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ジャック・ロジェ監督『メーヌ・オセアン』その1

2012-10-22 04:41:00 | ノンジャンル
 昨日、東京工芸大学の学園祭を母と再訪しました。10時からの野外ステージでのジャズ研究会による演奏、その後は室内に移り、やはりジャズ研究会のメンバーによる5グループの演奏、およびその間の有志メンバー(?)によるセッションを楽しみました。MCはアルトサックス奏者でもある川村俊彰さんが務め(“嵐”のニノ似の人でした)、最初のグループ“A&Q”ではヴァイオリンが入った5人編成で、“Someday My Prince Will Come”と“Spain”、“Fly to the Moon”を、2番目のグループ“TPUJM”(“Tokyo Polytechivie Univercity Jazz Messengers”の略)はブラスの入った7人編成で、“Five Spot After Dark”と“Perdido”、“Black Nile”を、3番目のグループ“John”(1年生同士でセッションしていて生まれた5人グループ)では、“All of Me”と“Take the A Train”を、昼食を食べるため、一つ飛ばさせていただいて、4番目のグループ“のらりくらり”(5人編成)では、“Airegin”と“Sunny”を、そして5番目は昨日も聞いたグループ“HB”(グループ名の由来は、昨日がピアノ担当の関根さんの誕生日ので、“Happy Birthday”の頭文字を取ったとのこと。マスターのテナーサックスとベースの方以外の5人は全て1年生とのことでした)では、“Tea for Two”と“ルパン3世のテーマ”をどちらもボサノヴァ調で聞かせていただきました。
 セッションに参加していた川村さんや、クラッシックピアノを習っていたという1年生の岸田幸祐さん、“HB”のバンドマスターもされていたテナーサックスも中島秀太郎さんなどなど、プロ級の腕前の方たちの演奏をタダで、しかも無料の飲み物つきで聴けたことは、無上の喜びでした。また、“HB”で大学に入ってからアルトサックスを始めたという杉本幸乃さんをトップに押し立てて、皆で応援するなど、音楽の素晴らしさだけでなく、人間の温かみまでも感じさせてくれる、そんなライヴでした。(それから、中島さんの話から、ジョビンが50年代後半に始めたボサノヴァが、ビートルズに駆逐されて世界への広まりを阻害されたという事実も、改めて知らされました。)

 さて、ジャック・ロジェ監督・共同脚本・共同台詞・共同編集の'86年作品『メーヌ・オセアン』をDVDで見ました。
 夜、ナントまでの切符を買い、走り出した列車に飛び乗ったブラジル人のデジャニラは、検札係から切符にパンチが入ってないことを指摘されます。そこにやって来た検札長は、パンチの必要性をデジャニラに説き、2等の切符で1等に乗っていること、このメーヌ・オセアン号は追加の料金が必要な特別列車であることも説明しますが、フランス語がよく分からないデジャニラは、検札長の言うことがよく理解できません。パスポートを見てブラジル人だと知った検札の2人。通りかかった女弁護士がポルトガル語が分かると言って、通訳してデジャニラを手助けしてあげようとしますが、検札の2人は断ります。憤慨する女弁護士。検札の2人があきらめて一旦立ち去ると、2等の切符しか持っていない女弁護士はデジャニラの隣に座り、自分は依頼者の船乗りに会いにアンジェの裁判所へ行く途中だと語ります。デジャニラは海を見に行こうと思っていると言うと、女弁護士は一緒に裁判所に行った後、2人で海に行こうと言います。検札係は戻って来て、2人にナントで降りるように言い、上司に内緒でデジャニラにパスポートを返します。(明日へ続きます……)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto

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