先日、仕事のデイサービスの送迎をしている際、ある利用者の方に現役の時の仕事をお尋ねしたところ、何と外務省に務められていたというお答えでした。GHQ占領時の'49年に入省され、サンフランシスコ講和条約の3年後の'54年にはこれまた何と最初の赴任地としてイラクのバグダッドに行かれたのだそうです。その後も、ニューヨーク、ウィーンなど5ヶ国へ赴任されたとのこと。'54年のバグダッドはどんな感じでしたか、とお尋ねしましたが、言葉を濁されていらっしゃいました。調べてみたら、当時のイラクはイギリスによるハシーム王家の傀儡(かいらい)政権に統治されていたようです。機会があったら、是非当時のお話を詳しく聞かせていただきたいと思いました。
さて、マキノ雅弘監督の'58年作品『清水港の名物男 遠州森の石松』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
森の石松(中村錦之助)は、次郎長から讃岐へ刀の奉納をしてくるように言われますが、道中、酒と博打は禁止、そしてこれまで惚れたことのない女と寝ることはいいという条件をつけられて、行くのを渋ります。そんな折り、次郎長の妻・お蝶とブタ松の法要が営まれ、そこに現れた近江の鎌太郎親分(志村喬)が香典を5両しか包んでいないのを知った石松は、勝手に25両と書いて張り出してしまいます。鎌太郎は、ありがたく20両は借りて行くと言って立ち去りますが、石松は自分のやった過ちの重大さに気付き、讃岐行きのために次郎長からもらった30両の中から20両を次郎長に渡し、讃岐へ旅立ちます。道中で出会った、後の小政(東千代之介)は「一人前になって一緒になるまでは死ねない、お藤という女性が自分にはいる」ことを語り、讃岐に至った石松は女郎ながら清楚な夕顔と恋仲になります。讃岐を去る前に彼女から手紙をもらう石松。帰途で近江の鎌太郎を訪ね、そこで字が読めない石松は、自分を慕ってくれている夕顔が書いた手紙の内容を知ると、彼女と一緒になるまでは死なない決心をします。次に知り合いの七五郎を訪ねると、そこには石松を仇と狙っている者たちの手が回っていました。祭りの夜、面を被った者たちの襲撃を受け、相手を次々に倒していく石松。しかしやがて傷つき、まげも切られた石松の片目はいつの間にか開いています。場面は一転して、陽光の中、嫁入り道中が進んで行くのをロングで撮られた画面で映画は終わります。
小堀明男が次郎長を演じたマキノ監督自身による次郎長シリーズにおいて、石松を森繁久弥が演じた回の正確なリメイクとなっており、田崎潤の鬼吉、法印大五郎の田中春男のキャストも共通していましたが、ラストで石松の死が暗示されるだけで終わっているところが違っていました。一見、錦之助の独壇場といった印象を受けますが、最後の立ち回りの前に雷鳴が轟き、面を被った大勢の者たちがざわざわと蠢く異様さなどは、マキノ監督の面目躍如といった感じで、やはりすごいと思いました。マキノファンならずとも一見の価値ありです。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
さて、マキノ雅弘監督の'58年作品『清水港の名物男 遠州森の石松』をスカパーの東映チャンネルで見ました。
森の石松(中村錦之助)は、次郎長から讃岐へ刀の奉納をしてくるように言われますが、道中、酒と博打は禁止、そしてこれまで惚れたことのない女と寝ることはいいという条件をつけられて、行くのを渋ります。そんな折り、次郎長の妻・お蝶とブタ松の法要が営まれ、そこに現れた近江の鎌太郎親分(志村喬)が香典を5両しか包んでいないのを知った石松は、勝手に25両と書いて張り出してしまいます。鎌太郎は、ありがたく20両は借りて行くと言って立ち去りますが、石松は自分のやった過ちの重大さに気付き、讃岐行きのために次郎長からもらった30両の中から20両を次郎長に渡し、讃岐へ旅立ちます。道中で出会った、後の小政(東千代之介)は「一人前になって一緒になるまでは死ねない、お藤という女性が自分にはいる」ことを語り、讃岐に至った石松は女郎ながら清楚な夕顔と恋仲になります。讃岐を去る前に彼女から手紙をもらう石松。帰途で近江の鎌太郎を訪ね、そこで字が読めない石松は、自分を慕ってくれている夕顔が書いた手紙の内容を知ると、彼女と一緒になるまでは死なない決心をします。次に知り合いの七五郎を訪ねると、そこには石松を仇と狙っている者たちの手が回っていました。祭りの夜、面を被った者たちの襲撃を受け、相手を次々に倒していく石松。しかしやがて傷つき、まげも切られた石松の片目はいつの間にか開いています。場面は一転して、陽光の中、嫁入り道中が進んで行くのをロングで撮られた画面で映画は終わります。
小堀明男が次郎長を演じたマキノ監督自身による次郎長シリーズにおいて、石松を森繁久弥が演じた回の正確なリメイクとなっており、田崎潤の鬼吉、法印大五郎の田中春男のキャストも共通していましたが、ラストで石松の死が暗示されるだけで終わっているところが違っていました。一見、錦之助の独壇場といった印象を受けますが、最後の立ち回りの前に雷鳴が轟き、面を被った大勢の者たちがざわざわと蠢く異様さなどは、マキノ監督の面目躍如といった感じで、やはりすごいと思いました。マキノファンならずとも一見の価値ありです。
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