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斎藤美奈子さんのコラム・その65&前川喜平さんのコラム・その26

2020-08-16 06:59:00 | ノンジャンル
 今日は私の愛するビル・エヴァンスの誕生日です。生誕91年なので、9年後には生誕100年を迎え、何らかのイベントが開かれると思います。それまで元気に毎日を過ごし、コロナ禍の中でもビルの曲を室内で聴きながら、毎日を送っていきたいと思っています。

 さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。

 まず8月12日に掲載された「WC株式会社」と題された、斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「ったく、ウチの幹部連中はどうなってんだ!
 ウィズコロナ(WC)株式会社の社員は焦っていた。お客からの問い合わせは殺到する。全国の支店長からの「どうにかしてくれ」の声も止まらない。だが、この期に及んで本社の方針が全然決まらないのである。
 まず担当部長のシンチョーニ西村だ。この人は死んだ魚のような目で何かは言うが、中身は空っぽ。いつも「慎重に判断を」で終わり。もうひとりの担当部長のステルス加藤は、最近めっきり姿を見せない。春先の客船の対応で力尽きたのか。あるいは西村にお株を奪われて、やる気をなくしたのだろうか。
 専務のゴートゥー菅に至っては存在自体が迷惑になってきた。支店の悲鳴を無視して新規事業にどこまでも固執し、現場は大混乱である。せめて顧問に頼りたくても、ブレーンのカメレオン尾身は会社に忖度(そんたく)して発言がころころ変わる。副社長のミンド麻生はくだらない自社自慢のあげく雲隠れ。そして社長のステイホーム安倍は、形ばかりの出社はしても説明を渋り、総会を開くことすら拒否しているのだ。
 独自の宣伝文の作成に励むフリップ小池。珍妙な策で墓穴を掘ったポビドン吉村。支店長の言動にもばらつきが目立ってきた。なぜこんな会社に入社してしまったのだろう。社長の解任要求が急務かと社員は思いはじめている。」

 また、8月8日に掲載された「水清く屍」と題された前川さんのコラム。
「広島原爆の日、本紙に酒井ゆき子さん(90)という方の思い出が記されていた。昭和19年夏、親戚のお兄さんとその友だちが何度か遊びにきた。彼らは出陣学徒。海軍の軍服姿だった。彼らの出征後、ゆき子さんはそのうちの一人に軍事郵便ではがきを出した。「昨日が誕生日でした。お元気で」。返事が来た。「誕生日だったのですね。覚えておきましょう。何時(いつ)か役立つことがあるでしょうから」。その後、彼は海防艦に乗り南方に沈んだという知らせを聞いた。
 戦時下の淡い恋。彼は生きて帰りたかったのだ。一年後のゆき子さんの誕生日にはお祝いをしたかったのだ。その思いは果たせなかった。二十歳そこそこの若者の青春は無残に断ち切られた。人が生きることを否定する戦争。その責任者への怒りを禁じ得ない。
 戦後75年。ゆき子さんは大事にしてきた記憶を俳句に詠んだ。
 水清(みづ)屍(かばね) いまわの瞼(まぶた)に 吾(われ)はありや
 海に沈む最期のとき、きっと彼はゆき子さんを思い出していただろう。
 水清く屍。大本営が玉砕を伝える放送で流した「海ゆかば」の歌詞だ。天皇のための戦死を美化する歌。決して肯定してはいけない歌だ。しかし、ゆき子さんになっては鎮魂の歌なのだろう。彼は「英霊」になって靖国神社に戻ってはいない。ゆき子さんの心の中に戻ったのだ。」

 そして8月16日に掲載された「上意下達の教育行政」と題された前川さんのコラム。
「7月31日、文科省は、中学校へのスマホの持ち込みを一定の条件の下で容認する通知を出した。小学校では引き続き原則禁止とするが、やむを得ない場合は例外的に認めるという。2009年の通知では、小中学校へのスマホの持ち込みは原則禁止としていた。
 しかし、そもそも文科省には、学校でのスマホの持ち込みを禁止したり、容認したりする権限はない。学校ごとに児童生徒や保護者と話し合って決めればいいことだ。箸の上げ下ろしに口を出すとはこのことだ。
 8月6日、文科省は、学校の新型コロナ対策のマニュアルを更新した。消毒はドアノブ、手すり、スイッチなどに絞ってよいとし、マスクは常時着用でなく「身体的距離が十分取れない場合」と、熱中症対策を考えた表現に改めた。しかし地域により感染状況は違う。全国一律のマニュアルは作れないはずだ。
 学校教育は自治事務である。文科省の役割は、科学的知見やデータ、好事例などを示して助言することにとどまる。
 指導したがる文科省だけでなく、指導されたがる教育委員会も問題だ。安倍首相の「全国一斉休校要請」には99%の教育委員会が従った。思考を停止して上意下達に身を委ねた文科省と教育委員会には、「主体的で、対話的で、深い学び」などという言葉を口にする資格はないだろう。」

 斎藤さんのユーモラスな皮肉、前川さんの最初のコラムのしみじみとした感じ、そして前川さんの次のコラムでの静かな怒り。3つの文とも味わい深いもので、大変勉強になるとともに、楽しませてもらいました。

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