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ロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書 映画監督のノート』

2022-09-09 06:32:24 | 日記
 ロベール・ブレッソンの1975年作品『シネマトグラフ覚書 映画監督のノート』を読みました。いくつかの文章を転載させていただくと、

・ロベール・ブレッソンは、来る年も来る年も、ひたすら同じ問題を問いつづける。それは俳優とモデルをめぐる問いであり、世間ではシネマと呼ばれるがブレッソン自身はシネマトグラフという名称(リュミエール兄弟による最初の魔術のことである。当時の人々は樹々を見て驚倒したのだった、「その葉が動いている」がゆえに)を与えようとするこの未成熟な芸術の効用に関する問いである。

・彼が嫌うのは、主に、虚栄、知性偏重、順応主義といったものだ。好むのは、誠実さ、自然の本性、芸術における倹約と正確さである。

・「人は、手で、頭で、肩で、どれほど多くのことを表現しうることか!…… そうすれば、どんなに沢山の無駄で疎ましい言葉の数々が消え失せることだろう! 何という倹約!」

・芸術とは、眼の中に、耳の中に、われわれの五感の記憶の中にあるのだ。

・自分の手段を十全に活用する能力は、手段の数が増えれば増えるほど減じてゆく。

・見せかけること(俳優)ではなく、在ること(モデル)。

・一つの色が他の色との接触によって変化するように、映像は他の映像との接触によって変化しなければならない。緑の横に置いた青、黄の横に置いた青、赤の横に置いた青はそれぞれ違う青だ。変化のないところに芸術はない。

・シネマトグラフの真実は、演劇の真実でも小説の真実でも絵画の真実でもありえない。

・演劇の凸凹に起伏に対して、シネマトグラフのなめらかさを対置すること。

・伴奏の、支えの、補強の音楽はいらない。音楽はまったく必要ない。

・雑音が音楽と化さねばならぬ。

・未知のモデルたちを用い、私を緊張した警戒状態に引き留めておくのにふさわしいような思いもかけない場所で、即興的に撮影すること。

・トーキー映画は沈黙を発明した。

・街の通りや鉄道の駅や飛行場に溢れている未組織の雑音を組織し直すこと……それらの音を一つ一つ沈黙Kの中で掴み直し、それらの混淆を調合すること。

・映像と音と沈黙の間に近親関係を見出すこと。一緒にいていかにも心地よくくつろいでいるといった様子、おのおのが自分にふさわしい座を占めているといった様子を、彼らに賦与してやること。

 難解な文章の多い本でした。


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