ジャン=ピエール・メルヴィル監督・脚色の'61年作品『モラン神父』をDVDで見ました。
隣町から自転車で夜帰る途中、公園で帽子に羽がついた若者の武装集団が集まっているのを私(エマニュエル・リヴァ)は見かけます。それは町を占領しに来たイタリア軍兵士でしたが、彼らは荷車で若い女性を運ぶなど威圧的ではなく、手紙の検閲だけが戦争を思い出させるものでした。私は通信教育の学校で添削指導をしていて、哲学科のエデルマン教授は戦争のあおりでここへ来ています。私は校長の秘書のサビーヌの魅力の虜となっていましたが、やがてドイツ軍も進駐してきて、死んだ夫がユダヤ人だったため、それを隠そうと仲間の妻とともに娘のフランスに洗礼を施すことにします。私は神父と信者の関係を知るために、モラン神父(ジャン=ポール・.ベルモンド)の懺悔室で彼に論争を挑みますが、彼は司祭館に本を借りに来るように言います。カトリックも変わりつつあると言う彼は、カール・アダムという大学教授の本を貸してくれ、2日後にまた来るように言います。それ以降、私たちは週に1、2回会うようになりますが、やがてイタリア軍がドイツ軍に不服従の戦いを始め、市民の国外追放も始まり、エデルマン教授は偽名で国外脱出を図ります。フランスを預けていた農家に知人の子を預けた後、私は同僚のクリスティーヌと司祭館で鉢合わせになります。彼女から自分のことを神父に話されるのを怖れた私は、自分からサビーヌへの思いを過去のものとして神父に話します。農家から一旦引き取ったフランスは、ある日「神様がいることが分かった」と言って興奮して帰ってきます。フランスの預け先として新たにプランタン姉妹を紹介されますが、その隣の土地では毎日のようにドイツ軍の演習が行われ、フランスは若いドイツ兵士のグンターと仲良くなります。夏になり8時以降の外出がドイツ軍によって禁止され、私は神父に会いに行けなくなりますが、土曜日の朝、教会に神父を訪ねると、彼は信者の前で司祭館の鍵を私に渡します。司祭館で言い争いになる私と神父。やがてサビーヌの兄がゲシュタポに逮捕され、彼女は以前の美しさを失います。屋根裏を掃除している時に天啓を覚えた私は、カトリックに改宗することを神父に言い出しますが、神父は慎重に考えるように言います。神父に対して行った懺悔は苦痛で、やがてフランスも私に内緒で教会に通っていたことが分かります。親独派になった同僚のクリスティーヌと議論する私。結婚願望のある同僚のアルレットを神父に私が引き合わせた後、私は心ここにあらずで、爆破されたホテルの前を通ってもそれに気付きません。クリスティーヌは5人の愛人を持ち離婚を控える同僚のマリオンを神父に引き合わせ、マリオンは神父を誘惑しますが、神父に拒まれ、新しい男と町を出ていきます。やがて町にドイツへの抵抗の気運が高まり、ある朝、町はドイツ軍から解放されていました。プランタン姉妹から娘を引き取る際、荷物を持ってくれたアメリカ軍兵士は私の部屋に入れてくれなければ荷物を返さないと言い張りますが、私は何とか抵抗します。娘を一人家に残して会いに来ることはもうできないと神父に告げると、神父は私の家に会いに来てくれるようになり、娘もすぐに彼になつきます。ある夜、神父と抱き合う夢を見る私。神父でなかったら私と結婚したかと聞くと、神父は怒ったように立ち去ります。しばらく会わない日が続き、久しぶりに訪ねてきてくれた彼を私は誘惑しようとしますが、彼は飛び退いて帰っていきます。やがて彼は神父などいない地方の村へ行くことになったと告げ、最後の晩に私が司祭館に訪ねていくと、閑散とした部屋の中には、ほとんど持ち物のない神父が待っていて、来世でまた会おうと言います。泣きながら館を去る私の後で、神父は静かに扉を閉めるのでした。
ナレーションの多用、そして淡々と積み重なって行くエピソードは『海の沈黙』などメルヴィルの他の作品との共通点が目立ち、場面転換での様々な技法の使用にはヌーヴェルヴァーグの時代を感じさせ、アンリ.ドカの見事な屋外撮影も素晴らしいと思いました。エマニュエル・リヴァの代表作の一つだと思います。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
隣町から自転車で夜帰る途中、公園で帽子に羽がついた若者の武装集団が集まっているのを私(エマニュエル・リヴァ)は見かけます。それは町を占領しに来たイタリア軍兵士でしたが、彼らは荷車で若い女性を運ぶなど威圧的ではなく、手紙の検閲だけが戦争を思い出させるものでした。私は通信教育の学校で添削指導をしていて、哲学科のエデルマン教授は戦争のあおりでここへ来ています。私は校長の秘書のサビーヌの魅力の虜となっていましたが、やがてドイツ軍も進駐してきて、死んだ夫がユダヤ人だったため、それを隠そうと仲間の妻とともに娘のフランスに洗礼を施すことにします。私は神父と信者の関係を知るために、モラン神父(ジャン=ポール・.ベルモンド)の懺悔室で彼に論争を挑みますが、彼は司祭館に本を借りに来るように言います。カトリックも変わりつつあると言う彼は、カール・アダムという大学教授の本を貸してくれ、2日後にまた来るように言います。それ以降、私たちは週に1、2回会うようになりますが、やがてイタリア軍がドイツ軍に不服従の戦いを始め、市民の国外追放も始まり、エデルマン教授は偽名で国外脱出を図ります。フランスを預けていた農家に知人の子を預けた後、私は同僚のクリスティーヌと司祭館で鉢合わせになります。彼女から自分のことを神父に話されるのを怖れた私は、自分からサビーヌへの思いを過去のものとして神父に話します。農家から一旦引き取ったフランスは、ある日「神様がいることが分かった」と言って興奮して帰ってきます。フランスの預け先として新たにプランタン姉妹を紹介されますが、その隣の土地では毎日のようにドイツ軍の演習が行われ、フランスは若いドイツ兵士のグンターと仲良くなります。夏になり8時以降の外出がドイツ軍によって禁止され、私は神父に会いに行けなくなりますが、土曜日の朝、教会に神父を訪ねると、彼は信者の前で司祭館の鍵を私に渡します。司祭館で言い争いになる私と神父。やがてサビーヌの兄がゲシュタポに逮捕され、彼女は以前の美しさを失います。屋根裏を掃除している時に天啓を覚えた私は、カトリックに改宗することを神父に言い出しますが、神父は慎重に考えるように言います。神父に対して行った懺悔は苦痛で、やがてフランスも私に内緒で教会に通っていたことが分かります。親独派になった同僚のクリスティーヌと議論する私。結婚願望のある同僚のアルレットを神父に私が引き合わせた後、私は心ここにあらずで、爆破されたホテルの前を通ってもそれに気付きません。クリスティーヌは5人の愛人を持ち離婚を控える同僚のマリオンを神父に引き合わせ、マリオンは神父を誘惑しますが、神父に拒まれ、新しい男と町を出ていきます。やがて町にドイツへの抵抗の気運が高まり、ある朝、町はドイツ軍から解放されていました。プランタン姉妹から娘を引き取る際、荷物を持ってくれたアメリカ軍兵士は私の部屋に入れてくれなければ荷物を返さないと言い張りますが、私は何とか抵抗します。娘を一人家に残して会いに来ることはもうできないと神父に告げると、神父は私の家に会いに来てくれるようになり、娘もすぐに彼になつきます。ある夜、神父と抱き合う夢を見る私。神父でなかったら私と結婚したかと聞くと、神父は怒ったように立ち去ります。しばらく会わない日が続き、久しぶりに訪ねてきてくれた彼を私は誘惑しようとしますが、彼は飛び退いて帰っていきます。やがて彼は神父などいない地方の村へ行くことになったと告げ、最後の晩に私が司祭館に訪ねていくと、閑散とした部屋の中には、ほとんど持ち物のない神父が待っていて、来世でまた会おうと言います。泣きながら館を去る私の後で、神父は静かに扉を閉めるのでした。
ナレーションの多用、そして淡々と積み重なって行くエピソードは『海の沈黙』などメルヴィルの他の作品との共通点が目立ち、場面転換での様々な技法の使用にはヌーヴェルヴァーグの時代を感じさせ、アンリ.ドカの見事な屋外撮影も素晴らしいと思いました。エマニュエル・リヴァの代表作の一つだと思います。
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
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