にロスへ渡り、向こうで成功した女優・百合枝が、国内の映画会社から高給で迎えられ、日本に帰ってきますが、しばらくして、自分が主演する『ある物凄い不思議なフィルム』が新宿や渋谷の場末の映画館を巡回しているという噂を耳にします。その映画とは、「花魁がアメリカ人に惚れられ、秘かに足抜けすることになるのですが、そのアメリカ人の手足となって働いていた、醜い日本人が花魁に恋してしまいます。花魁は当然のこととして、その日本人を相手にせず、絶望した日本人は自殺してしまいます。花魁は置き屋を脱出するために、トランクの中に身を隠したまま、アメリカ行きの船に乗せられますが、やがて自分の膝に自殺した日本人の顔が現れてきます。花魁はアメリカに着くと、その事実を隠蔽しようと、普段から膝に包帯をぐるぐる巻きにし、膝上まである靴下をはいていました。いよいよ花魁とアメリカ人の披露宴の夜。花魁は悦びにあふれ、社交ダンスを踊り始めますが、やがて膝から滴り落ちる血がドレスを汚し始めます。以前から花魁が膝を隠すのを不審に思っていた男爵が花魁の膝を調べてみると、膝の顔が包帯を口で噛み千切り、目と鼻から血をほとばしらせながら、呵々と大笑していました。花魁は発狂し、自室で胸を刺して死にます。しかし膝の顔は相変わらず大笑し続けた」という内容でした。百合枝は、自分がそのような映画に出演した記憶が全くありません。「谷崎は百合枝と(その映画を知る)H氏との対話を通し、この最終場面の映像は単なる焼き込みだけでは成立しないと説き、このフィルムをより謎めいたものにしている。」「H氏による事情説明は、フィルムの出自の怪しさを物語っているばかりではない。それが映写技師を狂気に追い込むほどの攻撃的な性格をもち、近い将来に製作されるであろう複製によって、人面疽の映像をさらに増殖させ遍在させる結果になることが告知されている。(中略)今日のグローバリゼーションの状況下にあって、映像という映像が起源から離脱して匿名的に流出し、際限もなく増殖してゆくさまを日常的に見知っているわれわれとしては、谷崎が一世紀前になしえた予言の正確さに、今さらながらに驚嘆しないわけにはいかない。」
 「これまで日本映画史を参照軸としながら、『人間疽』に対し注釈を施してきた。映画をめぐる谷崎の溢れんばかりの夢想と情熱が、同時代のハリウッド映画からドイツ映画まで、ありとあらゆる映画体験を動員し、当時可能とされていた最新の映画的手法を駆使して、この短編に結実していることが、これで明らかにできたのではないかと思う。」(また明日へ続きます‥‥)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

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