gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

川上未映子『夏物語』その2

2020-04-30 05:56:00 | ノンジャンル
 昨日の続きです。

(中略)
 巻子が東京にやってくるのは、わたしが知っている限りこれがおそらく三度目だ。(中略)
 巻子は老けていた。(中略)けれどそんなわたしの心配をよそに、巻子は元気だった。(中略)
 巻子の働いているスナックは、大阪の笑橋(しょうばし)という場所にある。わたしたち親子がコミばあのところに夜逃げしてから、三人でずっと働いてきた街だ。(中略)見たままを言えばがらの悪いこの街の、夕方から深夜までマイクのエコーがわんわん響きわたる雑居ビルの三階にあるスナックで、巻子は夜の七時から十二時頃まで働いている。(中略)

(中略)
 わたしたちは一列になって、ところどころ錆(さび)の浮いた鉄製の階段を順番にあがっていった。
「狭いけど、どうぞ」
「いい部屋やん」
(中略)

〇 ナプキンをずっとうらむけに使ってたことがわかった、と言って純ちゃんがもりあがった。(中略)ナプキンをみたことないと言ったら、家にいっぱいあるからみしたるわと純ちゃんが言うので、今日は帰りに純ちゃんちに遊びにいった。(中略)
緑子
 台所へ行って新しい麦茶を作るために寸胴鍋(ずんどうなべ)に湯を沸かしていると、緑子が隣にやってきてノートを見せた。
〈探検いってくる〉
「探検てなに」
〈さんぽ〉(中略)
「まあそれはさておき」と巻子は小さく咳払いをした。「夏ちゃん、これやねん。電話でゆうてたやつ」
 そう言いながら巻子は、そこそこの厚みのあるしっかりした封筒のなかから束になったパンフレットを丁寧に取りだし、ちゃぶ台にそっと置いた。(中略)

2 よりよい美しさを求めて
(中略)
 わたしが上京してからのこの十年のあいだ、深夜に電話がかかってくることも、ましてや定期的に長電話をするなんてこと滅多になかったのに、「豊胸手術うけよ思てんねんけど」などといきなり言われたせいで面食らい、思わず「ええやん」などと返してしまった。(中略)
 この数ヶ月の電話で雰囲気はつかめていたはずだけど、こうして豊胸手術について話しつづける巻子を実際に目のまえにすると、何とも言えない、やるせなさのようなものを感じることになった。(中略)

〇 もし、わたしに生理がきたら、それから毎月、それがなくなるまで何十年も股から血がでることになって、それはすごくおそろしい。(中略)
 生理がくるってことは受精できるってことで、それは妊娠。妊娠というのは、こんなふうに食べたり考えたりする人間がふえるということ。そのことを思うと、絶望的な、大げさな気分になってしまう。ぜったいに、子どもなんか生まないとわたしは思う。
緑子

3 おっぱいは誰のもの
 気がつけば一時間近くがたっていて、さすがに巻子も豊胸手術にかんする情報や情熱のほとんどを話し尽くしてしまったのか━━ちゃぶ台のうえに広げられたパンフレットを集めて角をそろえ、ボストンバッグにしまうとふうと大きく息をついた。(中略)
 今回の巻子の上京の目的は明日のクリニックのカウンセリングで、そのほかの予定についてはとくに考えていなかった。(中略)巻子によると、緑子はしゃべらなくなってからあというものふたつのノートを肌身離さずもっているらしく、ふだんの会話にはさっきから使っている小さめのノートを、そしてもうひとつの厚めの一冊にはどうやら日記らしきものを書いているのではないかということだった。(中略)わたしはあきらめて本を棚に戻し、なあ巻ちゃん、ひさびさ銭湯いかん、と声をかけた。(中略)

(中略)液晶テレビのな、電源落としたあとの、液晶テレビの画面の色なんや。(中略)わたしの乳首や。
 んで大きさもな。なんていうん、乳首だけで余裕でペットボトルの口くらいになってさ、(中略)。

〇 (中略)
緑子

4 中華料理店にやってくる人々
(中略)

「そうや、九ちゃん、死んだんやで」(中略)
「九ちゃんて」
「九ちゃんやん」(中略)
「当たり屋の、長しの」(中略)
「そうそう、けっこう齢やったけどさ、こないだ死んでもうたんやでとうとう」(中略)
「死んだっていうんは九ちゃん、病気で?」
「ううん、当たり屋のほうで」(中略)

〇 (中略)でもそのあと、わたしは気づいたことがあって、お母さんが生まれてきたんは、おかあさんの責任じゃないってこと。
 わたしは大人になってもぜったいに、ぜったいに子どもなんか生まれへんと心に決めてあるから、でも、謝ろうと何回も、思った。でも、おかあさんは時間がきて、仕事にいってしまった。
緑子

5 夜の姉妹のながいおしゃべり
(中略)
 小説を書くのは楽しい。いや、楽しいというのとは違う。そんな話じゃないと思う。これが自分の一生の仕事なんだと思っている。わたしにはこれしかないんだと強く思う気持ちがある。もし自分に物を書く才能というものがないのだとしても、誰にも求められることがないのだとしても、そう思うことをわたしはどうしてもやめることができないでいる。(中略)

(また明日へ続きます……)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿