ベン・シャーンさん絵、アーサー・ビナードさん構成・文の'06年作品『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』を読みました。'07年に日本絵本賞を受賞した絵本です。ここではビナードさんによるテキストを全て転載させていただきたいと思います。(「」はページ替わりを示します。また改行はあえて無視させていただいています。)
「ひとは 家をたてて その中にすむ。」「ここ 日本の 焼津という まちも 家が いっぱい。」「マグロは いつも およいで とまることは ない。 マグロの すむ家は 海の あちこち。」「船にのって みなとを でれば ひとも マグロと おなじように 遠くへいける。」「大平洋も 大西洋も インド洋も 北極海 南極海 みんな つながっている。 ここは ひろい世界の 入り口だ。」「マグロを とろうとする 漁師たちは 船に のるまえから かんがえている――」「マグロは いま 世界の どのあたりを およいでいるのか。」「1954年1月22日 第五福竜丸という りっぱな船に 23人の 漁師が のって 焼津の みなとから 海に でた。 家族は 手をふって 船を 見おくり もう そのときから 23人が ぶじ かえってくるのを まちはじめた。」「船にのれば そこは みんなの家。 ごはんを 食べるのも 寝るのも うたをうたうのも くしゃみをするのも 23人 おなじ波に ゆられながらだ。 第五福竜丸は 日本から 最初は東へ それから南へ また東へ 4千キロもこえて ミッドウェーという島を とおりすぎた。」「2月7日に マグロの 漁を はじめた。 するどい はりを たくさん つけた なわを 海に なげて おもいっきり 長く のばし マグロが 食らいついたら みんな いっきに いそがしくなる。百キロもある マグロの つよく ひっぱること!」「ところが ミッドウェーの 海では マグロが 見つからなかった。 波が あらく なわが とちゅうで きれてしまった。 もっと 南のほう マーシャル諸島を めざすことにした。」「南西へ また2千キロばかり。2月27日に 第五福竜丸は マーシャル諸島の 海で ついに マグロの むれに であった。 寝るまも ほとんどなく どんどん つりあげては なわを また 長く のばす。 そして3月1日の夜あけまえ‥‥」「いきなり 西の空が まっ赤に もえた。『太陽がのぼるぞぉー!』と ひとりが さけんだ。 西の空の 火の玉は 雲よりも 高く あがっていた。」「けれども ほんものの 太陽は 東の空に のぼる。 にせものの 太陽みたいな ばけものが うようよ もくもくと もがいているのだ。」「5分がたち 6分がたって 7分 8分‥‥ ドドドーン! 爆発の音が ひびいた。 しばらくして 空から こんどは 白いものが ふってきた。 どこを見ても まるで 冬の ふぶきだ。」「ただ さわると その白いものは 雪と ちがって じゃりじゃりして 顔に あたると 痛い。 どうやら さんごか なにかが もえたあとの 灰だ。 みんなの 上に なん時間も 灰は ふりそそいだ。」「まえから うわさは ながれていた。 アメリカが 水爆という 爆弾を つくって それを どこか 南の島で ためすかもしれないと。 マーシャル諸島の ビキニ環礁で 3月1日 夜あけまえに 爆発させたのだ。 島に 家をたててすんでいた ひとびとは もう そこには いられなくなり まわりの 海も ぜんぶ よごされた。 なにしろ 広島で 14万人をころした 原爆より 1千倍も 大きい 爆弾だ。」「第五福竜丸は スピードをあげて 北へすすみ まっすぐ 焼津へ かえることにした。 その3千キロをいくのに 2週間は かかる。」「最初の日から 23人は 気もちが わるくなって ごはんが 食べられなくなった。 2日めから 頭も 痛くなり めまいがして ゲリもした。 3日めには 顔が 黒くなって 5日めには 腹とか 首とかに デキモノが‥‥ 10日めになると 髪の毛が ぞろぞろと ぬけだした。 空からふった あの灰には 生きものの からだを しずかに こわしていく 放射能が たっぷりと はいっていた。」「それでも 無線で 『たすけてくれ』と たのむと なにを されるか わからない。 もっと ひどいめに あわされてしまう かもしれないのだ。 水爆という 見てはいけなかった 秘密を 見たのだから。」「3月14日の 朝早く 焼津の みなとに 第五福竜丸が つくと 23人は 病院へいった。」(明日へ続きます‥‥)
→Nature LIfe(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
「ひとは 家をたてて その中にすむ。」「ここ 日本の 焼津という まちも 家が いっぱい。」「マグロは いつも およいで とまることは ない。 マグロの すむ家は 海の あちこち。」「船にのって みなとを でれば ひとも マグロと おなじように 遠くへいける。」「大平洋も 大西洋も インド洋も 北極海 南極海 みんな つながっている。 ここは ひろい世界の 入り口だ。」「マグロを とろうとする 漁師たちは 船に のるまえから かんがえている――」「マグロは いま 世界の どのあたりを およいでいるのか。」「1954年1月22日 第五福竜丸という りっぱな船に 23人の 漁師が のって 焼津の みなとから 海に でた。 家族は 手をふって 船を 見おくり もう そのときから 23人が ぶじ かえってくるのを まちはじめた。」「船にのれば そこは みんなの家。 ごはんを 食べるのも 寝るのも うたをうたうのも くしゃみをするのも 23人 おなじ波に ゆられながらだ。 第五福竜丸は 日本から 最初は東へ それから南へ また東へ 4千キロもこえて ミッドウェーという島を とおりすぎた。」「2月7日に マグロの 漁を はじめた。 するどい はりを たくさん つけた なわを 海に なげて おもいっきり 長く のばし マグロが 食らいついたら みんな いっきに いそがしくなる。百キロもある マグロの つよく ひっぱること!」「ところが ミッドウェーの 海では マグロが 見つからなかった。 波が あらく なわが とちゅうで きれてしまった。 もっと 南のほう マーシャル諸島を めざすことにした。」「南西へ また2千キロばかり。2月27日に 第五福竜丸は マーシャル諸島の 海で ついに マグロの むれに であった。 寝るまも ほとんどなく どんどん つりあげては なわを また 長く のばす。 そして3月1日の夜あけまえ‥‥」「いきなり 西の空が まっ赤に もえた。『太陽がのぼるぞぉー!』と ひとりが さけんだ。 西の空の 火の玉は 雲よりも 高く あがっていた。」「けれども ほんものの 太陽は 東の空に のぼる。 にせものの 太陽みたいな ばけものが うようよ もくもくと もがいているのだ。」「5分がたち 6分がたって 7分 8分‥‥ ドドドーン! 爆発の音が ひびいた。 しばらくして 空から こんどは 白いものが ふってきた。 どこを見ても まるで 冬の ふぶきだ。」「ただ さわると その白いものは 雪と ちがって じゃりじゃりして 顔に あたると 痛い。 どうやら さんごか なにかが もえたあとの 灰だ。 みんなの 上に なん時間も 灰は ふりそそいだ。」「まえから うわさは ながれていた。 アメリカが 水爆という 爆弾を つくって それを どこか 南の島で ためすかもしれないと。 マーシャル諸島の ビキニ環礁で 3月1日 夜あけまえに 爆発させたのだ。 島に 家をたててすんでいた ひとびとは もう そこには いられなくなり まわりの 海も ぜんぶ よごされた。 なにしろ 広島で 14万人をころした 原爆より 1千倍も 大きい 爆弾だ。」「第五福竜丸は スピードをあげて 北へすすみ まっすぐ 焼津へ かえることにした。 その3千キロをいくのに 2週間は かかる。」「最初の日から 23人は 気もちが わるくなって ごはんが 食べられなくなった。 2日めから 頭も 痛くなり めまいがして ゲリもした。 3日めには 顔が 黒くなって 5日めには 腹とか 首とかに デキモノが‥‥ 10日めになると 髪の毛が ぞろぞろと ぬけだした。 空からふった あの灰には 生きものの からだを しずかに こわしていく 放射能が たっぷりと はいっていた。」「それでも 無線で 『たすけてくれ』と たのむと なにを されるか わからない。 もっと ひどいめに あわされてしまう かもしれないのだ。 水爆という 見てはいけなかった 秘密を 見たのだから。」「3月14日の 朝早く 焼津の みなとに 第五福竜丸が つくと 23人は 病院へいった。」(明日へ続きます‥‥)
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